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パキスタンにおけるチベット文字の復活

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2002年3月28日
スカルドゥ(タイムス・オブ・インディア)

世界中でも例を見ないチベット語の筆記文字が、パキスタン支配下のカシミール辺境でゆっくりと復活している。同地での紛争の原因は、ウルドゥ人による支配だけではなく、イスラム教国とパキスタンはひそかに名誉を傷つけられているという疑いをもつイスラム教指導者や官吏などの影響によるもの。

スカルドゥを中心としたバルチスタン(Baltistan)地区は約300,000人の人々の故国だが、彼らの母国語はバルティー語と呼ばれるチベット=ラダック語族の言語。バルチスタン文化基金(以下、BCF)のサイード・アバス・カズミ Syed Abbas Kazmi は次の様に述べる。

「私たちはこの地区で6世紀以来、文字をもった唯一の民族だ。しかし、狭量なイスラム教指導者のせいで、チベット語を使うなと言われてきた」

その間、バルティー語が言語としてあるいは文学として発展しなくなるという結果になった。サイード・アバス・カズミは、古代チベット語によるケサル国王の叙事詩の、バルティー語版に関する小論文を書いた研究者である。

「ペルシャ語のアルファベットは通用しなかった。バルティー語の多くは書き記すことができず、私たちの言語は迷える動物のようになり、散文や詩はすたれてしまった」

パキスタンとロンドンにあるチベット基金、アガ・カーン文化局パキスタン支部とロンドンのチベット基金の協力を得て、サイード・アバス・カズミは1999年からチベット語の文字を復活する仕事に着手している。

BCF は初歩的なテキストを出版し、スカルドゥにある商店の看板をチベット語でかかげる援助を行っている。サイード・アバス・カズミがこの町にやってきた時、これらの看板は初めての外国人向け広告だった。彼は次のように語っている。

「私たちはいい評価を得ている。もちろん、看板が反イスラムだと感じるイスラム教指導者の強力な圧力団体もある。それに、看板がパキスタンからの分離主義を扇動すると感じている人たちもいる。しかし、私たちの目的はあくまで文化的なものだ。最終的に、私たちはバルチスタンの観光を宣伝したい」

チベット文字とは別に、BCF はバルティーの祭儀、音楽、舞踏をよみがえらせ、歴史的な建造物を修復する作業を始めている。

BCFがチベット語を支援し始めると、イスラム礼拝堂のドアに無記名のリーフレットが貼られた。サイード・アバス・カズミはこう語る。

「イスラム経典が禁じたことを復活させようとしていると脅迫された。この新しいプロジェクトを始める前に、いま私がやっていることは、まずイスラム教指導者のところへ行き、説明し説得することだ」

スカルドゥでは、多くの人がプロジェクトの具体性を疑っているが、BCFは感謝されながら仕事を行っている。ある本屋の店主が「数百年の歴史を取り戻すことはできないよ」と述べているが、彼は学校用のチベット語入門書がよく売れている、と付け加えた。サイード・アバス・カズミは自分がやっていることの政治的な意味合いを心得ているが、パキスタンの首都イスラマバードを恐れる必要はないと述べている。

「私たちはバルチスタンのためにいる。仮に私たちが合法的な権利をもっていないとしても、パキスタンは経済的な便宜を与えてくれた、電話、道路、学校などだ。でも、彼らは私たちが彼らを好んでいるほど、私たちのことを好んでいない。1988年にギルギットでシーア派の人々が殺されたことは、ここの人たちの心に傷を残した。それでもパキスタンは、まちがいなくカシミール問題を解決しようとはしないだろう」