2018年7月22日
インド、ジャンムー・カシミール州ザンスカール地方パダム
今朝、ザンスカールの灼熱の太陽の下、ダライ・ラマ法王は儀式用の傘の下を、新しく建てられた法王公邸から法話会場の天幕付き特設ステージの上まで歩かれ、約1万6千人の聴衆に向かって挨拶をされた。
法王が法座に着かれると、経頭に従って祈願文が唱えられ、その間に参加者にお茶が配られた。そして法王は次のようにお話を始められた。
「ザンスカールに再び来ることができて、とてもうれしく感じています。出家者と在家の皆さんが、揺るがぬ信仰を示し続けてくださり、私たちはここで再び仏教の講話のために集まることができました。私もまた、皆さんにアドバイスするための機会を持てたことを嬉しく思っています。この法話会開催に尽力された主催者と協力者の方々にお礼を申し上げます」
「こちらのナムギャル氏とザンスカール王とは長い間の友人であり、またこの二人にお会いできて大変嬉しく思います」
「私は世界中どこに行っても、私たち人間は苦しみを望まず、幸せを求めて生きているということにおいて皆等しい存在であることをお話しています。仏教徒として利他心を育むことは大切なことであり、私たちは遠く銀河の果てまで思いを馳せ、そこに住むすべての生きものの幸福を祈っていますが、実際には、他の惑星の生き物たちと直接関係を持つことや、地球上に住む動物、鳥、虫、魚などの生き物にアドバイスをして役に立てるようなことは難しいでしょう。しかし、人間となら対話をすることが可能です。私たちには正しいことと間違ったことを見分けられる知性があり、心を基盤として内面の幸せを築くことができるのです。今では、科学者たちでさえ、人間は本質的に思いやりの心を持っていると述べています。私たち人間は、心を訓練することによってそのようなよき徳性を高め、怒りや嫉妬、傲慢な心を鎮めて、心の平和を達成しなければなりません。ですから私の第一の使命は、ひとりの人間として、人間的価値である思いやりの心の重要性について語り、それを広めていくことなのです」
次に法王は、ご自身の第二の使命である、異なる宗教間の調和と相互理解を促進することについて説明された。この世界に存在する主だった伝統的宗教は、それぞれの信者たちの心の支えとなり、多くの人々に利益をもたらしている。法王は、ジャイナ教徒、ヒンドゥー教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒などの各宗教を信仰するご友人たちが持っているすぐれた資質について話された。また、今日のインドでは、すべての主な伝統的宗教がともに調和を持って存在し、繁栄していると語られた。
ラダックとザンスカールの人々は、ほとんどが仏教徒であるが、イスラム教徒と少数のキリスト教徒も存在する。そういったすべての人々や、信仰をもたない人々も含めて、地球に住む人々はみな幸せを求めて生きているのだから、お互いに友好的に暮らすことは不可欠であり、他のひとたちは皆兄弟姉妹であるとみなさなければならない。仏教書の中には「仏法の敵」という表現が使われていることがあるが、敵と呼ばれる人々は、煩悩に支配されているためにそのような態度を取ってしまっているのであり、そのような人々には思いやりの心を持って接しなければならない。
法王は、ザンスカール語の通訳に、法王が話されたことの要旨を伝えるように要請された。チベット語を学ぶこと、特にチベット語が読めるようになることは重要であり、チベット語で書かれた仏説部ぶっせつぶ(カンギュル)と論疏部ろんしょぶ(テンギュル)の著作を読むことは特に大切なことであると述べられた。
法王は、ナーランダー僧院には四大仏教哲学学派のそれぞれの代表が在籍していたことに触れられた。バーヴァヴィヴェーカ(清弁)は、その四大学派と他の哲学学派の見解について記されているが、各哲学学派の間に敵対関係はなかったという。チベットでは、ゾクチェンのテクチュという修行方法を説くニンマ派、マハームドラーを説くカギュ派、輪廻と涅槃の不可分性を示すサキャ派というように、各宗派によって同じ目的に至るための異なったアプローチの方法が提示されているが、悲しむべきことに、これらの宗派間には時々対立が起こってきた。法王は、もしラダックにおいて、このような精神的伝統間の対立があるならば、今こそそれを捨て去るべきである、と戒められた。
