(2009年3月10日 チベット亡命政権内閣(カシャック))
今日2009年3月10日、チベットは中華人民共和国(以下中国)のチベット侵略、弾圧に対する平和的民族蜂起から50周年を迎える。民族、宗教、政治のために命を犠牲にしたチベットの勇気ある人々、特に昨年の3月10日以降、伝統的なチベット三地方の各地で非暴力の抗議運動に参加し命を落とされた方々に対し、カシャックはこの記念すべき日に改めて敬意を表し、追悼の意を述べるものである。また、現在チベットで抑圧され精神的、肉体的に苦しむ同胞の皆さま、そして世界中の全てのチベット人に敬意を払うとともに、心からのご挨拶を申し上げる。
この50年でチベットでは様々なことが想像できないほど変化してしまった。中国政府は1948年にチベットを占領して以来、「反革命分子鎮圧運動」、「民主改革」、「階級闘争」、「文化大革命」、戒厳令の施行、インフラ整備、西部大開発などの威圧的なキャンペーンを、手を替え品を替え展開してきた。どの政策もチベットをおとしめチベットのアイデンティティを抹消するための企みである。それらのキャンペーンによってチベット民族が経験した筆舌に尽くしがたい肉体的、精神的な苦しみは、チベット人の心に決して消えることのない傷を残した。この不幸を二度と繰り返させてはならない。
圧政、拷問、欺瞞、プロパガンダ、洗脳など、中国政府がどのような手を使ってもチベット民族が内に秘める強さをくじくことはできなかった。それが証拠に、チベットの人々は今もなおチベットの信仰を守り、アイデンティティに誇りをもち続けている。そして何よりもチベット人のダライ・ラマ法王への絶大な信頼は三世代を通じ不動のものであり続けたのである。チベットの人々はその精神的な強さを心の中で育んできただけでなく、外の世界にも常にアピールし続けてきた。昨年3月にチベット各地で非暴力の抗議運動が広がったように、たとえ自らの命が危険にさらされることになろうとも、チベット人はその姿勢を保ち続けるであろう。チベット民族のこの確固たる姿勢は国際社会の注目と支持を集めるところとなり、それがまた私たちに新たな希望と決意をもたらした。“無知で遅れたチベットを、中国が「解放」し進歩をもたらした”、とか、“わずかな分離主義者を除いてほとんどのチベット人は中国政府と中国共産党を仏陀と崇めている”といった中国政府が掲げるプロパガンダが全く信憑性をもたないことを、一連の抗議運動が最も効果的に立証してくれた。チベット内のチベット人の勇気と決意は大変尊いものであり、それはこれからも生き続けると我々は信じている。
1959年、近隣諸国に亡命した10万人近いチベット人は、その当初気候の違いや言語の壁に戸惑い、生計を立てるのに大変な困難を強いられただけでなく、味方のいない外国人として苦しい立場に立たされていた。あらゆるものに不慣れで、「今までと変わらないのは天と地だけ」という古いチベットの諺をよく耳にしたものだった。しかしその後間もなく受け入れ先の国々にいくつもの居留地ができ、僧院や教育施設などが整備されていった。現在インド、ネパールそしてブータンに合計49カ所の居留地があり、大僧院、尼僧院、タントリック僧院を含む223カ所の僧院、伝統を重んじながら最新の学問を教える77カ所の教育施設、54カ所のヘルスセンターおよび病院、14カ所の高齢者施設が整備されている。それらの施設は個人の願いを実現する場として、あるいは生計を支える職場として機能している。それに加え、チベット亡命政権の代表事務所が世界中に11カ所ある。世界各地に亡命したチベット人はその先々でコミュニティーを形成しチベットのために貢献している。チベット仏教は栄え広く信仰されており、その結果世界中に数多くのチベット仏教センターも設立された。仏教センターは多くの人々に幸福をもたらすばかりでなく、国際社会のチベットやチベット民族への興味を高め、支持者を増やすことにも貢献している。チベット支援団体もその数を増やしている。
