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チベット民族平和蜂起63周年記念日における中央チベット政権内閣の声明

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2022年3月10日

63年前の1959年3月10日、中国政府によるチベット占領に対し、ラサのチベット人が平和的な抗議のために立ち上がりました。また、2008年3月からチベット全土で展開されたチベット人による非暴力抗議デモから14周年にあたります。私たちは、私たちの精神的・政治的大義のために命を捧げたチベットの勇者たちに敬意を表し、チベットで大きな抑圧を受け続けているチベット人たちと連帯します。

チベットの長い歴史の中で、三大法王の時代に覇権を握りました。チベット仏教は、東アジアにおいて、モンゴルの軍事力や中国の政治力に匹敵する影響力を誇り、その後も勢いが衰えることはありませんでした。チベットは、モンゴル帝国をはじめ、中国の明王朝、満洲の清王朝らと施主とラマ(先生)のような関係を築き、相互の尊敬と調和を保ってきました。

1949年10月1日、中国共産党が政権を握ると、いわゆるチベットの「平和的解放」を宣言しました。その直後の1950年、中国共産党軍は圧倒的な軍事力を行使し、チベット東部・チャムド市に攻め込み、チベット軍を撃破しました。翌1951年には、チベットに17ヶ条協定への署名を強要し、チベット全土は初めてその占領下に置かれることになりました。ダライ・ラマ法王とチベット政府は協定に基づき、中国政府との協力に努めましたが、中国軍の絶え間ない弾圧により、平和共存の基盤は打ち砕かれました。そして、ダライ・ラマ法王は、約8万人のチベット人と共に、やむなく亡命することになったのです。

その後20年間は、チベット史上最悪の暗黒時代でした。1956年、チベットのカム地方とアムド地方で「民主改革」が始まり、僧院は破壊され、活仏や僧侶は逮捕されました。当時、中国政府には民族問題に対する明確な方針がありませんでした。しかし、1958年にアムド地方のヤズィで起きたチベット人とサラール人の反乱をきっかけに、毛沢東が「民族問題の本質は階級問題である」と指摘すると、その状況は一変しました。そして、反乱鎮圧、民主改革、文化大革命の名の下に、残忍な作戦を延々と繰り返したのです。それが、120万人のチベット人の死と6,000以上の僧院の破壊につながる、チベットにおける文化的虐殺の始まりでした。

1980年代に入ると、中国では改革開放政策が始まり、82年憲法(中華人民共和国憲法の第四次改正)と民族区域自治法が発表されました。さらに、チベット自治州と県における一連の規則の採択は、僧院の復興、僧尼の宗教研究の復活、チベット語の普及、チベット人幹部の育成、土地所有などの自由主義政策の実施を保証する法的な裏付けとなりました。同様に、インドからのチベット実態調査団や探索団の派遣、チベット人が家族や親族に会うためのチベット開放も、チベット問題の解決に一筋の希望の光を与えるものでした。

しかし、胡耀邦ら自由主義的な中国指導者の粛清、パンチェン・ラマ10世の急逝、ラサでのチベット人の平和的抗議行動を弾圧する戒厳令の発動、天安門での学生民主化運動の鎮圧、チベット政府と中国政府の対話の行き詰まりなどにより、チベットを取り巻く状況は悪化していきました。特に1990年代以降、中国政府はチベットの支配を強化するために強硬な政策をとりました。チベットのインフラ整備を口実にして、中国人のチベットへの人口流入を加速させ、チベット地域の行政機関に中国人幹部を増員したのです。同様に、義務教育を隠れ蓑に、僧籍の抹消、民主管理委員会による僧院管理の強化が行われました。

西部開発計画がはじまると、中国によるチベットの支配はより容易になりました。中国人移民の利益と、チベットの鉱物資源の開発のために、大規模な開発計画が進められました。二言語教育という名目で中国語を普及させ、チベット語をさらに弱体化させました。中国政府は、チベットの人々を支配するために、活仏の生まれ変わりを選ぶ正当な権限を奪い取る政策を進めました。

