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中国:核開発の拠点だった工場跡を 外国報道機関に初公開


1999年6月24日
毎日新聞

中国の核開発の拠点だった青海省海北チベット族自治州の「221工場」跡が、毎日新聞など外国報道機関に初公開された。

同工場は中国最初の核爆弾が開発、製造された場所。中国は1964年10月、同工場で製造された原子爆弾を使って初めての核実験に成功した。動工場では以後、23年間にわたり計16回の実験で使用する核弾頭を製造した。工場跡地一帯は未解放地域で外国人に開放されていないが、国内向けに観光地として衣替えする準備が進められている。[中国・青海省海北チベット族自治州海晏]

中国最初の核爆弾の開発、製造拠点だった青海省海北チベット族自治州の「221工場」跡。一帯は外部からは完全封鎖され、外国人が立ち入ることができなかった「地図にない町」だ。閉鎖から7年が経過しても、当時の施設が数多く残る。冷戦時代、核保有入りを急いだ中国の熱気が今も海抜3,300mの草原に漂っていた。

万年雪が見える晏連山脈と中国最大の塩水湖、青海湖にはさまれた丘陵地帯をはうように、さびた線路が四方に延びる。線路に結ばれ、点在する工場はいずれも核開発を支えた製造部門だ。

221工場の敷地総面積は1,170km2で東京都のほぼ半分。18の分工場から成り、第1分工場は無線装置などの部品製造を担当していた。レンガづくりの3階建ての工場施設の壁には「促生産、促戦備(戦争準備を進めよう)」との標語が残る。内部は撮影禁止だ。中に入ると、機材を移動させたクレーンや換気管がそのままになっていた。

小規模な起爆実験場施設は、資料やパネルなどを並べた展示館に模様替えされている。事務所棟や職者は1992年221工場が閉鎖後、州政府の役所や住居に転用された。

中国の核開発は55年、故毛沢東主席の指示で始まった。青海省が開発拠点に選ばれると、何もなかった草原は「原子城」(核の町)と呼ばれるようになった。約1,500人の技術者が全国から集まり、家族や労働者を含めて最盛期には人口30,000人に達した。

1964年10月、221工場で製造された原子爆弾は、新疆ウイグル自治区のロプノル実験場で初めて核実験に成功、国際的に孤立していた中国にとって、「自力更正」の道を進む大きな自信となった。核兵器開発は221工場に集中したため、米国は限定攻撃による破壊を計画したこともあったとされるが、1987年まで計16回の実験で使用する核爆弾がここで生まれた。

一帯は現在も未解放地域で、自治州の李三旦副州長は「観光資源として活用したいが、当面は外国人に開放しない」と話す。

中国は1996年7月、45回目の実験を最後に核実験凍結を宣言。しかし核兵器の開発は継続し、最近では核技術スパイ疑惑が米中摩擦を引き起こした。核開発の原点である221工場はその使命を終えても、中国の科学技術力をたたえる存在となっている。