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ダライ・ラマ法王87歳の誕生日における中央チベット政権内閣の声明

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2022年7月6日

ダライ・ラマ法王のご生誕87周年を祝賀するというこの吉祥なる日に、中央チベット政権内閣は、チベット内外のチベット人を代表して法王に深い敬愛を捧げて衷心よりお慶びを申し上げますとともに、法王が、永劫にわたり一切衆生の幸福の権現であり続けられますようお祈り申し上げます。

チベット人と世界中の人々にとって、本日はとても特別な日です。偉大な菩薩であり愛と慈悲の大いなる施与者であるダライ・ラマ法王が、貪欲や闘争によって悩まされているこの世にお生まれになられた日だからです。ゆえに私たちは、チベットの内外に住まうチベット人を含む全人類に、心からの祝福のご挨拶を申し上げます。

ダライ・ラマ法王のお誕生日を祝賀するにあたり、私たちチベット人は、法王がチベットの大義のために捧げられたこれまでの偉大な貢献について熟考し、理解することが大切です。その恩義に報いる最善の方法は、私たちが、ダライ・ラマ法王の教えに基づいた道徳的な行動を続け、有意義な人生を送ることです。

ダライ・ラマ法王が、チベットの精神的・政治的指導者となられたとき、すでに占領中の中国共産党軍は、チャムドでチベット軍を打ち破っていました。当時ダライ・ラマ法王は若干16歳の若さでしたが、8年間の長きにわたって中国軍と平和的に共存するためにあらゆる手段を講じ、チベットにおいて時宣にかなった宗教・政治改革を遂行されました。

時を同じくしてダライ・ラマ法王は、個人指導の学監から僧院教育を受けられ、1959年の大祈祷祭(モンラム・チェンモ)において、仏教哲学で最高学位の博士号に相当するゲシェ・ラランパの学位を授与されました。祭典期間中に中国政府は、ダライ・ラマ法王に、中国軍司令部での観劇に参列するようにと異例の招待をしました。1958年6月24日、毛沢東が「我々は、チベット地域での反乱に反撃するために包括的な備えをしなければならない。チベットの反革命主義者らが反乱を起こしていることは極めて都合の良いことである。これは労働者階級が解放される機会を創出することにつながる」と述べていたことから、当時チベットの人々は、ダライ・ラマ法王がこの観劇に参列されることを回避しようとしていました。また、1959年以前には既にカムとアムド地域において大部分の僧院が破壊されていたことからも、ダライ・ラマ法王招待の背後に潜む中国政府の真意に、チベットの人々は不信感を煽られていました。何人ものチベット人僧侶や指導者らが、集会を口実に中国政府に招集され、強制的に逮捕・殺害されていたのです。ダライ・ラマ法王を守るために、何千ものチベットの人々がノルブリンカ宮殿に参集すると、中国軍は、迫撃砲で宮殿を攻撃しました。その2日後の1959年3月17日、ダライ・ラマ法王は亡命を余儀なくされたのです。

ダライ・ラマ法王とその側近らは、1959年3月31日午後2時にチュダンモに到着し、その後、4月20日にインド政府の計らいによってムスリに移動しました。ダライ・ラマ法王が、チュダンモに到着されると、ジャワーハルラール・ネルー首相(当時)は、インド議会においてダライ・ラマ法王に対する敬意を表しました。ネルー首相(当時)は4月24日、ムスリでダライ・ラマ法王との会談を行い、チベット亡命政府の樹立には気が進まないことを表明していましたが、ダライ・ラマ法王は同日、インド東部カリンポンからムスリに集ったチベット政府高官らによる集会で、「現代に即したチベット政府の再建に関連する作業の割り当てについて協議する」ように進言されました。これに伴い、宗教、国際問題、住宅、財務の4つの主要部門が立ちあげられ、インド北部デリーにチベット事務所が設立されました。こうして、チベット問題解決への取り組みを継続し、亡命チベット人の福祉に資するための行政的基盤が樹立されたのです。

当初、ダライ・ラマ法王は、中国政府によるチベットの文化、宗教及び国家アイデンティティへの破壊行為について、その真実を世界に知らせるための資料の編纂に尽力されていました。また、チベット問題に関心を持つ国際法律家委員会やジャーナリストからの質疑にも、一貫して応えるよう努められました。また、インド、ネパール、ブータンに亡命するチベット難民が後を絶たず、彼らが生計を立てられるように、道路建設工事に従事させるよう取り計らわれました。