法王は、ダライ・ラマという名を担うチベット人として、ご自身の第三の使命は、チベットと、法王に希望を託す6百万人のチベット人に対する責任であると述べられ、次のように話された。 「私はダライ・ラマ5世の時から受け継がれてきた政治的指導者としての責務から、誇りと喜びをもって自ら引退しました。そして、政治的指導者を民主的な方法で選出する制度へと発展させることができたのです。宗教的指導者が政治に関わり過ぎることはよいことではありません。『ラマによる政治』は、『私たち』と『彼ら』という隔たりをつくることに繋がることになるからです。また皆さんにお会いすることがあれば、繰り返し言いますが、もしもそのような機会がなければ、このことを私の最後の願いだと思って聞いてください」
「さらに、ひとりのチベット人として、私にはチベットの文化を保持し、高めていくという責任があります。しかしそれは、チベット人だけの利益に関するものではなく、仏陀の教えを絶やさないためにも必要なことなのです。そのことについては、多くの中国人も関心を寄せてくれています」
「そこには、チベットの自然環境保全についての懸案も含まれます。『チベット高原は、北極と南極に同等なほど世界の気候に重大な影響を与えている』と中国の生態学者が認めており、彼はチベット高原を“第三の極”と名付けました。チベットの山々の残雪が減り、氷河が失われていけば、いつの日か水の供給源が干上がってしまうでしょう。そしてチベットは、いずれアフガニスタンの砂漠のような土地になってしまいます。インドからヨーロッパに行く飛行機の中からは、アフガニスタンの荒涼とした大地を一望することができます。ですから、チベットの自然環境を守ることは大変重要なことなのです」
「チベットと中国の関係は歴史的に見て大変古いものです。チベット、中国、モンゴルの各帝国は、7〜9世紀において大変緊密な関係にあり、政治的結婚も多く画策されました。後のサキャ派の統治時代には、僧侶と施主それぞれの立場からの協力関係も成立しました。しかし、全体主義の中国においては、ほとんどの中国人に、そのようなチベットの歴史的立場を知る機会はありません。むしろ、海外で学んだり、外国を旅する中国人の方が、それを学ぶ機会がたくさんあることでしょう」
「この三つの使命についてお話した理由は、皆さんが私に対する篤い信心をもってくださっていますので、皆さんがこの考えを私と分かち合ってくださるのではないかと思ったからです」
続いて法王は、今日配られたチベット語、ヒンディー語、英語が併記されたテキストを取り上げて、ご自身が記された『ナーランダー僧院の17人の成就者たちへの祈願文』の頁を開くようにと言われた。そして、テキストを読み上げながら、順を追って偈頌の解説をされた。祈願文は、まず釈尊への礼拝に始まり、ナーガールジュナ(龍樹)への礼讃へと続く。ナーガールジュナは随分前に亡くなっているが、中観の六論書などを通して師のすぐれた徳性に触れることが今でも可能である。仏説部(カンギュル)の中の16巻は般若経典であるが、ナーガールジュナは般若経典の明白な意味である空性について明らかにされた方である。それに対してマイトレーヤ(弥勒)は、方便の教えとしての般若経典の隠された意味について説かれた方である。弥勒は人間であるとも尊格であるとも伝えられている。
法王は、歴史上の事実と神秘的な話は、区別して考える必要があると指摘された。その一例として、ソンツェンガンポ王が亡くなった時、観音菩薩像の中に溶け入られたという逸話がある一方で、彼の霊廟についての言及も存在することを語られた。
