2021年12月8日
インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ
今朝、心と生命研究所(Mind and Life Institute)の所長であるスーザン・バウアー・ウー氏は、ダライ・ラマ法王をお迎えし、「危機の時代に希望、勇気、思いやりを受け入れる」と題する対話を開始した。ウー氏は、法王との再会を喜び、法王がご健康であることを嬉しく思うと法王に伝え、続いて本日のパネリストを紹介した。
エリッサ・エペル教授は、カリフォルニア大学サンフランシスコ校、精神科の健康心理学者兼副主任である。エペル教授は、ストレス回復力とメンタルトレーニングが、どのように健康を守り、幸福を促進することができるかについての研究を行っている。また、どのようにしたら気候変動に苦悩する人々に力を与え、気候対策へと行動変換ができるかの研究にも携わっている。エペル教授は、心と生命研究所の運営評議会の共同議長を務めている。
ミッシェル・シオタ教授は、アリゾナ州立大学の心理学者であり、薬物使用と依存症のトランスレーショナル・リサーチ・ネットワーク(基礎研究から応用分野にわたる研究のネットワーク)のディレクターである。シオタ教授は、肯定的感情、情動表出の制御、親密な個人的関係の構築、行動変容に関する調査研究も行っている。
ジョン・ダン博士は、法王もよくご存知の方で、対話の司会を担当した。ダン博士は、ウィスコンシン大学マディソン校、健康な心のセンターで瞑想的な人文科学における著名な教授の称号を持っており、アジアの言語と文化の学部長を務めている。また、心と生命研究所の特別研究員でもある。
パネルには、法王の長年の英語通訳者であり、心と生命研究所の理事長を務めるトゥプテン・ジンパ博士も参加した。
ジョン・ダン博士は開会の挨拶で、これまでの心と生命研究所の議論から、個人的にいかに多くのことを学んだかについて述べた。今、世界中の人々は、特に新型コロナウィルスの大流行や気候変動などに関連して、さまざまな課題や危機に直面している。このような中、私たちが前進するための最善の方法は何なのだろうかと問いつつ、ダン博士はエリッサ・エペル教授を対話に招き入れた。エペル教授は「不確実性をより快適に受け止めるにはどのようにしたらよいか」という最初の質問を法王に投げかけた。
法王はまず、友人の皆さんとこのような対話の機会が持てたことを嬉しく、光栄に思うと述べられた。
エペル教授の質問に対して、法王は次のように答えられた。「不確実性に関して仏教徒は、事物は常に変化し、未来は予測できないと考えています。私たちが直面する問題の中には、自然に発生するものもありますが、気候変動のように、私たち自身の行動の結果として生じてくるものもあります」
「哺乳類の中には、ライオンやトラのような肉食動物がいます。しかし、彼らはお腹が空いた時にしか殺生をすることはありません。一方、人間は、不満や疑念、偏狭さから暴力を振るいます。前世紀には、二度の世界大戦があり、莫大な金額が武器に費やされました。私たち人間は、ライオンやトラのような歯や爪を持っていません。私たちの顔の形を見れば、平和的に振る舞うことの方が私たちの本質であることがわかるでしょう」
「知性を用いれば、私たちは内なる心の平和を育むことができます。個人レベルでもコミュニティレベルでも、私たちが生来的に持つ思いやりの心を信頼し、賢明な見通しを養えば、平和な生活を送ることができます」
「インドでは、私は思想と言論の自由を享受し、自分の考えを他の人々と共有することができます。私は、ただそれについて考えるだけではなく、人類は一つの人間家族であるという考えに基づいて、より平和な世界を実際に構築していくことができると信じています。私たちの人生は、母親に世話をしてもらうことから始まります。母親の思いやり深い世話なしには、私たちは生きてはいけません。このように、人生は思いやりの経験から始まるのです」
「しかし、子供たちが学校に行くようになると、そこでは心の平和を育むための方法を学ぶことはできません。子供たちは学校で知性を高め、競争することを学びます。近代教育に欠けているのは、心の平和を育む方法を教えることです。それは空から舞い降りてくるようなものではありません。心の平和は、武器に頼るのではなく、温かい心を養いながら、努力して築いていかなければなりません。そのようにして、私たちは人間として成熟していくのです。地球上の70憶の人々は一つの人間家族であるという意識を持って、兄弟愛や姉妹愛を育むことが希望の土台となるのです」
ここでジョン・ダン博士は、ミッシェル・シオタ教授に法王への次の質問を求めた。シオタ教授は、「今日、多くの人々がこれからの世界について深く心を痛めており、心配している。どうすれば苦しみや絶望を減らして、日々の生活の中に喜びと平和な心の空間を作ることができるだろうか」と法王に質問した。
その質問に対して、法王は次のように答えられた。
「現実として世界はますます小さくなっています。気候変動は、人類はひとつであることを私たちに認識させ、互いに協力せざるを得ないと迫りつつあります。もし、私たちが自己中心的な態度に固執し、武器に頼るならば、その結果はより多くの苦しみと問題を引き起こすだけです。私たちは共に生きていかなければならないのですから、お互い助け合う以外に方法はありません」