チベット民族とその文化を支援してくださる世界中の個人や団体の善意とサポートのおかげで、民主制の各国政府もまたチベットを支援しなければならない社会風潮ができた。その結果国際社会ではチベットに対する理解が深まり、多くの人々がチベットを支援してくださるようになった。我々亡命チベット人は大変な努力をしてここまで来きたが、全てはダライ・ラマ法王のご慈悲が常にチベット人と共にあったからこそ達成できたことなのである。チベット民族とダライ・ラマ制度の継承者の間にある神聖な繋がりはそれほど深く純粋なものなのだ。 ダライ・ラマ法王はチベットの歴史において容易ならぬこの時代に人間のお姿で現れ、世界中の人々の心を掴まれた。相互依存や非暴力の教えを説き、世界中の人が地球の一員としての責任を果たしていくことを呼びかけたダライ・ラマ法王の功績は高く評価され、ノーベル平和賞をはじめとする数々の賞や称号が様々な国の個人、団体、政府、議会、大学、地方自治体、NGO から授与されている。それがまた人々に幸福を与え、チベットにも恩恵をもたらしているのである。我々はこの記念すべき日にダライ・ラマ法王のすばらしい功績を改めて讃えたいと思う。
チベットの政治形態の真の民主化が実現されたことは特筆すべき成果である。堅固な民主的基盤ができたことで中国はチベット問題を無視できない立場に置かれることになり、世界もまたチベットに注目し支援することになったのである。
チベットの政治形態は今や真に民主化を遂げ充分に機能している。チベット問題が解決されるその日まで、チベット問題に取り組む政治的指導者を選出していく選挙システムも整った。中央チベット政権は、亡命チベット人によって自主的に支払われる税とコーパスファンドの利益で運営をまかなえるだけの財源も確保している。
大勢のチベット人が何世代にもわたって伝統的あるいは最新の学問を学べるようになったのもダライ・ラマ法王のご尽力のお陰である。学業を修めた者の多くは学者、技術者、役人、ビジネスマン、医師、看護士などの専門職に就き活躍している。専門職を身につけ、将来社会に貢献する人材を育てることに我々はこれまで以上に力を注いでいる。人材養成の基盤を整えることは将来のチベットの発展を支えるだけでなく、チベット問題に取り組むためにも重要なことだと考える。
ダライ・ラマ法王は著名な科学者たちとも長く親睦を続けておられ、対話や意見交換を通じて仏教と現代科学の間に親密な関連性を見いだす基礎を築かれた。
チベットの宗教、文化、そしてそれらの基礎であるチベットの言語が国家を脅かすものだとして中国指導部はそれらを一掃しようと躍起になっている。しかし実際は、どれもチベット人コミュニティーの中にとどまらず、世界中で育まれこれまでになく広まっている。このような素晴らしい環境を整えてくださったのもダライ・ラマ法王である。我々はいくらお礼をしてもしつくせない程の施しをダライ・ラマ法王からいただいているのだ。平和的民族蜂起から50周年を迎えた今日、カシャックはチベット内外のチベット人を代表してダライ・ラマ法王に感謝の気持ちをお伝えするとともに、これからも末永くご健勝であらせられるようお祈り申し上げる。
カシャックは、この由々しき事態にダライ・ラマ法王のお導きのもと、様々な困難に立ち向かうために身を粉にして働いてきた亡命政府職員の方々にも感謝の意を述べさせていただく。
中国指導部に繰り返しお伝えするが、ダライ・ラマ法王こそが我々チベット人の最高指導者であり600万人のチベット人を代弁する方なのである。
文明社会においては、市民の代表は民主的に選出されるべきで、特定の人物が押し付けられるべきではない。チベット内のチベット人に発言の自由が認められたなら、「600万人のチベット人を代表する指導者は誰か」という問いに対して即座に明確な答えが返ってくるだろう。いや、チベット人の答えは昨年3月、言論の自由のない状況の中でもはっきりと示されていた。ただ中国の指導者らが鈍感で、断固として事実を受け入れようとしないだけなのである。一般大衆はそのようなことでは欺けない。
中国政府は政情不安をもたらしチベットを大混乱に陥れようと企んでいる。根拠もなくダライ・ラマ法王を誹謗中傷したり、「愛国再教育」や「厳打キャンペーン」を展開し僧侶や尼僧、在家に精神的および肉体的苦痛を与えたり、チベット人の感情を無視し、何百万というチベット人が「解放」された3月28日を「農奴解放記念日」として祝うと宣伝してみたりするのはどれもその明らかな証拠である。チベット人がそれによって扇動され表立った抗議運動を起こせば中国指導部には圧倒的な力をもってそれを取り締まる言い訳ができるわけだ。