これらの政策は、2008年にチベットの伝統的な3つの地方の全域で起こったチベット人による前例のない平和的抗議行動の際にピークを迎えました。中国政府はこの蜂起を残忍に弾圧し、数百人のチベット人が死亡、数千人のチベット人が逮捕されました。その結果、人民解放軍の配置が大規模になり、チベット人の移動が制限されました。学校では中国語を使用言語とする政策が進められ、僧院では「愛国教育」キャンペーンが強化されました。その結果、2009年以降、チベット各地で156人のチベット人が、ダライ・ラマ法王のチベットへの帰還とチベット人の自由を求めて焼身自殺を行ないました。2010年には、中国とチベット間の対話プロセスも膠着状態に陥りました。

現在、私たちが最も懸念しているのは、チベットでは新世代のチベット人たちの組織的な中国化が進んでいることです。2011年、中国共産党の一部の政策顧問は、民族区域自治法を廃止し、いわゆる「第二世代民族政策」を採用し、56の民族のアイデンティティを弱め、単一の中国民族のアイデンティティを強化するよう呼びかけました。少数民族への優遇政策の撤回、民族同化の促進、中国語使用の強制、民族学校の閉鎖などを求めたのです。これらの施策は、現在、チベットで実際に行われています。

2012年、中国政府は村の小学校を全寮制に統合するという政策について、中国国内で強い抗議があり、撤回を余儀なくされました。しかし、2015年、中国国務院は、少数民族地域の子どもたちに全寮制で学び、生活し、育てられることを義務付ける命令を出しました。2019年には、チベットの全生徒の約78%が寄宿舎での生活を強制されたと言われています。

同様に、2021年8月、中国教育省は、第14次5カ年計画期間中に「未就学児童の共通言語統一化計画」を少数民族地域と農村部の全域で実施するとの法令を発布しました。これは、義務教育のための良い土台とされるものを築くために、就学前の子どもたちに話しことばと書きことばとして、北京語を学ぶことを義務付けているのです。同様に、チベット地域の政府職の採用試験の使用言語も、チベット語から中国語に変更されました。

チベットの子どもたちから、アイデンティティ、文化、宗教の中核をなす言語を学ぶ権利を奪う、このような政策は、今後20年の間に、重大な影響を及ぼすことになるでしょう。

自国語を学び使用する権利を組織的に奪うことは、中国の憲法や民族区域自治法にも明記されている少数民族の権利を著しく侵害するものであります。また、2018年9月に中国・長沙で開催された「世界言語資源保護会議」の宣言、先住民族の権利に関する国連宣言、市民的及び政治的権利に関する国際規約など、言語の保護に関する国内外のさまざまな宣言に、中国政府はサインしていながらも、違反していることは明白です。

中華人民共和国の憲法は、民族の平等を掲げ、少数民族の基本的権利を保障しているので、私たちはこれを尊重します。しかし、中国語を普及させるために、中国の全国人民代表大会常務委員会は2021年12月、民族の自国語教育権に関する憲法規定を廃止しました。これは、中国憲法の原則を著しく誤って解釈し、乱用したものです。

私たちは中国の人々とその文化に敬意を表します。しかし、私たちは自分たちを中国の一国民であると認めることはできません。なぜなら、チベット人は6つの原始的な部族の子孫であり、ボン教の伝統と仏教に深く影響を受けた文化を持つ独自の民族だからです。

もし、中国政府がチベット人の中華人民共和国に対する愛と忠誠心を獲得したいのであれば、自国の憲法を尊重し、チベット人への人権弾圧とチベット人のアイデンティティを根絶しようとすることをやめるべきです。チベット人と中国人は、調和と相互扶助のもとに隣人として暮らしてきたという歴史的事実を受け入れるべきです。チベット人と中国人の間に敵意を生むような考えや行動をやめ、チベット人の願いに目を向けるべきなのです。

チベット人はこの63年間、自分たちの真の願いを明らかにしてきましたが、中国政府はそれに反する政策を取り続けてきました。現在、インフラの整備や自然保護区の設立の名目で、チベットの遊牧民や農民は移住を余儀なくされ、伝統的な生活環境を強制的に変えられています。また、移住は、貧困の緩和や「農村余剰労働者」の訓練や転向という名目で推し進められています。同化政策の一環として、チベット人学生は、中国で働くために送り出されます。同様に、チベット人と中国人の結婚も、「民族融和の模範的事例」というスローガンのもと、奨励されています。

