「チベット政治史」(亜細亜大学アジア研究所)より抜粋
1954年、北京政府はダライ・ラマとパンチェン・ラマを北京で催される第1回全国人民代表大会に招待した。ダライ・ラマが中国から戻ってこられなくなることを恐れたチベット人民はこの招待を受けることに反対した。人々が悲しみに沈むなか、ダライ・ラマは1954年7月11日、甲午年のチベット暦5月11日、北京めざして出発した。
北京に到着したダライ・ラマは全国人民代表大会に出席し、毛沢東主席、朱徳副主席、周恩来首相と何回かにわたって会談した。また、ソ連の指導者のニキータ・フルシチョフとニコライ・ブルガーニンとも中国国慶節の歓迎会の席で出会った。インドの首相ネルーもまた同じ席にあり、会見することができた。いずれの場合もダライ・ラマは自由に話すことを許されなかった。彼は中国の観光見物につれだされ、またクンブム僧院近くの自分の誕生地も訪れた。