20世紀半ばチベットの小作農と中国の小作農の間にはさほど差は認められなかった。むしろチベットの小作農の方がより自由で快適な生活を享受していたくらいである。中国が国際社会に向かって、“伝統的なチベット社会には中世の中国やヨーロッパに見られた封建制度や農奴制のような制度がはびこっていた”と公言しているがそれは大きな嘘である。チベット人の大半は手工業、農業、牧畜業で生計を立てており、わずかな税金の支払いと地域の共同作業への参加が義務づけられていた以外に、法外な要求を強いられることはなかったのである。チベット人は極端に富むことも逼迫することもなくそれなりの生活を営んでいられたのだ。チベットの小作農は三種類に分類される。国の土地に属する者、個人の領主のもとで働くもの、そして僧院が管理する土地に所属する者である。どの場合も奉仕の見返りとして領主が小作農の福利厚生の世話をしていた。1959年以前のチベットには、小作農の自由が奪われその生活が脅かされるような時代は一度もなかったのである。人々が飢饉に苦しむこともあり得なかった。
亡命生活をするチベット人の大多数も、過去20年間に命がけで越境したチベット人のほとんども小作農や遊牧民、手工業従事者や小規模な稼業を営む者たちだ。領主が亡命したケースは稀である。昨年チベット全土で起きた非暴力の抗議運動に参加したのも小作農や遊牧民たちであり、領主の家系を継ぐ者はほとんどいなかった。中国政府の言う「解放」後にチベット人「農奴」が幸福に満足な生活を享受してきたのなら、そして「農奴解放記念日」が祝う価値のある日であるのなら、なぜ彼らはチベットから亡命しなければならなかったのか?なぜ彼らは大規模な抗議運動に参加しなければならなかったのか?
チベットの宗教や文化は世界に貢献できるものであると自負しているが、それが保護され将来発展していけるかについても我々は憂慮している。伝統的なチベット社会のすべての側面が誇れるものではなかったことは我々も承知しており、亡命チベット人社会では時代遅れの社会的、政治的制度は全て改める努力がなされている。
大規模なプロパガンダの一環として中国政府はチベット内の刑務所とそこでの処罰の公開を企画している。しかし中国政府がプロパガンダのためにしばしば登場させるラサの Nangze Shar 刑務所は収容人数20人以下という規模のものだ。1959年以前のチベットなら、チベット全土でも囚人数が100人を超えることは稀であった。しかしいわゆる「解放運動」の後チベットの「農奴」が「解放」されると、チベット中に刑務所が必要になった。ラサの刑務所の規模の変化と囚人数の推移だけを見ても、チベットの歴史上最も抑圧が厳しく暗い闇に包まれた時代がいつであるかは明らかである。この21世紀の情報社会で、「嘘も百回つけば真になる」という空論はもう成り立つまい。
1970年代前半、ダライ・ラマ法王は熟考と検討を重ねた結果、チベット民族と中国人民双方が平和に共存していけるよう、そしてまた中国の枠組みの中でチベット民族の希望が実現されるよう、中道政策を提唱された。ダライ・ラマ法王の提案は正式な討議を何度も経て、当時の亡命チベット代表者議会やカシャックを含む亡命チベット人の代表者の承認を得た。1979年、中国の最高権力者であった故トウ小平氏が「独立の話以外ならどの問題も話し合いで解決できる」と提案した際、チベット側には既にそれに応える準備が整っていたのだ。
それから何度も会談が行われ現地調査のための代表団も派遣されたが、具体的な結論には至らず交渉は決裂した。その後8年間二国間の接触は断たれてしまった。2002年に交渉が再開されてから、“一つの公式ルート、一つのアジェンダ(議題)”のポリシーに従って8回の公式会談と1回の非公式会談がもたれた。これらの会談は、お互いの意見と立場への理解を深めただけでなく、ダライ・ラマ法王が提唱される中道政策の本質を明確に示すよい機会にもなった。
