2025年8月14日

2024年12月、ホルツァン・キルティ僧院の住職代理兼経典教師のクンチョク・チョダク師が、カンロ(中国名:甘南)州サンチュ(夏河)県で中国当局に強制的に拘束された。この地域はチベットで伝統的にアムドと呼ばれている地方に位置し、現在は中国の甘粛省に編入されている。信頼できる情報筋によれば、中国当局は同師の住居を捜索し、キルティ僧院仏教教育監修グループに関する数々の文書と資料を押収した。
ゲシェ・クンチョク・チョダク師の拘束から8か月以上が経過しているにもかかわらず、同師の安否や所在について、中華人民共和国政府から何の声明も出されていないことから、同師の健康状態が深刻に懸念されている。
チベットでは、中国政府による監視、拘禁、恣意的な投獄といった方法での人権侵害が悪化の一途をたどっており、「国家安全法」の広すぎる適用によって、平和的な宗教活動や市民運動さえも違法行為と見なされ、宗教指導者、僧侶、教師、歌手、環境活動家、教育者、地域の指導者らが迫害されている。
クンチョク・チョダク師の恣意的拘束と、外部との連絡を遮断された状態での拘禁は、チベット内におけるチベット人の権利に対する組織的な侵害に当たる。これには、恣意的拘禁からの保護、信教の自由、表現の自由、情報へのアクセス、家族の権利といった基本的権利の侵害が含まれる。
過去において、チベット人、特に政治犯が、いかなる情報も与えられずに拘束され、強制失踪を遂げた時は、多くの場合、拷問その他の非人道的な扱いを受ける危険を伴い、残酷な苦痛を身に受けた末、最悪の場合は死に到ることもあった。従って、クンチョク・チョダク師が、国際法および中国の憲法と法律の定めに従って、無条件で即時釈放されることは一刻を争う急務であり、告発についての証拠が提示された上で、自由かつ公正な裁判が行われなくてはならない。また家族および近親者には、同師の健康状態と所在が直ちに知らされなくてはならない。
クンチョク・チョダク師はンガバ県ソゲ郡(མཛོད་དགེ)ブレンバ郷(འབྲེང་བ།)ドチョク村(རྡོ་མཆོག)で生まれた。父親のアロ氏と母親のマチク・チー氏はともに故人である。幼少期からタクツァン・ラモ・キルティ僧院で求道生活を送り、2019年にゲシェ・ラランパの学位を授与された。2021年にはホルツァン・キルティ僧院の住職代理に就任した。ホル・ツァン・キルティ僧院の歴代住職は、伝統的にタクツァン・ラモ・キルティ寺院によって任命されてきた。
ホル・ツァン・キルティ僧院はゲルク派の僧院であり、その創設は1764年に遡る。この僧院を形作ったのは歴代のキルティの転生ラマたち(第5代目から第11代目)による努力であり、彼らは幾度もこの地を訪問し、施設の建設、学習プログラムの確立、組織体制の構築などを通して僧院の発展に尽力した。19世紀には、密教の学堂が新設され、祈祷祭が行われるようになり、哲学研究の授業も加わって、僧院は飛躍的な発展を遂げた。2020年現在、この僧院はセンドンの系統の転生ラマによって運営されており、2つの学堂に100人以上の僧侶が居住している。
–国際連合、EU、情報・国際関係省人権デスク、チベット人権擁護部による報告



(翻訳:麻雪)