1960年3月3日ムスリで、初のチベット人学校の開校式が開催され、ダライ・ラマ法王は、第1期生となる50名の生徒たちをに演説を行いました。「これから私たちは、決して世界から孤立してはならないのです。私たちは、世界で最も広く用いられている言語である英語と、インドの言語を学び、世界の政治、経済、科学といったさまざまな現代の科目について学ばなければなりません。同時に、チベット語や仏教といった、私たちの文化の多様な側面も研究すべきです。つまり、新たな若い世代のチベット人に、精神的にも政治的にも、双方の分野での教育が受けられるように努力しなければなりません」と法王は述べられました。このように、ダライ・ラマ法王は、伝統教育と現代教育を融合させる方針を定められたのです。さらに、チベット人の子どもたちがより大きなインドの社会体制の中で消散してしまわないように、ダライ・ラマ法王によるインド政府への要請によって、中央チベットスクール(CST)管理局の下でチベットの子どもたちのための学校が設立されました。同様に、チベット子ども村、チベット・ホーム財団、ネパールのスノー・ライオン財団学校、サンボタチベット学校協会が設立され、発展しました。その結果として、行政、教育、社会に貢献し、重責を担うことが出来る教育を受けたチベット人が数多く育成されたのです。

1960年5月1日、中央チベット政権をダラムサラに移した後、チベット人の子供たちの教育、チベット仏教の保護と活性化、そして高齢者や病人のリハビリテーションの計画が実を結びました。チベットから新たに亡命した人々のうち、僧侶たちは、チベット仏教の伝統を保護し活性化させました。同様に、16歳未満の子どもたちは学校に入学し、成人は職業訓練を受けて手工芸品など様々な分野で雇用され、労働年齢層は、特に入植地における農業などの生産企業で働くことができるようになりました。さらに、高齢者や病人は、施設で介護を受けられるようになりました。

1960年12月16日、チャンバ、ダルハウジー、クル・マナリから、チベット人入植者・666名の第一陣が、インドで最初のチベット人居住地であるルグソン・サムドゥプリンに移住しました。1967年までには、3,000人の入植者が居住することができるようになりました。1970年代までに、およそ54ものチベット人居住地が設立されました。こうして法王は、チベットの人々に安定した生活環境を提供しただけでなく、チベット人のアイデンティティを保護し、チベット問題を解決するために最も重要な基盤として機能する独立したチベット人居住地というビジョンを実現させたのでした。

その間、チベットの宗教を保護・存続させるための努力も続けられました。インド政府は、当初、ブクサ・ドゥアールに300名からなる僧院コミュニティを設立・提供することに合意しました。さらに、ダライ・ラマ法王から継続的な要請を受けたインド政府は、伝統ある各宗派の僧侶1,500名に対する財政支援を承諾しました。また同時に、ダルハウジーにギュト僧院、ギュメド僧院等の新しい僧院が設立されました。不運にもブクサ・ドゥアールの僧侶たちは、高温多湿の気候条件や蔓延する疾病といった苛酷な状況に耐えていました。この問題に関しては、インド政府や関係者との一連の議論を経て、ブクサの僧侶たちは他の居住地へ移住することになりました。僧侶たちは、チベットのあらゆる宗教的伝統を象徴する僧院制度の礎となりました。こうした僧院制度は、チベット仏教とチベット・ヒマラヤ地域の言語的伝統を保護・活性化するだけでなく、貴重なチベットの文化遺産を世界に共有するという顕著な貢献をしてきたのです。

2011年、ダライ・ラマ法王は、ご自身の政治的・行政的最高指導者としての権限を民主的に選出された主席大臣に委譲するために、亡命チベット人憲章の改正を承認されました。これは、過去50年間継続されてきたチベットの政治を民主化するという長期に亘る念願の斬新なプロセスの集大成です。2001年の主席大臣(カロン・トリパ)の直接選挙以来、ダライ・ラマ法王は、セミリタイアされている状態です。1960年に亡命チベット代表者議会が設立されてから30年間に渡る経験に基づいて、1991年、亡命チベット人憲章の公布に伴い、「亡命チベット最高司法委員会」を含めた民主主義の3本柱で構成された完全な行政機関の確立に至りました。これには3つの独立機関(選挙管理委員会、公共サービス委員会、監査委員会)も抱合されています。このようにダライ・ラマ法王は、トップダウンによる説得力と指導力によって、チベットにおける民主的プロセスの全過程を導いてこられたのです。

1973年にチベット問題を解決するための中道政策が採択され、1979年には中国・チベット間の接触が始まりました。その後、チベットの内外に居住するチベット人は、彼らの両親や親戚への訪問が許可されるようになりました。1980年から2011年にかけて、86,225名のチベット人がインドを訪れ、親戚との面会や巡礼を行いました。このうち、20,668名が学校に通い、17,489名が僧院に入り、1,435人がインド、ネパール、ブータンに定住しました。今日、彼らやその子供たちの多くが、中央チベット政権や、その他の教育機関、僧院、社会的機関の様々な部門で働いています。

ダライ・ラマ法王が、チベット問題について首尾一貫して国連に訴え続けた結果、1959年から1965年にかけてチベット問題に関する3つの決議案が採択されました。ダライ・ラマ法王は、冷戦時代の軋轢の中で亡命者として生活しながら、東西両国の国々との友好関係を維持されてきました。世界各国でチベットの大義が理解され、連帯が広がっていることが、その証です。

