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1950年11月 国民議会、ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォに全権を委託

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「チベット政治史」(亜細亜大学アジア研究所)より抜粋

1950年11月17日庚寅年のチベット暦10月8日、国民議会は当時ほんの15歳にすぎなかったダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォに全権を託し、摂政タクバは辞任した。数週間後ダライ・ラマは国民議会の提案に従って、ヤトゥンに逃げのびた。ダライ・ラマは、ロサン・タシとルカンワを共同の国務相に任命し、国政を担当させた。

ダライ・ラマがラサを発つ前に青海省の中国当局は、法王の兄トゥプテン・ジグメー・ノルブに圧力をかけ、中国のチベットに対する宗主権を認めるべく、チベット政府とダライ・ラマの説得につとめさせようとした。彼らはトゥプテン・ジグメー・ノルブに、その労には褒章をもって報いられると約束していた。中国共産党の残虐さとその拡大政策を数ヶ月にわたってまのあたりに見ていた彼は、この機会を捉えてラサに赴き、迫りくる危機についてダライ・ラマに警告を発した。後にトゥプテン・ジグメー・ノルブはチベットに残留することが不可能になり、インドに脱出し、さらにアメリカに渡っている。

中国が武力を用いてチベットの領土を侵犯しようとした時、チベット政府はチベットが主権を有する独立国家であることをはっきり主張していた。それにもかかわらず、1950年10月25日、中華人民共和国は「300万のチベット人を帝国主義者の弾圧より解放するため、また中国西部国境線の防衛強化のため、人民解放軍のチベット進軍を命令した」と発表するに至った。それだけでなくこの声明がなされる以前の10月7日、中国軍はすでにチベットに侵入していた。「チベット指導者による声明」にはこう述べられている。

「我々チベット人にしてみれば、“チベットの解放”などという語句は精神的意味合いから言っても道徳的意味合いからいっても噴飯物もいいところである。自由からなる国家が侵略され、“解放”という口実のもとに占領されたのだ。いったい誰からの、何からの解放なのか? 1950年に中国に侵略されるまで、チベットは温情ある政府と心満ちた人民からなる幸せの国であったのだ。」
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