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中国人拷問官に対するチベット人の哀れみ

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2002年3月21日
アムネスティ・アイルランド・マガジン 116号

ダプチ刑務所で殴られ、拷問されていた2人の若いチベット尼僧、チューイ・クンサンとパサン・ラモは、今年1月にアイルランドを訪問した。彼女等はその際、生まれて初めて海を見たということであった。チベット支援グループ・アイルランドのニール・スティードマンによる報告による。

殆どの西洋の刑務所では(キューバのキャンプ・エックスレイを含む)、その権力者達が囚人達の頭を剃るのが一般的だが、チベットの刑務所では中国人の権力者達は政治犯の髪を伸ばすように強制する。その理由は他の場合と同様、それが屈辱のプロセスの一部であるからである。チベット人政治囚達の殆ど全員は宗教的誓約の一貫として彼らの頭を剃っている僧侶や尼僧である。

何故チューイ・クンサンとパサン・ラモがそれぞれ4年間と5年間、刑務所に入れられた後、1999年にラサのダプチ刑務所から出された時に、長い髪をしていたかという理由はそれである。パサンは1994年4月15日に他4名の尼僧と、またチューイは1995年2月25日に他7名と共に、それぞれ平和的独立と宗教的自由を求めるデモに参加した。

”ダプチの尼僧達”の2人として、彼女らはアムネスティ・インターナショナルの良心の囚人であった。しかし彼女等は刑務所にいた時に、どんな郵便物も受け取ることを許されなかった。彼女等は1ヶ月に一度、5分のみ認可された親族の訪問を許可されているだけであった。その訪問の時も、低い場所にある小さな穴を通してしか対面できなかったのである。

しかし、これらの制限は、彼女等の受けた困難の中では最も軽いものであったのかもしれない。「ダプチの中で一番つらかったのは、私達が家畜用の電気棒で虐待された時の、絶え間ない殴打と拷問でした」と、尼僧達は説明した。「又、私達は1日中直射日光の下で立っているように強制されました。時には、水の入ったコップを頭に乗せて、両腕の下と両膝の間には新聞を挟みました。少しでも水をこぼしたり、新聞を落としたり、苦痛に苦しんでいる他の人達を助けたりしたら殴打されました。それから、『軍隊の訓練』を2〜3時間休みなくさせられました。時には小石の上を破れた靴や、裸足のままで走らされました」

彼女等が刑務所から出された後も、尼僧達の生活に劇的な変化が起こったわけではなかった。チューイとパサンは、彼女達の尼僧院に戻ることや、宗教的な教えの場に出席すること、又、社会的なイベントに参加すること等は許されず、常に権力者達からの弾圧をうけていた。彼女等の家族もまた同様であった。

従って、2000年5月、偽装を装うために長髪にしたまま、チューイとパサンは他2名の尼僧と共にチベットから脱出した。ネパールにたどり着くために、冬の雪の中、夜移動する旅を16日間続けた。その後も彼女等は、ダライ・ラマ法王と、自由が存在するインドのダラムサラへと次第に道程を進めていった。

証言の巡業

昨年、アムネスティはダプチ刑務所に入れられていた2人の亡命尼僧達、チューイとパサンに、ヨーロッパとアメリカでツアーを行うように提案した。彼女達は、チベットから脱出した数々の政治囚の中でも最も最近の人達であり、また、中国人権力者達が執拗にその事件の事実を否定している出来事、1998年5月の動乱と殺戮のピークの時期に、その刑務所の中にいたのである。チューイとパサンは、ヨーロッパとアメリカでのツアーの間、アムネスティと訪問先の各国のチベット支援グループによって支援される。スイスでは、彼女等はジュネーブで行われる国連人権会議において証言する予定である。

ダブリンでは、尼僧達はアイルランド人の支援者達によって支給されたブーツや帽子、コート等で装備をととのえて、アムネスティやフロント・ライン、チベット・サポートやパックス・クリスティによる支援のもと、中国大使館の前で「哀れみの祈祷者達」と題したキャンドルライトでの徹夜のデモンストレーションを行った。

私の質問に対してチューイとパサンは、2つの明確な返答を返した。
1つは、「もしも中国人達がチベット人に対して、自由な国民投票の実施を許可するならば、私達は100%の人々が独立のために投票するであろうということを確信している」というものである。
もう1つは、「私達が刑務所の中で殴られていた時でさえ、我々の信仰 によって、中国人の看守達が哀れだと感じました。一番重要なことは、哀れみをもつことです。たとえ私達が苦しんでいても、それは他の人々にとって有益なものとなり得るのです」と言ったということである。

中国共産党の権力者達は、いつになったらこのような教えを学び、チベット人、ウィ グル人、モンゴル人、そして、同様の信望と哀れみをもって自由と民主主義を待ち望んでいる中国人達を遇するようになるのだろうか?