東京
東京の冷え込んだ朝、ダライ・ラマ法王が世田谷学園に到着されると、学生服に身を包んだ男子生徒が長い列をなし、興奮抑えきれぬ様子で法王をお迎えした。どの列にもチベット国旗がはためき、校門には法王を歓迎する横断幕が英語で掲げられていた。教員らは同校の「Think & Share(智を極め、分かち合う)」という標語の下、3階の通路から法王のご到着を見届けた。
法王は前列に並ぶ生徒たちほぼ全員に挨拶をされ、何人かの生徒をくすぐったり、耳たぶをつかんだりしながら歩みを進められ、松葉杖をついた生徒の前では、かがんでどうしたのかと尋ねられた。後に法王は「皆さんの若く、弾けるような明るい顔のおかげで、私も若返ったようです!」と笑顔をこぼされた。
法王は袈裟を纏った年少の僧侶3人がお茶とお菓子を振る舞う中で、同校の教職員たちと会われた後、満員の体育館へ向かわれた。数年前に法王が同校を訪問された当時と同じく、30列ある体育館の座席はすべて法王のご登壇を待ちわびる生徒で埋め尽くされていた。「私は英語があまり上手ではありません」と法王は話を始められた。「それでも私は日本の学生の皆さんにもっと英語の勉強をするようにお伝えしています。英語ができれば、多くの人たちと直接話をすることができますし、より多くの人たちを助けることができるからです。そうすることで、自分に自信を持つこともできます。また外の世界を知ることで、皆さんの国がいかに恵まれた状況にあるかを知ることもできるでしょう」
そして法王は次のように続けられた。「若い皆さんは私たちの希望の源です。過去はすでに過ぎ去った時間であり、誰にも変えることはできません。しかし未来には希望と可能性があります」さらに法王が若かった頃、ドイツで起こったナチズムの台頭や日中戦争のことを振り返られ、暴力の連鎖を止め、世界平和のために私たちが積極的かつ具体的にできることは何かについて話された。「平和と幸せは簡単に実現できるものではありません。私を含め、ここにおられる年配の教職員の方々は、多分死ぬまでにその実現を見ることはないでしょう。しかし、若い世代の人たちが今この時から平和を実現するための努力を始めれば、おそらく30、40年後には、より平和な時代を見ることができるのではないかと思います」
法王は逐次通訳の間、生徒たちに目を向けられ、アイコンタクトを取ったり笑顔を見せたりされながら、生徒たちの反応を観察された。「暴力はいつも生命を破壊します。暴力に頼る人は、一時的に満足感を得るかもしれませんが、心の奥底では幸せではありません。おそらくそのような人たちは、気持ちよく人生を終えることはできないでしょう。私たちは誰もが問題を望まないにも関わらず、問題を起こしてしまうのはなぜでしょうか。それは、私たちが目先のことだけに捉われていて、狭い視野で物事を見てしまうからです。たとえ世の中の厄介者であっても、母親から生まれ、慈悲の種を持つ一人の人間として育てられたことには変わりありません。ですから、学校教育においては、物質的な価値のみならず、内なる心の価値についてももっと子供達に教えていくべきだと私は思います。そしてそれは、宗教的な観点からではなく、常識やすべての人に共通の体験、そして科学的実証に基づいてなされなければなりません」
法王との質疑応答では、最初は恥ずかしがっていた生徒たちも、あっという間に長い列を作り、40人以上の生徒が後ろの壁まで並んでいた。生徒たちの質問は、攻撃的な態度や怒りなどの欠点を改めるにはどうしたらよいのか、宗教は厳格であるべきか、人生の意味は何なのか、というものだった。そんな生徒たちの質問に対して、法王は明確で端的にお答えになった。法王は、どんな行いをするときでも、正しい心の動機を持つべきことを強調されて、自分の成功を願うあまり、相手の失敗を願うことは間違ったことであることを明らかにされた。また運命についての質問には、次のように答えられた。「業(カルマ)とは行為のことを意味しています。昨日までのあなたは、以前になした行いによって生じた運命の元に生きていました。しかし、今日のあなたは新しい行為をなすことで、昨日までの運命を変えることができるのです」
若い学生の一人が、どうしたら世界を変えられるかという質問をすると、法王は次のように答えられた。「まず、自分の心に平和を築くことです。そしてそれを、親しい友人や家族に広げていきます。すると、将来どんな仕事をしていても、平和な心を維持している限り、あなたのする行いは少しずつ確実に他の人たちの助けとなります。政界に入ったとしてもそれが必ず役に立つことでしょう!」
2時間以上にわたる講演が終了すると、法王は最前列の生徒たち一人ひとりに挨拶をされながら体育館を後にされた。そして同校関係者との昼食後、衆議院議員会館へ直行され、現役の国会議員たちとの会談に臨まれた。この日の法王は、日本の明日を担う若者たちに智慧を授け、今日の日本を担う政治的指導者たちが持つべきビジョンを語るという1日であった。
東京の超高層ビル街の中心地に降り立たれた法王は、集まった議員たちの拍手によって迎えられた。法王が建物の中に入られると、200人以上の国会議員たちが更なる拍手で法王を歓迎した。法王が日本の議会を公式訪問されるのは今回で3回目となり、回を追うごとに参加者が増えているとの報告があった。
以前ダラムサラを訪問した日本人議員の数人が第一声を上げ、チベットのリーダーである法王にお会いしたことが琴線に触れる尊い訪問であったこと、日本が世界平和のために果たせる役割について、そして日本とチベットの古くからの文化面におけるつながりを活かし、信仰と人道について考えるべきこと等を述べた。
壇上に立たれた法王は、そのつながりについてさらに話を進められ、続いてご自身の3つの取り組みについて説明された。まず第一は、一人の人間として世界の70億の人々の幸せを促進すること、次に一人の仏教僧侶として、世界に愛と慈悲、寛容さ、許しのメッセージを発信すること、最後に一人のチベット人として、政治的指導者としての立場を退いた今も、世界最古の文化の一つであるチベット文化、豊かな知的遺産と環境の保護に努めていることを伝えられた。
「政治的には私たちは独立を求めていません。経済またその他諸々の事情を考慮して、中華人民共和国の枠組みの中にとどまることに何の異論もありません」と法王は述べられた。しかしチベット問題は政治的な問題だけではない。そこにはチベット文化、言語、環境の保護と伝承の問題がある。議員たちの質問に答えられる中で、法王は、「私たちは中国の方々を心から尊敬しています。中国には5千年以上の歴史と文化があり、中国人は勤勉で、実利を重んじる方々です」と強調された。最後に法王は、日本チベット国会議員連盟発足のためにこれほど多くの国会議員の方々が集まってくださった理由は、チベットのためというよりも、正義と真実に対する地球規模の支援である、と述べられた。
法王が退室されると、議員らが次々と法王に手を差し出し、世界における法王のご活躍と今回のご訪問に対する感謝の意を表明した。