2017年11月28日
最近、特にネパールなどのソーシャルメディアで、メーラトの学生からの質問に対するダライ・ラマ法王の答えについての炎上が見られる。問題の焦点は仏陀の生誕地をめぐるものだ。
Facebook上でシェアされている動画では、ダライ・ラマ法王は次のように答えておられる。
「仏陀はネパールで生まれたと思いますか?それともインドで?ネパール人の中には仏陀はルンビニーで生まれたと考える人がいます。ルンビニーはネパールにあります。だから、仏陀はネパール人だというのです。私はそうした考えはナンセンスだと思います」。
法王のメッセージの精緻なニュアンスを細かく説明するのは無作法ではあるものの、そのメッセージの核を読み解くならば、それは人類の一体性と普遍的価値である。これに照らせば、ダライ・ラマ法王が一番、言われたかったことは明らかだ。仏陀の教えとその指し示した道を学ぼうとせず、その生誕地を巡って小競り合いすることの虚しさを示そうとしたのである。
チベット亡命政権のスポークスマンでもある情報国際関係省のソナム・ノルブ・ダクポ次官は同様の思いを次のように Tibet.net に語っている。
「ダライ・ラマ法王が『ナンセンス』と言われたのは、つまらない小競り合いに対してであり、ネパールの兄弟姉妹に向けられたものではありません。ダライ・ラマ法王は誰より平和と慈悲を大切にしており、人生をかけて人類の一体性と一切衆生を大切にする心を説いておられます。
そのように考えれば、ダライ・ラマ法王が同胞である人間をナンセンス呼ばわりするはずないことがわかるでしょう。ましてや、チベットと深い歴史的・文化的関わりがあるネパールの人々にそんなことを言われるはずがありません。真にナンセンスなのは仏陀の生誕地をめぐる言い争いに時間とエネルギーを浪費することです。本来、その哲学と教えについて話し合うべきなのに。どんな小競り合いより、こうした話し合いこそが必要なのです」とソナム次官は説明した。
地政学的見地で見ても、仏陀が生まれた時代、ヨーロッパで近代になって生まれた国民や国家という概念はなかった。当時のルンビニーは、現在のインド・ネパール国境地帯にあった小国シャカ国の一部だった。歴史を紐解けば、その地域は広義のインド文化圏の一部だった。当時、インド文化圏は、東はネパールとカンボジア、北はチベットとモンゴル、西はパキスタンとアフガニスタンまで国境を超えて広がっていた。
デジタル・ソーシャルメディアの時代、誤解や歪曲された事実が伝わるスピードは危険なほど加速している。問題の全貌をはっきり理解しないまま、安っぽい宣伝のパレードに便乗する報道機関や著名人も炎上に油を注いでいる。今回の事件ではまさにこうしたことが起きた。誤解と誤った解釈のせいで、ダライ・ラマ法王のシンプルで深いメッセージが人を見下すメッセージに捏造されたのである。
問題が落ち着きを見せた今、我々は仏陀の教えに対する理解の浅さを反省すべきだろう。仏陀の教えを踏まえ、ダライ・ラマ法王は普遍的価値と人類の一体性を強調しておられる。なのに、我々は人とのあいだに境界線を引きたがり、人と人の違いを作り上げているのである。
とはいえ、終わり良ければ全て良しということわざもある。ダライ・ラマ法王庁の機を外さない説明のおかげで誤解は解け、ネパールの兄弟姉妹たちは安堵した。だが、今回の事件は、人間は仏陀の教えから逸れており、仏陀に関する事柄について考えが浅く、事実無根の誤ったメッセージをめぐり、あっという間につまらぬ喧嘩をしまうことも明らかになった。
仏陀の生誕地がネパールであろうとインドであろうと、それを言い争うのは的外れだ。大切なのはその教えと哲学である。今回のエピソードは全人類に対する教訓といえる。
(翻訳:吉田明子)