2024年12月26日
徹底調査によって明らかにされた、チベットにおける言語と文化の抑圧の実態に懸念が広がる

ダラムサラ:現地からの報告によると、中華人民共和国(PRC)政府の組織的取り組みによって、チベット語が教育機関から排除されるという事態が続いており、さながら「第二の文化大革命」の様相を引き起こしている。ここ数ケ月間、大学入試からチベット語が排除されるかもしれないという話が持ち上がり、チベットの学生、芸術家、教育者の間に不安が広がっている。
大学入試からチベット語が排除される可能性
チベットからのソーシャルメディアへの投稿によると、2025年度の大学入試からチベット語は使われなくなるということだが、一方で選択制になるという見方もある。大学や高校に通うチベット人の若者たちは、チベット語をチベットのアイデンティティの「生命線」に例えて、それがチベット文化においてどれほど重要な役割を果たしているかを強く訴えている。チベット各地で芸術活動に従事するチベット人は、とりわけこの問題に注目しており、公に懸念を表明している。
中国政府は、この件についての国民の言論統制を非常に戦略的に行っている。大学入試からチベット語を排除することについての公式発表は行われていないが、過去の例を見ると、政府は物議を醸すような政策を実施する際には、まずソーシャルメディアを使って国民の反応をテストし、その後で地域の指導者を逮捕・脅迫するなどして反対意見を封じ込めることが多いのである。
さらに、元中国語教師で、現在はキャリア・カウンセラーを務める女性は、12月12日のオンライン投稿で、チベット語は中国の大学入試から排除されたわけではないと述べている。2025年度の大学入試では、中国語での試験が同年6月7日に実施されることになっており、いわゆる「(チベット)自治区」のチベット人学生は、6月9日にチベット語の試験を受ける必要がある。チベット語は、この国の重要な国語であるのだから、排除されるはずがないと、その女性は強調している。しかし、調査によれば、中国政府が様々な方法を駆使してチベット語教育を計画的に排除しようとしていることは明らかである。
チベット語教育の組織的解体
2021年以降、当局はチベット語を専門に教える僧院内の私立学校や小学校の多くを強制的に閉鎖してきた。2024年7月12日、中国政府はアムドのゴログ市で、受賞歴もあるジグメ・ギャルツェン民族職業高等学校の強制閉鎖を命じた。これ以前にも、約500人の生徒が通うタクツァン・ラモ・キルティ僧院学校への規制が徐々に厳しさを増し、ついには6月に閉鎖されるに到っている。2021年10月31日には、ドラクゴ(ダンゴ)僧院のゲデン・ナンテン仏教学校が閉鎖されたうえに、教室、寮、その他の施設も取り壊された。また、ゴロク市タルラク県センドゥク・タクツェ学校も余波を免れ得ず同様の憂き目に遭い、続いてマチェン県のチェリッシュド・チルドレン・スクールも廃校となった。
2022年にはさらに取り締まりが強化され、カンゼ全域で3校が閉鎖を余儀なくされた。閉鎖された3校は、ザクホグ県のフェンデ・ケア・スクール、チャクツァン・センター付属の私立小学校、およびテホール・デルゲ・ロンパツァ地域のギャルテン・ファンデーション・スクールである。匿名を条件にラジオ・フリー・アジアの取材に応じてくれたチベット人教師は、これらの学校はチベット語の専門教育プログラムを実施していたために、ことさら標的にされたのだと明かした。どの学校も運営に必要な政府の承認と許可を全て得ていたにもかかわらず、このような事態に陥ったのである。
2024年7月にアバ県民族宗教委員会が発表した情報によると、タクツァン・ラモ・キルティ僧院学校が廃校となったのに先立って、アバ県内の69の小学校が全面閉鎖され、8校が他の学校に統合され、33校がアバ県の第14次五ケ年計画に従って教育システムを変更させられた。これら一連の措置に続いて、中国政府は僧院内のチベット語学校への取り締まりをさらに強化したのである。
国家が義務づける文化的同化
中国政府が最近発表した白書「新時代のチベット統治に関する中国共産党の政策:取り組みと成果」には、チベットにおける「戦略的任務」についての説明があり、(チベットの)民族的アイデンティティよりも「中国の国家統一」が強調されている。これを見ると、中国政府が民族と宗教の保護を表明しつつ、一方では文化的同化政策を強化していることが明白である。中国政府は、教育、宗教機関、日常生活への統制を強めることで、伝統的なチベットの言語、文化、アイデンティティを弱体化させようとしている。同化に関する明確な文言が公式文書に登場するのは2021年以来のことであり、政策が大きく転換したことを示している。口では民族調和という目標を唱えながら、実際には学校や寺院での言語教育に対する統制を厳格化して、チベットの文化的自治を狙い撃ちにするという明らかに矛盾した政策である。
さらに青海省の都市部では、地方政府によって、店舗や公共スペースにあるチベット語の標識が漢字のものに置き換えられている。