無神論者の中国政府は、チベット仏教の輪廻転生の伝統に干渉し、僧院を管理し、僧侶と尼僧の学術研究と自由な移動を制限し続けています。中国政府は「チベット仏教を社会主義社会に適応させ、中国式で発展させる」という旗印の下、オンラインでの宗教コンテンツの発信を禁止し、カム地方ドラクゴ(ダンゴ)の仏像の取り壊しやカルマル僧院の強制閉鎖を行ないました。同様に、ゴ・シェラブ・ギャツォ氏をはじめとするチベット人知識人、作家、教師、学生、人権活動家や環境活動家に対する恣意的な逮捕・投獄も絶え間なく続いています。また、中国国内のチベット仏教の寺院や仏塔が破壊され、伝統的な建築物やチベット語の文字、壁画が剥がされていることも報告されています。

中央チベット政権は、チベットの将来の展望について、中道アプローチに基づく対話、特に中国政府に誤った政策の是正を求めることによって、相互に合意できる解決策を見出したいと考えています。我々は、平等、友好、相互利益に基づく永続的な解決策を模索するための議論に参加する準備ができています。

チベット問題が解決されるまで、私たちはチベットの同胞の自由な代弁者として、現在進行中の中国政府によるチベット人のアイデンティティに対する弾圧と虐待を、V-TAG(と呼ばれるチベット人自身による主体的な支援活動)など結果重視の手段を用いて、世界の議会、政府、シンクタンク、メディアの目に触れるようにあらゆる努力をしていきます。

中国の弾圧にもかかわらず、チベット国内のチベット人は、自分たちの宗教、文化、言語を守り、自然環境を保護するという、ゆるぎない決意と勇気を持っています。その精神が、私たちの決意を支えているのです。チベットの同胞が担っているのは、中国の憲法にものっとっている基本的人権への責任です。したがって、我々のアイデンティティを保持する権利のため、揺るぎない決意をもって闘いを続けることが最も重要なのです。中国政府のチベット政策を念頭に置きながら、亡命チベット人は自分たちの文化とアイデンティティを守るために、より一層の努力をしなければならないのです。

亡命チベット人は、ダライ・ラマ法王14世の指導とリーダーシップのもと、実効性のある行政を構築し、素晴らしい成果を上げています。それを維持するために、私たちは努力し続けなくてはいけません。

この場をお借りいたしまして、この60年間、チベットの大義を支えてくださいました諸外国、とりわけインドの中央政府、州政府、チベット支援団体に、心から感謝申し上げます。また、米国政府が、新しいチベット問題担当特別調整官を任命されたことに感謝いたします。私たちは、志を同じくする国々に、チベットの真の歴史的地位を認識していただき、チベット問題を解決するための「中道アプローチ」を支持いただけるよう、強くお願い申し上げます。

国連人権高等弁務官のミシェル・バチェレ氏が5月に新疆ウイグル自治区を訪問する予定ですが、同氏にはチベットも訪問していただくようお願い申し上げたく存じます。

2月25日にラサで焼身自殺した26歳の有名なチベット人歌手、ツェワン・ノルブ氏の冥福を心より祈ります。中国政府による厳しい規制と監視のため、彼の容態を確認することはできませんでした。私たちの闘争におけるこの重要な時期に、一人の愛国的なチベット人の命が失われることは、私たちの大義にとって取り返しのつかない損失です。すべてのチベット人一人一人の命は尊いものです。我々は生きて、自身の精神的、政治的大義に貢献していかければなりません。

また、私たちは、ウクライナへの侵略に端を発した戦争の影でこの日を迎えました。我々は、この紛争で亡くなられた方、負傷した方へ祈りを捧げるともに、200万人を超えるウクライナの難民の皆様と連帯します。また、世界的なパンデミックをはじめとする人為的な紛争が直ちに終結し、人類が平和で幸せに暮らせるようになることを祈ります。

最後に、ダライ・ラマ法王のご長寿と、ご誓願がおのずから叶うことを祈念いたします。チベットの大義の真実が勝利しますように。

 

中央チベット政権 内閣
2022年3月10日

 

注: これはチベット語による声明英語翻訳からの和訳です。内容不一致が生じた際はチベット語版を優先し正式なものとします。

(翻訳:Naoko Watanabe)

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