ストラスブール提案に関して中国政府が示した懸念と問題点については、我々は新たな文書をもって応えた。第7回会談の中国側の要請に応え提出されたのが「全チベット民族が名実共に自治を享受するための草案」で、中華人民共和国憲法に則り作成されたものである。この文書は2008年10月31日、第8回目の会談で中国政府に提出され、既にチベットおよび中国で公開されている。この草案は中国が憂慮していることを充分に考慮し、中国に歩み寄るかたちで作成されたチベット側からの最終要求である。草案に記された要求の一部たりとも譲歩することはできないし、譲歩する必要もない。というのも草案に盛り込まれた項目は全て中国憲法および民族区域自治法の条項の枠組みを踏まえて作成されているからである。違憲、違法な要求は一切盛り込まれていない。
もし中国が自らの憲法や法律を遵守しないというのであれば我々には成すすべもない。しかし現中国政府がその憲法、法律、法規を尊び守るというのであれば、我々が提案する草案もまた受け入れられるべきなのだ。法に基づく理にかなった根拠もなく、“草案は「半独立」、「偽装した独立」、あるいは「明白なる独立」を要求するものだ”と非難しているが、まともな方々の言葉とは到底考えられない。
昨年チベッットは政治的激変に見舞われ、中国チベット間の対話でも何ら具体的な結論を得られなかったことを受け、ダライ・ラマ法王は将来チベットがとるべき道について再度人々の意見を求めるため、亡命チベット人による特別総会を招集された。特別総会は亡命チベット人憲章第59条に基づいて昨年11月に行われ、およそ600人の亡命チベット人代表が参加して6日間にわたり幅広い討議を行った。亡命先のチベット人から書面で意見が集められたのに加え、チベット内からも意見を収集するためにあらゆる努力がなされた。
特別総会の結果、80パーセント以上の人が中道政策の継続を支持するという結論が得られた。チベット支援団体についてもほぼ同様の結果で、大半は中道のアプローチに賛成であった。中道政策への人々の承認が得られた今、我々は自信を持ってこの政策を推し進めていく所存である。これで、先に述べた草案について中国政府と討議を継続する準備も整った。草案の中に中国側にとって不明瞭な点があれば明確になるまで説明しよう。全てのチベット人にとって意義のある民族区域自治の実現を目指し我々は努力を続けるつもりだ。交渉が継続されるか否かは中国政府の姿勢にかかっており、その全責任は中国側にある。
中国人民に対しては、中国政府の大掛かりな宣伝活動に惑わされることなくチベット問題を正しく理解していただくために我々はこれからも直接働きかけをしていく所存である。
この数ヶ月間チベット内では中国当局による抑圧的措置が強化されており、人々は苦しい生活を強いられている。それが原因で新たな抗議運動が起こることを憂慮し、カシャックは今年1月29日と2月21日に声明を発表し、平和と安寧が保たれるよう国際社会、中国当局、そしてチベット内外のチベット人に呼びかけた。ダライ・ラマ法王もチベットの新年にチベット人に対し同様のメッセージを送っておられる。我々は全てのチベット人に平和と社会の安寧を維持するために最善の努力を払うよう訴えるとともに、中国政府に対しチベット人に対する肉体的、精神的攻撃を直ちに止めるよう要請する。平和を愛する世界中の皆さまにはチベットの現状に目を向けていただき、中国当局が節度ある振る舞いをするよう働きかけをお願いしたい。
ダライ・ラマ法王のおっしゃる通り、我々は「最善を望んで最悪に備えなければならない」。真にチベット問題が解決されるその日まで、全てのチベット人が過去50年の経験を踏まえ、固い決心をもって非暴力の道を歩んでいけるよう、その方法を模索ししっかりとした心積もりでいなければならない。
カシャックはこの場を借りて、チベットを支援してくださる世界中の政府とその国民の皆さまにお礼を申し上げる。特にインドの方々の厚い好意に対しては心からの感謝の意を表するものである。最後にダライ・ラマ法王のご長寿を祈り、法王の願いがすぐにでも現実のものとなるようにお祈り申し上げる。世界中のチベット人が再びチベットの地に集い、共に祝える日が一日も早く訪れることを願って。
カシャック
2009年3月10日
(翻訳:中村高子)