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チベット亡命政権発表  ー チベットからのレポート(10)

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(2008年3月26日 チベット亡命政権)

以下は、チベット亡命政権が、信頼できる関係筋から入手した報告である。

2008年3月26日

■ ラサで厳しい取締りつづく
ツクラカン寺(別名:ジョカン寺)とバルコル(ツクラカン寺をとりまく寺町エリア)は、ひきつづき軍隊によって封鎖されている。

ラサ市内の商店は、中国人経営の数店をのぞいて、どこも店を閉ざしている。

子供に付き添って学校に赴いた親たちは、強制的に帰宅させられた。

■ チョーキ僧院(Drakgo郡)の僧侶たちは、中国当局によって強制的に寺を追放された。ンガゴン尼僧院の尼僧たちへの逮捕がひきつづいて行なわれているが、多くの尼僧が逮捕を逃れた。
(Drakgo郡 (中国名: Luhuo), Karze “チベット自治県,” 四川省)

Drakgo郡の一般世帯や僧院は、中国軍による乱暴な捜索を受けている。

多数の僧侶、一般人が行方不明となっている。

3月24日、Tehor 町(Drakgo郡)とその周辺の僧侶、尼僧、一般人が大規模な抗議行動をおこない、クンガ(21歳、チョーキ寺の僧侶)が中国軍に射殺された。軍は彼の遺体を運び去ろうとしたが、多数の抗議者が遺体を守り安全な場所に隠した。3月25日、中国軍と警察は、クンガの遺体を寺院から強引に運び去り、近くで火葬した。

チョーキ寺の僧侶らは死亡した僧侶のために祈りを捧げていた。この時、外に相当数の抗議者が集結していたため、彼らはこの機に乗じて抗議行動をおこした。これに他の一般人が加わり、抗議は規模と激しさを増していった。抗議者らは郡庁舎を目指して進んだが、おびただしい数の中国軍によって阻止された。

抗議行動を終結させようと、軍が空に向かって発砲。しかし、抗議者の決意は固く、抗議行動が続けられた。抗議者に銃口が向けられるなどして緊張が高まったため、僧侶と一般寺院は人間の盾となって、道に横たわった。抗議はその日の午後、僧侶と一般人自身がこの場を離れることを決意したことで終息した。抗議行動中の逮捕者数、死傷者数の詳細は不明。

3月25日夜、チョーキ寺は中国軍に包囲され、数名が逮捕された。逮捕者の氏名は、

  1. ケツン・チョック(チョーキ寺の前副僧院長)
  2. シェラブ(Jangchup ling村出身の僧侶)
  3. タシ(Gorong村出身の僧侶)
  4. ンガゴン尼僧院の尼僧 数名
2008年3月25日

■ ラモチェ寺の僧侶の遺体が家族のもとに返された。僧侶の死因に関し、中国当局は何も説明していない。

以前の報告にもあるが、ラモチェ寺をはじめとする多数の寺院を、中国当局が厳重に封鎖しているため、食料と水の供給が滞り、深刻な事態を招いている。この結果、3月24日、ラモチェ寺のロブサン・トクメーが死亡した。
3月25日、中国当局はロブサン・トクメーの遺体を家族の下に返した。しかし、死因についての説明は一切なかった。

■ 郡庁舎前で、数百人が抗議
(Tsegor (中国名: Xinghai) Thang 郡, Tsolho “チベット自治県” 青海省)

Holkha町(Tsegor郡)のチベット人が、郡庁舎前で、午前10時頃から大規模な抗議行動を開始した。抗議は、午後1時頃まで続いた。
抗議では、「平和、民主主義、自由、犠牲者と共にある」と書かれたチベット語の旗と、「チベット弾圧をやめろ」と中国語で書かれた旗が目撃されている。

※文中で使用されている地名につきましては、翻訳の時間的制約により、現地からのレポートのまま、ほとんどがチベット語地名の音読表記となっております。現在の正確な中国地名に置き換えておりませんことをご了承ください。