(2008年3月22日 エポック・タイムス Phayul.com )
警察官が“暴徒”を装う姿が目撃された。
抗議行動が僧侶による平和的な抗議であったという事実の信憑性を傷つけるため、中国政府がラサでの暴動を演出していた証拠が出てきた。
ダライ・ラマ法王の中国語の通訳ガワン・ニャンドラは、「刀を手にしたラサの中国人警察官がチベット人になりすまして抗議行動に紛れ込んでいるのを見た」するある目撃者からの報告を受けた。この目撃者は、BBCのニュース映像と、中国が発表した報道写真の中に、自分が目撃した中国人警察官が写っていると証言した。
目撃者はタイ在住の中国人(匿名希望)で、3月の騒乱が始まった時、ラサを調査していた。彼女には地元警察で警官をしている友人がおり、この友人を訪ねてたびたび警察署を訪れるうち、他の警官とも顔見知りになっていた。
3月14日に抗議行動が発生した後、彼女と他の外国人は警察署に送られ、そこでナイフを手に持った男が逮捕されたチベット人と共に歩いているのを見た。その後、同じ男がチベット服から警官の制服に着替えてあらわれたのを見たという。
翌日、彼女と他の外国人は、ラサから退去させられた。その後、ネパール経由でインドに到着した彼女は、BBCのテレビニュース、ならびに中国大使館がマスコミ向けに発表した写真の中に、自分がチベットの警察署で目撃したチベット服をまとった警察官の姿があることに気がついた。
「彼女は、自分が目撃した警官がBBCで放映されたことにショックを受けていました」とガワン・ニャンドラは語った。
目撃者は、インドにあるチベット人団体に連絡をとり、自分が見たことを伝えた。この団体は、3月17日の集会の場で、中国大使館がチベット暴徒として公表した報道写真の中に、扮装した中国警察官の姿があることを公に発表した。
中国大使館はメディアに向けて、集会の前と後の2回、写真を公表している。しかし、17日の集会の後で発表された同じ写真ショットからは、以前写っていたはずの変装した警官の姿が消えていた。
ガワン・ニャンドラいわく、「この男が写っている写真は、中国大使館がBBCやラジオ・フリー・アジアに宛てて送付したものです。他の写真は、集会の後に送付されたものです。二つの写真は、全く同じ写真ですが、後から送付された写真にはこの男が写っていません」
「テレビ映像を見ると、この男は刀で他の人を刺そうとしています。しかし、その後のシーンを見ると、この男はいなくなっています。彼らは演技をしていたのです。人々がこうしたシーンについて疑問の声を上げ始めたあと、この映像はテレビで流されなくなりました」
一般市民の抗議行動の際に、中国共産党が暴徒に扮した警官を紛れ込ませて、暴力を誘発し、抗議者を陥れる、というのは今回が初めてではない。中国人ジャーナリストのTang Daxian氏は、著書の「Events in Lhasa March 2-10, 1989」の中で、1989年の暴動を鎮圧した際の中国共産党の陰謀を暴いている。
この本によれば、チベット人が平和的にデモをおこなった数日後、中国共産党当局は、多数の精鋭部隊と私服警官を送り込み、市民と僧侶が暴動をおこしたように見せかけた。かれらは、経典や仏塔を燃やし、穀物商店その他に押し入り強奪し、他の市民に略奪に加わるよう呼びかけた。その後、軍と警察が残虐な弾圧に乗り出したのである。
今年の抗議行動における暴動シーンは1989年の暴動に酷似している。20歳代の若者の一団が、組織化された様子で暴動を起こしている。彼らは、まず最初にスローガンを叫び、次にラモチェ寺近くで乗り物を燃やす。続いて近くの商店に押し入り強奪し、最後に多数の商店に火をつけた。
こうした行為は、よく計画され、お膳立てされ、ある程度のスキルを持った者たちによって遂行されているように見える。ラモ・チェ寺近くの交差点では、何者かが、前もって2-3kg程度の同じ大きさの石をたくさん用意していた。不思議なことに、膨大な数の警察官や町中を徘徊している覆面警察の誰一人として、この石について注意する者はいなかった。そして、大規模な軍隊、警察、武装者が「この日、治安を守るため」に武器を使用したのは、ごく「当たり前」のことだと言う。