2021年9月1日
スタッフレポーター
中央チベット政権は、チベット自治区のラサで元政治犯が死去したとの情報を得ました。情報筋によると、チベット人の人権を守るためにキャンペーンを行い、後に何年にもわたり刑務所に投獄されたドンドゥップ・ドルジェ氏が、2021年8月25日に亡くなりました。死因は不明ですが、足に問題があったと報告されています。74歳でした。
北京民族大学を卒業したドンドゥップ・ドルジェ氏は、1989年にラサ気象局の課長に任命されました。2年後、彼はナクチュ(那曲)気象局の局長に昇進しました。ナクチュでは、中国共産党員でありながら、チベット人の基本的人権を強く主張していました。
1992年5月14日、彼は仲間のチベット人の権利を要求したとして、ラサ情報局の職員によってナクチュで逮捕されました。中国当局はラサにある彼の家を強制捜索し、財産文章を含む彼の私物のほとんどを押収、破壊しました。彼は刑を宣告され、セイトル刑務所とグツァ刑務所で2年8ヶ月過ごし、1995年1月に釈放されました。
釈放後、ドンドゥップ・ドルジェ氏はそれまで務めていたナクチュ気象局の局長を解任されました。1995年5月18日、再就職しようとしましたが、庭師としての一時的な仕事を与えられただけでした。逮捕される前は1700元の月給を得ていましたが、月額はたったの300元でした。そして、1996年の初めには、ナクチュ気象局は中国当局から、過去の政治的記録を踏まえてドルジェ氏を職から外すように命じられました。また、党員資格も剥奪され、その他の権利や利益もすべて剝奪されました。当局は「彼はダライ・ラマ法王に非常に献身的なので、彼はダライ・ラマ法王と国連から仕事を与えられるだろう。」と言いました。その後、彼はわずかな賃金で建設労働者として働き始めました。
ドンドゥップ・ドルジェ氏は、ラサの中でもチベット人にラル(Lhalu)として知られる地域の出身です。チベットにいる妻と次女のペンパ・ドルマを残して死去しました。父親が逮捕された頃、ペンパ・ドルマは「政治活動家」の家族であることを理由に大学への入学を拒否されました。長女のツェリン・デキは、インドに逃れた後、ダラムサラに住み、その後オーストラリアに移住して現在に至っています。
中央チベット政権情報・国際関係省(DIIR)国連・EU・人権デスク
(翻訳:Sakura Nakayama)