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「反中国」ではなく「正義の追求」を!

(2009年5月11日 ファー・イースタン・エコノミック・レビュー誌 エイミー・イー)

この一年インドを拠点にチベット問題について取材をしてきたが、その間私はダライ・ラマ法王が繰り返し発信するメッセージの一つに共感を覚えた。それはお決まりの平和や非暴力、思いやりの心についてのメッセージではない。ダライ・ラマ法王が畳み掛けるように言う「私たちは中国人の敵ではない。私たちは中国の人々を信頼している」という言葉だ。

ダライ・ラマ法王がインドに亡命し、チベットが中国支配下におかれて50周年を迎えた今年三月、ダライ・ラマ法王は同様のメッセージを人々に伝えた。法王は訪れる世界各地でほとんどマントラのように同じメッセージを繰り返し、中国人に接触するために必死ともいえる努力をしてきた。

中国人の心をとらえようというダライ・ラマ法王の試みは残念ながら容易には達成されないかもしれない。道理は愛国主義という炎にいとも容易く消されてしまうからからだ。中国政府の政策への反発を「反中国」と混同してしまっている中国人が多すぎる。

ダライ・ラマ法王は口先だけで中国人に近づこうとしているわけではない。私は中国から移民した両親をもつアメリカで生まれ育った中国人だ。外見だけで判断すれば私は「敵」であるのに、ダライ・ラマ法王とおよそ1万2千人のチベット人が住むダラムサラでは誰もが私を暖かく迎えてくれた。チベット人に敵意を向けられ軽蔑されたりするものだと思っていたが、いくつインタビューをしてもそのようなことは一度として起こらなかった。

チベット人の多くは私が中国人だということに気づく。坂の多いダラムサラの町を歩いていると「ニイハオ」と声をかけられることさえある。たまに中国語で会話をすることもあるがそれは義務感からではない。中国政府が彼らの宗教や言語、文化を抑圧してきたというのに、それでもまだチベット人は中国人に親近感を抱いているのである。

今年三月、4時間にわたる法要を終えたダライ・ラマ法王はチベット内部にいるチベット人、国際社会、そして「中国の同胞」に対して感謝の意を述べた。失敗に終わったチベット民族蜂起50周年の記念式典でダライ・ラマ法王は中国人の民主化運動家30人と共に舞台に立った。式典には台湾からも30名の映画製作者と報道関係者が参加した。

中国人がダラムサラを訪ねてくれば、ダライ・ラマ法王は積極的に謁見を許している。彼らがダライ・ラマ法王のメッセージを中国語で中国内部に伝えることが条件だ。
なぜそのように中国人に対して魅力攻勢をするのか。ダライ・ラマ法王は、チベット民族と漢民族は将来何があろうとも共に生きて行かなければならない、と言う。特に公の交渉が暗礁に乗り上げた今、中国人とコミュニケーションをとり交流を図ることは欠かせないのだ。

1994年以降、チベット亡命政権は広報誌を中国語でも発行してきた。中国語のウェブサイトも作り、中国政府の妨害を回避できる人たちだけにでもダライ・ラマ法王の見解を伝えられるように、と努力をしている。

それでもチベット側の魅力攻勢が功を奏しているかは不明だ。チベットを支援する中国人たちもまた中国内では抑圧された生活を強いられており、彼らは中国のブログでも裏切り者のレッテルを貼られている。昨年オリンピックの聖火リレーがキャンベラを通過した際、そこにはおよそ一万人の中国人がいたのに対し、チベット支援者はわずか1500人だった。

昨年ニューヨークを訪問したダライ・ラマ法王は、法王に批判的な7人の中国人とテーブルを共にしたが、そのうち5人はダライ・ラマ法王の言葉に全く耳を貸さなかったということである。ダライ・ラマ法王自身が後の記者会見で、幸い大きなテーブルだったが、そうでなければ叩かれるのではないかと思った、と語っている。

