(2011年11月15日 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所)
11月7日に東京で行われた自由報道協会主催による記者会見において、原子力エネルギーに関する質問があり、質問をした記者が「ダライ・ラマ法王は原子力エネルギーに賛成するとおっしゃっていますが、」と述べていたため、原子力エネルギーに関するダライ・ラマ法王のご意見が一部で誤解されていたようですので、それについての法王のご発言をここに公表し、皆さんに法王のお考えを正しくご理解いただきたいと思います。
ダライ・ラマ法王のご発言
まず、どのような問題であっても、一つの角度だけから物事を捉えて判断するのは正しいことではありません。様々な角度から問題を捉えて全体的なものの見方をすることが大切です。
原子力エネルギーは、破壊的な目的のために使ってしまうと大惨事が起きてしまいます。私は広島を何度か訪問したことがあり、一回目か二回目の訪問で実際に原爆が投下された建物も見ましたが、それは完全に破壊されていました。原爆記念館も訪問しましたが、被爆者がしていた腕時計が原爆投下の時間を指したまま焼けて溶けているものや、針の束がひとつに溶けてしまったものなどが展示されていました。被爆された方たちにも会ってお話を伺いましたが、本当に悲惨な話でした。ですから私は、核兵器の使用に関して、完全に反対の立場をとっている一人です。
次に原子力エネルギーの平和利用についてですが、もし原子力エネルギーの十分な代替があるのであれば、完全に原子力を撤廃できれば素晴らしいと思います。しかし、それにはまだ議論の余地があります。代替として考えられる水力発電に必要なダムも、チベット本土においてもそうですが、ダムの建設は大きな環境破壊につながるためあまり推進することはできませんし、風力発電や太陽エネルギーもまだ十分ではありません。日本や先進国だけのことではなく、世界には発展途上国も沢山存在し、貧富の差が激しいため、貧困に苦しんでいる何百万人もの人たちのことを考えるべきだからです。
そこで、全体的に物事を見ることができる専門家に判断してもらわなければなりません。それに、万全の対策を講じて99%は安全だと言えても、そこには常に1%の危険性が残されています。車を運転していても、素晴らしい食事を食べていても、安全に見えるこの部屋の中にいても、もし予期せぬ何事かが起きたらどうなるかはわかりません。原子力エネルギーも同じです。たとえば、ロシアのチェルノブイリの原子力発電所は完全な安全対策がなされていない時代遅れなものでした。今回の福島の原発事故も、もし原発を作った人がこのような大きな津波が起こりうることを前提に十分な安全対策を講じていたならば、このような大惨事にはならなかったかもしれません。しかし、たとえそれがなされていたとしても、1%の危険は孕まれていたわけです。
最終的には、国民の意見によって決められなければならないでしょう。もし日本の方々が原発の完全撤退を望むのならそれでいいでしょうし、それは皆さん次第だと思います。ドイツやイタリアが国民投票で原発廃止を決めたように、日本の国民がそれを望むならば、それがいいのではないでしょうか。