「怒りは何の役にも立ちません。怒りは恐れをもたらし、恐れは暴力を生み出します。私たちは、どうすれば心の平和を育むことができるかにもっと注意を払う必要があります。私たちは理由に依拠しなければなりません」
「毎朝、目を覚ました時、私は大勢の人間の中のひとりに過ぎず、私たちはみな同じ人間だということを思い出します。他の人々のことを “私たち” “彼ら” という言葉で区別するのではなく、菩提心、すなわち、すべての有情のために仏陀の境地に至ろうと希求する心を起こすことがその助けになります」」
「インドの偉大な導師であるシャーンティデーヴァ(寂天)の著書の中に、多くの問題の根底には行き過ぎた利己主義があることを明らかにした一節があります。すべてのよいことは、自分のことより他者の幸福をより大切にすることに根ざしています」と法王は述べられ、次の偈頌を引用された。」
この世のいかなる幸せも、他者の幸せを願うことから生じる。この世のいかなる苦しみも、〔自分だけを大切にして〕自分の幸せを求めることから生じる。(『入菩薩行論』第8章129偈) |
「自分たちのことばかり考えていては、たとえこの世でも幸せにはなれません。一方で、他者の幸福を考えることは、大きな喜びへの入口となります。長期的な幸せを本当に真剣に考えるならば、心を開いて、自分たちのことだけでなく、他者のことにも目を向けなければなりません。これはとても意味のあることだと思います」」
「心理学的にこのことを深く掘り下げてみるならば、重視する焦点が私たち自身に偏った時、恐怖、ストレス、不安、疑念が生じることがわかります。他者との関係において、勇気を起こすための心の余裕を持つことができれば、私たちはよりリラックスすることができます。そこで仏教では、利他的な態度を養い、菩提心を高めることを重視しています。このことと、他者との相互依存やつながりを意識したより哲学的な見解を結び付けていくのです」」
「この相互依存の考えは、それ自体による独立した実体が存在するという見解の否定や、縁起という中観の見解に根ざしています。他者を助けることは、私たち自身を助けることになります。私たちの幸福は他者の幸福と関連しているのです。このことを、私たちの心の中でよく考えてみるならば、心に本当の変容がもたらされることでしょう」」
「事物には、幻のような性質があります。事物は、それ自体の側から客観的に存在するかのように目の前に顕れてきますが、実際はそのようには存在していません。事物の存在は、相互依存や他の事物との関連性の観点からのみ語ることが可能です。このことは、分離や “私たち” “彼ら” という区別の前提を覆すものです」
エリッサ・エペル教授は、世界の若者を対象にした「世界の現状と気候危機についてどう思うか」という調査について言及した。その調査結果は、若者の75%が「未来は恐ろしい」と答え、60%が「人類は絶望的だ」と感じているというものであった。このような状況の中、私たちはどのようにして前向きな姿勢を身に付け、希望を持ち続けることができるのかとエペル教授は法王に質問した。
法王は、希望と共に勇気を持つことが必要だとエペル教授に語られた。一旦、問題に着目すると、心がそれに縛られて、あらゆるところに問題があると考えてしまう傾向がある。問題だけに執着しても何の解決にもならず、希望や勇気が生まれる余地はないと法王は指摘された。
悟りへの道をめざす仏教徒の祈願について、法王は次のように述べられた。それは、悟りという彼岸に到達するために、空へと舞い上がる偉大な鳥の両翼に喩えられる智慧と慈悲を養うことである。その目標は壮大だが、私たち一人一人の中に本来根付いているものである。どのような進歩であっても、それを認識することで、勇気と自信を得ることができる。だからこそ、問題に固執するよりも、勇気を持てば何かを成し遂げられるという感覚と、それを実現する自信を育んだ方がよいのではないだろうか。
「このことは、私にとっても役に立ちましたし、一般的な教訓でもあると思います」と法王は述べられた。
エリッサ・エペル教授は、私たちには目的意識を持って人生を送る機会があり、献身的な人々から成る小さなグループでも、社会の転換点を率いることができるという認識があると述べた。そして、世界をよりよい場所にするための実践的な行動を促すにはどのようにしたらよいかと法王に質問した。
「私の場合に関して言えば、勇気と自信を与えてくれるのは、やさしさと温かい心を常に持ち続けることによってです」と法王は語られた。シャーンティデーヴァは、明確にこのことを述べている。
自分の幸せと他者の苦しみを完全に入れ替えなければ、仏陀となることはできないし輪廻においても幸せを得ない。(『入菩薩行論』第8章131偈)
ゆえに、落胆や疲れをすべて取り除く菩提心という馬に乗って、幸せから幸せへと進んでいくことを知ったなら、いったい誰が怠惰な心を起こしたりするだろうか。(同第7章30偈) |
「この偈頌を繰り返し唱えることは、とても役に立ちます。私たちに必要なのは、前向きな意図を定期的に再確認することです」と法王は述べられた。