祈願文は、ナーガールジュナの後継者であるアーリヤデーヴァ(聖提婆)、ブッダパーリタ(仏護)、バーヴァヴィヴェーカ(清弁)、チャンドラキールティ(月称)などの各導師への礼讃偈が続き、彼らは皆、私たち人間の智慧を高めることに貢献された方々である。一方、次の偈頌に登場するシャーンティデーヴァ(寂天)は、『大乗集菩薩学論』と『入菩薩行論』で、怒りと嫌悪の感情に対処し、菩提心を生起するための方法をことごとく説明されている。そして、哲学と論理学の偉大な導師であったシャーンタラクシタ(寂護)とカマラシーラ(蓮華戒)は、チベットにナーランダー僧院の伝統を打ち立てるという偉業を成し遂げられた。
アサンガ(無著)は唯識派の創始者であり、弟のヴァスバンドゥ(世親)は阿毘達磨についての詳細な解説を記された。ディグナーガ(陳那)とダルマキールティ(法称)は、仏教論理学を導入した功績で知られているが、チベットの仏教哲学についての問答の伝統は、この二人の導師から始まり、サキャ・パンディッタとチャパ・チューキ・センゲイの尽力によって完成したものである。
ヴァスバンドゥの弟子であったヴィムクティセーナ(解脱軍)は、唯識という自分の導師の伝統ではなく、中観の伝統の見地から般若波羅蜜を解釈された。それからこの祈願文は、『現観荘厳論』の著名な註釈書を書かれたハリバドラ(獅子賢)と、戒律の大成者であるグナプラパ(徳光)、シャーキャプラパ(釈迦光)に続き、最後に11世紀に現れてこれらの様々な伝統を統合されたアティーシャ・ディパンカラ(阿底峡)への礼讃偈に至っている。
法王は、テキストの奥付に記された、この祈願文に込めた願いについて述べられ、その部分を読み上げられた。
幾たび生まれ変わろうとも、三種の戒律を護持する人としての恵まれた生を得て
過去の偉大な導師たちがされたように
経典の教えと体験の教えを通して〔仏陀の〕お言葉と智慧を護持し
広めることができますように
そして、あとがきに記されている、この祈願文が著された背景について説明された。
近年においては、科学と科学技術が発展し、著しい物質的な向上が図られたが、私たちの心は騒々しさに苛まれ、せわしない暮らしのなかで気が散乱している。このような時代において仏陀の教えに従う者たちが、仏法を理解した上で生じる確信に基づいた信仰をもつことは極めて重要である。
そして法王は次の話をけ加えられた。
「先日、ヒマラヤ地方の仏教徒の代表者たちがデリー近郊のグルガオンに集まり、ヒマラヤ地方に現存するお堂や僧院を、学習センターとして拡大していこうと決議したのです。私は嬉しくなって、レーで行われる私の誕生祝賀会に彼らを招待し、その提案について詳しく説明して欲しいと伝えました」
その後法王は、ツォンカパ大師の『菩提道次第集義』のテキストに移られ、著者の解説から始められた。ツォンカパ大師はアムド地方で生まれ、育ち、勉学を始められた。16歳か17歳で中央チベットに移り、当時存在していたすべての教育機関で仏教を学び、サキャ派の導師であるレンダワやディクン・カギュ派、ニンマ派の導師たちから多くの教えを授かられている。『私の目指したことはすばらしい』という回顧録には、「部分的な学問では決して満足することはできなかった」と述べられている。大師は菩提道次第(修行道の段階)に関する著作のほか、中観哲学に関する五冊の註釈書も著されている。
『菩提道次第集義』の第7偈で、ツォンカパ大師は、「3種類の人たちのための修行道の段階に心を奪われない者などいるだろうか」と問いかけておられる。第9偈以降は連動する偈頌のはじまりであり、偈頌の終わりに以下の反復句が記されている。
修行者である私(ジェ・ツォンカパ)もこのように修行した
解脱を求めるあなたもまた、これと同じように修行するべきである
法王はこの反復句を、以下のような誓約に置き換える伝統もあると指摘された。
尊く神聖な私の師もこのように修行された
解脱を求める私もまた、これと同じように修行いたします
明日法王は、大悲を象徴する観音菩薩の灌頂を授与すると告げられて、法話会を終えられた。明日は灌頂に続いて、法王に捧げるご長寿祈願法要が執り行われる予定である。