アメリカやオーストラリア、そしてヨーロッパなど報道の自由が保障され、人々が情報に自由にアクセスできる社会で生活する中国人でさえ『ダライ・ラマは嘘つきだ』と書かれたプラカードを掲げていた。ダライ・ラマ法王がどのような嘘をついているというのか私には判然としない。ダライ・ラマ法王は、中国が言うように独立を要求しているのではなく中国という枠組みの中での自治を求めている、と明言しているではないか。

ダライ・ラマ法王がチベット内部で起きている人権侵害を捏造しているとでもいうのだろうか。インドに逃れてきた良心の囚人や、一年前中国が徹底的な取り締まりを始めて以来捕らえられてきた何千というチベット人に尋ねてみたらいい。捕らえられた人たちのリストが捏造されたものだというのならその人たちを連れてきて元気で普通の生活をしていることを証明してもらえないものであろうか。

中国政府の主張によれば、チベット人は幸せな生活を享受しており、そのお陰で50年前に比べて彼らの寿命も延びたという。ではなぜチベット内部では厳しい抑圧が続いているのだろう。何かがおかしいと言わざるを得ない。せめてチベット内部のチベット人が置かれた苦境を改善するために何をすればよいのか検討がなされるべきであろう。チベット人社会の教育や雇用環境改善は中国政府にとって十分対処できることだ。

昨年ラサで暴動に加わったチベット人は暴力に訴えるべきではなかったし、彼らと衝突した中国人が命を落としたことは大変残念なことである、とダライ・ラマ法王も言っている。しかしだからこそ独立した調査を受け入れ、昨年ラサで何が起きたのかを明らかにさせればよいではないか。

中国の愛国主義が道理にかなった判断を鈍らせることを私は経験から知っている。昨年の夏オリンピックの聖火リレーがやって来た時、私と弟はボストンの両親の家にいた。弟はチベット支援者の抗議運動に腹を立て、嫌悪感をあらわにしたのだ。私はそんな彼を見て呆気にとられた。

私たちはボストンの中でも進歩的な地域で育った。そこでは社会的、政治的な活動は一般的なことであるし、制度を疑問視する態度も欠かせない。

しかしあの時なぜ彼があれほど怒ったのか、私には分かる。私たちが中国人だからだ。彼は中国政府の政策に反対する抗議運動を目の当たりにして、中国人である彼自身が非難されたと誤解したのだ。

弟と議論をするつもりは無かった。私はただ彼に、2006年からインドを拠点に取材して見聞してきたことを話して聞かせた。昨年中国西部で中国の武装警察がデモ行進に向かって発砲し、武器を持たない平和的なチベット人たちが殺されたことに触れ、「あの人たちは16歳のチベット人の女の子の頭を撃ったのよ。デモをすることの何がいけないの」と私は彼に尋ねた。

彼が既に知っていることに関して再度指摘はしなかった。私はかつて中国で二年間120人ほどの中国人大学生に英語を教えていた。そこで中国語を身につけた私は1998年におよそ一ヶ月かけてチベット内を旅したのだが、その時に出会ったチベット人の多くが私を見て怖がったのだ。私がアメリカ人であることを告げると彼らはようやくほっと胸を撫で下ろしたが、彼らは中国人を恐れていたのだ。

武装警察によって射殺された Lhundup Tso という16歳の少女が血の海に横たわる姿は写真にも収められている。その彼女の話をした時、弟の表情はこわばった。突如として湧いた中国への愛国心と、事実と分析、道理に基づく私たちが受けた教育との間に葛藤が生じたのに違いない。幸い後者に軍配が上がった。「非暴力なら‥‥」彼はしぶしぶ答えた。

私はちらりと母に目をやった。大学を卒業したら中国へ行くと告げた時、中国当局が私を不当に扱うのではないかという恐れから、彼女は私を勘当すると言って止めようとした。その彼女は私と弟のやり取りを聞きながら敢えて何も言わなかった。

中国の対チベット政策への反発と反中国は混同されがちである。しかしチベットの状況の改善を望むことと、反中国人・反中国の立場を取ることとは同義ではない。チベット問題の進展を求めることはダライ・ラマ法王が言う通り、正義を追求することに他ならないのである。

(翻訳:中村高子)