ミッシェル・シオタ教授は、心と生命研究所の初期のミーティングで、科学者が何を研究すべきかを法王に尋ねたところ、心の訓練について調査するようにと法王に勧められたことを思い出した。シオタ教授は、人間の心や行動を研究する人たち、つまり心理学者、神経科学者、臨床科学者は次に何を研究すべきか法王に尋ねた。
私たちには、一方で感覚的な経験があり、もう一方で心の経験があると法王は観ておられる。私たちが感覚的に見たり、聞いたり、触れたりする事物は思考を生じさせるが、心の体験の仕方はそれとは異なる。幸福や不幸は、感覚にではなく、心に属するものである。同様に、心の訓練は心のレベルで行われる。法王は、とても興味深いこととして、心の体験を脳にマッピングした神経科学者との議論について言及された。しかし、心の本質を理解するという点では、仏教の伝統、特にナーランダー僧院の伝統における仏教心理学が極めて豊かであると法王は述べられた。
シオタ教授は、パンデミックや気候危機への対応方法、またそれらに関連する異なる行動について意見が大きく分かれていることで、人々がどれほど深く分裂していると感じているかを説明した。また、意見の違う人々と議論すると、それらの人々をより極端な意見へと追いやってしまうことがあると指摘した。それゆえ、世界に大きな損害を与えていると思われる人々に対して、どうすれば私たちは思いやりややさしさを持つことができるかを知りたいと法王に尋ねた。
それに対して、法王は次のように答えられた。
「私たちが直面している問題の一つは、状況を見て、その短期的な影響に巻き込まれてしまうことです。そして、目先のことにとらわれ、長い目で物事をとらえることができなくなってしまいます。私たちは、心をリラックスさせる方法を見つけ出さなければなりません。もしそう出来れば、自ずと心配りや思いやりの気持ちが湧き上がってきます。しかし、私たちはまた、そのようなスキルを強化する方法も見つけ出さなければなりません」
「もし私たちが心にスペースを創ることができれば、心はリラックスします。これは重要なことです。なぜならば、心が不安で落ち着かない状態では、私たちは知性を明確に使うことができないからです。その解決方法は、私たち自身の中に、より深い平和な感覚を創り出そうと取り組むことです」
「最も重要なことのひとつは、意図して、日々の生活の中に思いやりをもたらすことに重点的に取り組むことです。もしそれが出来れば、自信が高まり、困難にも対処できるようになります。逆に不安に負けてしまうと、人間の力を発揮して物事をじっくりと考えることができなくなってしまいます。理性を発揮するためには、リラックスして平和な心を見いださなければなりません。それは、思いやりの心を培うことで育てていくのです。他者をどのように見るかということについての幅広いアプローチを身に付けることでも、変化をもたらすことができます」
ここでジョン・ダン博士は、他のパネリストに最後の意見を求めた。エリッサ・エペル教授は、喜びの重要性について述べた。そして、小さな親切は一般的に広まっているが、そのことはニュースでは報道されないことを指摘した。
ミッシェル・シオタ教授は、3つのポイントについて述べた。喜びは回復力があり、強さを生み出す。それは、絶望とは正反対である。ほんの小さな親切でも、変化をもたらす。私たちの共通の人間性を認識しよう。人間の残虐な行為のほとんどは、他者の人間性を奪い取ることから始まる。重要なことは、他者がどこから来たかを理解することである。そして、耳を傾けることで、他者との共通点を見つけ出すことができるかもしれないと、シオタ教授は述べた。
ジョン・ダン博士は、豊かな対話が交わされたことに深い感謝の意を表し、「この対話は、私たちを希望で満たしてくれました。そして、私たちは、より長期的な視点を持ち、よりよい世界を作ることができると信じています」と述べた。
スーザン・バウアー・ウー氏は、法王とこの対話に参加したパネリストに感謝の意を表した。そして、心と生命研究所の全員が法王のご健康を祈り、来年また、できれば直接お目にかかれることを楽しみにしているとの気持ちを明らかにした。
続いて法王は、心と生命研究所の名前について考察しながら、次のように述べられた。
「私の目の前にある植物には命がありますが、心はもっと複雑です。問題を引き起こすのは私たちの心に他なりません。もし、私たちが正しく考えるならば心に平和をもたらしますが、心が怒りや疑惑で打ちのめされているならば、心の平和を得ることはできません。ぐっすりと眠ることさえできなくなってしまいます」
「私たちの目的は、平和な心を持つ幸せな人間になることです。来世や神のことについて述べているのではなく、今ここにおいて平和で幸せな人間になることです」
「私たちは以前、外にばかり目を向けていましたが、今では多く人々が、内面的な心の平和を得ることに関心をいだくようになりました。心と生命研究所がこのような新しい認識を創り出してくださったことに深く感謝し、貢献してくださったすべての方々にお礼を申し上げたいと思います。そして今後もこの対話を続けてくださるよう、お願いいたします」
そして、「今後も時々、お目にかかりましょう。それまで、毎日毎晩、平和で思いやりのある心を育て、毎日毎晩、皆さんは幸せになるでしょう。ありがとうございました」と述べて、法王は対話を締め括られた。