強制的な教育改革と学生の抵抗
中国政府は2014年頃から、チベット全域に寄宿制学校を設立しており、現在4歳~18歳までの約100万人のチベット人児童が強制的に入学させられている。彼らは家族と引き離され、自分たちの宗教、文化、言語を学び、それらに親しむ機会と場所を奪われている。チベット人の子どもたちは、中国語の個別指導と「愛国教育」によって、幼い頃から重点的に中国のナショナリズムと中国語の基礎を叩き込まれる。このような政策は幼児教育にも及んでおり、現在小学校に入学するためには、中国語の幼稚園への入園が必須条件とされている。これだけに留まらず、政府はチベット語を軽視しながら、日常生活での中国語の使用を増やすために、あらゆる政策を重ねている。
2015年に注目すべき事件が起こった。歴史的にカムの一部であったユシュ(中国名:玉樹)で、僧侶が運営する、チベット語を教える幼稚園が当局によって閉鎖されたのである。強制閉鎖は地域内の他の僧院、私立学校と教育機関にも及んだ。この政策に対して抵抗運動がおこり、青海省に編入されているマロ(中国名:黄南)チベット自治州の高校生が2015年3月に、チベット語を使う権利を守るために抗議のデモ行進を行った。かつて2010年10月19日にも、レプコン(中国名:同仁)で3つの高等学校の生徒たちが中国語による教育への移行に反対し、言語権を主張して、マロの教育庁で抗議デモを行ったことがあった。
抗議を行った学生たちが特に反対していたのは、専門科目の教科書が中国語になることと、試験が中国語で実施されることだった。当初マロ教育当局は専門科目の教科書はチベット語のまま残すことを確約していたが、行政当局がチベット語以外の全科目を中国語による指導に徐々に移行させたのだった。2012年に青海省と甘粛省の教育当局が、初等教育および中等教育でのチベット語による指導を事実上撤廃し、状況は更に悪化した。
2010年の抗議行動により、このような取り組みは一時的に停止したものの、政府当局は最終的に、チベット語コースを除く全ての科目で中国語を主要指導言語とすることに成功した。それによって、この地域の教育政策と指導言語は大きく変化したのであった。
2024年9月、衝撃的な事件が明るみに出た。中国当局が、アバ・ムゲ地区の僧院学校の学生僧侶約150人を、政府が運営する寄宿学校に強制的に移送する映像が流出したのである。そこには抵抗する若い僧侶たちが無理やり車に乗せられる痛ましい様子が映っていた。学生たちのうち3人が、しばらくの学校生活の後に、強制移送のトラウマから自殺をはかった。寄宿学校の環境は刑務所も同然だったと彼らは語っていた。
伝統的な教育機関と文化への影響
報道によると、いわゆるチベット自治区の学校では現在全ての科目の授業は中国語で行われており、チベット語で授業が行われるのは、チベット文化・チベット語の一クラスのみである。この政策により、チベット文化、医学、占星学、宗教史、 編年史といった科目は深刻な事態に陥っている。
チベット内部からの情報によれば、ラサのチベット医学暦法学大学には基礎的なチベット語が分からない学生もおり、医学書のチベット語が理解できないため、中国語で説明してもらわなければならないという問題が起きている。別の情報筋によると、チベット医学・暦法研究所の占星学部が強制的に閉鎖されてから、一般家庭ではチベット仏教にのっとった伝統的な葬儀を行うことが難しくなっているという。占星学部門は宗教とのつながりが深いため廃止されたのだと伝えられている。伝統的なチベット医学、占星学、宗教史、編年史は未来の世代に伝えられることなく失われてしまう危機に瀕しているのである。
このような政策に対するチベット人コミュニティの抵抗は悲劇的な結果に終わっている。2013年3月、女子高校生ツェリン・キが、通っていた高校の授業言語が中国語に変わったことに反対して焼身抗議を行った。言語の自由を求めるレプコン高校の生徒によるデモなど、断続的な抗議活動は行われたものの、当局は規制を強化し続けた。
現在の状況と今後の懸念
最近の調査によって示されるチベット語の将来についての見通しは暗い。チベットを訪れた50人以上の人々にインタビューを行ったところ、母国語を話すことができないチベット人の子どもが多く見られたとの報告があった。このチベット語が消滅の危機に瀕している背後には、教育政策、教育機関の閉鎖、強制同化プログラムを通じて、より広範にチベット文化全体を抹消しようとする組織的な取り組みがあるのだ。
1987年にパンチェン・ラマ10世が制定したチベット語保護措置の多くが2002年に廃止され、それ以降の状況は悪化の一途をたどっている。教育改革に的を絞って始められた計画は、チベット語、ひいてはチベットの文化的アイデンティティを根絶させるための包括的な運動へと姿を変えてしまったのである。
–国連、EU、情報・国際関係省人権デスク、チベット人権擁護部による報告
(翻訳:麻雪)