2018年8月13日
インド、カルナータカ州シェシャギリハリ
インド各地ご訪問最終日の早朝、ダライ・ラマ法王が乗られたお車はバンガロール市を通り抜け、シェシャギリハリにあるダライ・ラマ高等教育大学(The Dalai Lama Institute for Higher Education)に向かった。
法王が到着されると、女性たちがチベットに伝わる歓迎の歌で出迎えた。法王は、新設された男子用ホステルで落成記念銘板の除幕を行われ、新設の援助をしたストウブ・カイザー基金とスイスのジョゼッペ・カイザー基金の役員たちに挨拶をされた。
続いて大学の事務所に移動された法王は、ダライ・ラマ法王基金の支援の下で英語と中国語を集中的に学んでいる23人のゲシェ(仏教哲学博士)と会見された。法王はゲシェたちと共に腰を下ろされると、どの僧院に属しているか、チベットで生まれた者は何人いるか、出身地はどこかをお訊ねになり、次のように述べられた。
「この60年間は、新たな経験の連続でした。チベットにいた頃は、シャーンタラクシタ(寂護)によって定められた比丘の戒律に則して学んでいました。シャーンタラクシタはインドのナーランダー僧院の師僧でしたが、8世紀にティソン・デツェン王によってチベットに招聘され、そのおかげで論理に依拠した純粋なナーランダー僧院の伝統がチベットに確立されたのです。
近年、私たちは量子物理学をはじめとする現代科学の学者たちと対話を行なってきました。彼らは私たちが説く縁起の見解を高く評価し、私たちも科学者から多くのことを学んでいます。科学的検証を用いるならば、世界の中心には須弥山(スメール山)がそびえているという古代仏教の宇宙観が成立しないことは明らかですが、私たちもまた、ナーランダー僧院の伝統に基づいて、仏陀の教えが文字通りに理解してよい教え(了義)なのか、解釈を必要とする教え(未了義)なのか、ということを区別してきました。
いま皆さんが学んでいるように、外国語を習得することは大切なことです。これも他者のために役立つことのできるひとつの方法だからです。私たちはいつも『最勝なる菩提心を起こしたならば、一切有情を私の客人として、最勝なる菩提心を喜んで実践いたします。有情を利益するために仏陀となることができますように』と祈願しているのですから、これを行動として実践していかなければなりません」
その後法王は、大学内にある講演会場まで徒歩で向かわれた。会場には、およそ6,000人の聴衆が集まっていた。
ダライ・ラマ高等教育大学のツェリン校長は、法王への歓迎の言葉に続いて、マイソール大学元副総長のランガッパ教授、バンガロール大学副総長のヴェヌゴパール教授、スイスから駆け付けた支援者たちに歓迎の挨拶をすると、これまでに275名の卒業生が巣立ったことを報告した。また、現段階で取得できるのは学士号だが、博士号やさまざまな専門課程を視野に入れた計画があることを伝えた。
ツェリン校長は、当校が世俗的倫理を学ぶ場であり、インド国外で暮らすチベット人の若者たちが集中的にチベット語やチベット文化を学びに来るための場であることにも言及した。
続いて、チベット子ども村のトゥプテン・ドルジェ学長、マイソール大学のランガッパ教授、バンガロール大学のヴェヌゴパール教授が順に祝辞を述べた。ヴェヌゴパール教授は生徒に対し、バンガロール大学で耳にした問題はすぐにその場で解決することを約束した。これを受けて、法王は次のように述べられた。
「この高等教育大学はゼロからのスタートでしたが、着実な成長を果たしてきました。バンガロール大学とマイソール大学の副総長が支援を約束してくださったことに対し、600万人のチベット人を代表してお礼を述べたいと思います。
インドとチベットは長きにわたり独特の関係を築いてきました。チベットにはシヴァ神が住む聖なるカイラス山があることから、インドの人々はチベットを巡礼の地と考えています。チベット人にとっても、インドは仏陀が暮らし、教えを説かれた特別な場所なのです。
私たちは単なる難民ではありません。私たちは、チベットを襲った弾圧から逃れて亡命したのです。チベット本土にいる人々には自由がありません。私たちは彼らの代弁者なのですから、チベット本土の人々のことを決して忘れてはなりません」
「中国人の考古学者たちは、チベット文化が3万5千年前に遡ることを明らかにしています。私を訪ねてくれたキリギスタンの人々は、自国で発掘された棺の上にチベットのマニ石が置かれていたと言って、その写真を見せてくれたことがあります。こうしたことからも、チベットの影響がいかに遠くまで及んでいたかがわかります。
サムイェー僧院は、シャーンタラクシタとパドマサンバヴァ(蓮華生)によって創立されました。サムイェー僧院では、シャーンタラクシタの指導の下で、サンスクリット語の仏典がチベット語に翻訳されるようにもなりました。その結実として、こんにち私たちはカンギュル(経典)とテンギュル(論書)を手にし、学ぶことができるのです。シャーンタラクシタは深い洞察を備えた哲学者であると同時に鋭い論理学者であり、仏教哲学と論理学の両方をチベットにもたらしてくださいました。私たちが科学者と対話を深めることができるのは、正しい根拠(量)に基づいて論理を用いるからである、と指摘している中国人の学者もいます」
「この70年近くにわたり、チベット人は計り知れない苦しみに耐えてきました。中国人民解放軍がチベットに入り、リタンを攻撃してからラサに行進してくるまでには、すでに30万人のチベット人が殺されていたことが記録からわかります。中国の強硬派はチベットを飲み込んだものの消化できなかったことで、吐き戻さなければならないことへの懸念を強めているようです。
チベット本土のチベット人は抑圧下にありながらも、堅固な決意と精神を持ち続けています。仏教徒であろうとなかろうと、彼らはチベット人であることを忘れていません。中国政府に抗議して焼身自殺したチベット人は152人に上ります。彼らは他者を攻撃したり害することもできたかもしれませんが、細心の注意を払って、自分だけに害が及ぶような形で抗議したのです。
私が生きている間は非暴力が続くだろうが、私の死後はどうなるかわからない、と言っている人がいるようですが、いかなる状況であろうとも、非暴力を貫かねばなりません。チベットにおいてよき変化が生じるという希望を、私は今も持ち続けています」
「私たちチベット人は、誇りにするだけの十分な理由のある文化を持つ固有の民族です。自分がチベット人であることを忘れないでください。亡命が始まった頃、亡命者はここカルナータカに学校を建てるため懸命にジャングルを開拓しました。インドに僧院を再建した世代の人々はほぼ亡くなってしまいましたが、その苦労の結晶は今も残っているのです。非常に暑かったので、このままでは死んでしまうと言って私に文句を言う人もいました。再び訪問したときに、『まだ生きてるじゃないか』と私はからかったものです。そのときにも言いましたが、決してあきらめてはいけないのです」
「私は、古代インドで培われてきた心と感情の働きについての学識を、ここインドで復興させることが自分の使命のひとつであると考えています。この大学がそうした役割を担うことができるよう心から願っています」
法王は大学を出発してバンガロール空港へ向かわれ、デリーに移動された。明日、法王はダラムサラに戻られる。