ダライ・ラマ法王は、チベットの長期的な利益を考慮し、チベット難民を教育し、西側諸国に再定住させるためのプログラムを開始されました。1960年には、数百名のチベットの子どもたちをスイス連邦に派遣し、その後、1981年までには約1,000名のチベット人が徐々に再定住することになりました。カナダでは1971年以来、公式定住プロジェクトの一環として、228名のチベット人が再定住しています。1992年、米国政府は1,000名のチベット人を再定住のために受け入れました。同様に、2013年には1,000人のチベット人が、再定住のためにカナダに送られました。1996年、オーストラリア政府は、チベット人元政治囚と彼らの親族を再定住させるために受け入れを開始しました。今日、国外離散したチベット人コミュニティは約30カ国に拠点を置き、チベットの政治的・社会的問題の解決に大いに貢献しています。

これまでを回顧すれば、亡命下におけるチベット人居住地、教育施設や僧院に基盤構築、建設、開発などのすべての過程において、ダライ・ラマ法王が関与されなかったことや、その存在感が注目されなかったということはただの一度もないと言えます。私たちチベット人は、ダライ・ラマ法王がいかにして私たちを導き、新たな困難な状況を乗り越えるための教育を施してくださったか、そして有意義な人生を送ることによっていかにチベットの大義に貢献できるかを、心の中で明確に理解しています。

こうして過去63年間に渡る亡命生活を振り返ってみると、ダライ・ラマ法王は、チベットの初代ニャティ・ツェンポ王からカンデンポタン政権まで脈々と続いてきたチベットの主権を維持し、時代の変化やチベット人の大志と共にさらに発展・強化させていくために、亡命チベット政権を設立されたのです。また、伝統的なチベット3州の人々の間が、ひとつに統合されたチベット人としてのアイデンティティを強く意識し、共に暮らし再定住受入国で散逸することがないように、農業、手工芸品、ビジネスなどの持続可能な生計手段を備えたチベット居住地を設立されたのです。同様に、チベット政権が運営する学校、大学、僧院等や伝統的なチベット医療施設などはチベット人コミュニティを円滑にしており、他の難民コミュニティでは見受けられないものです。こうしたすべてのことは、ダライ・ラマ法王の類まれなる努力によって実現したのです。この機会に、中央チベット政権内閣(カシャック)は、ダライ・ラマ法王のリーダーシップの下でこれまで尽力されてきた歴代のチベット人職員の皆様に、深い感謝の意を表します。

ダライ・ラマ法王は神秘的な予言と御自身の願いにより、113歳までご存命になられると繰り返し断言されています。これを実現するため、私たちはすべてのチベットの人々に、ダライ・ラマ法王の賢明な助言、特に4つの主な使命に従い、高潔な活動に取組み、私たちの共同体の功徳を積んでよう要請します。さらに私たちが、共通の目的のために力を合わせ、ダライ・ラマ法王に心配や迷惑をかけるような行いを避けなければなりません。われわれ内閣は、ダライ・ラマ法王によるお導きによってその責務を遂行し、法王の願いを叶えるべく努力を続けて参ります。

第16期内閣は、発足以来、健全な統治体制を確立するとともに、行政機構に必要な変革をもたらし、共に熟慮を重ねた上でプロジェクトを遂行し、時代の変化に応じて目的達成のための手段を採用するよう、努力を重ねてまいりました。また同様に、チベット人居住地の現状を評価し、国際社会がチベット問題への認識を深め救いの手を差し伸べられようにするための現地視察も、非常によく進められています。本年6月、ワシントンD.C.で開催された亡命チベット代表者議会主催の「世界チベット議員会議」において、中央チベット政権は全面的な協力と支援を行いました。この会議では、米国の「中国問題に関する連邦議会・行政府委員会」が、チベットの歴史的地位について有意義な公聴会を開催しました。

中央チベット政権は、まもなく亡命チベット人の人口統計調査を実施する予定です。国外に離散したチベット人の正確な人口データは、行政、各種計画の伝達、選挙手続き、といった各種プログラムを効果的な実施するために不可欠です。従いまして内閣は、亡命下にあるすべてのチベット人の皆様に、この重要な取組みに参画し、ご協力を促して頂けますようお願いいたします。

最後となりましたが、一切衆生とチベット人にとっての保護者であられるダライ・ラマ法王のご長寿と、法王の願いがおのずから成就されることをお祈り申し上げます。チベット問題の真実が程なく広く認識されるよう祈ります。

中央チベット政権 内閣
2022年7月6日

注: これはチベット語による声明の英語翻訳からの和訳です。内容不一致が生じた際はチベット語版を優先し正式なものとします。


チベット語版 / Tibetan Statements (PDF)

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英語版 / English Statements(PDF)

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(翻訳:仁恕)