2001年5月16日
ポートランド(コロンビアン)
5月16日の夜、ダライ・ラマは、ポートランドでの講演で、「20世紀に蓄積された莫大な物質的な富は、人間の幸福と結びついていない」と語った。
亡命中のチベットの精神的政治的指導者ダライ・ラマは、満席のメモリアル・コロッシアムで、「新千年紀に向けた倫理」をテーマに講演した。ダライ・ラマが暴力の世紀だった20世紀をどのように考えているかを聴きに、聴衆は25ドルから百ドルのチケットを買ってやって来た。
オレゴン州上院議員、マーク・ハットフィールドがダライ・ラマの紹介役を務めた。ハットフィールド上院議員は聴衆に向かって、「これから一緒になって自分達のコミュニティ、家族、そして自分自身の中で平和を求めることに強く関心を持つことで、ダライ・ラマの遺産に敬意を示して欲しい」と語った。
聴衆にはありとあらゆる人がいた。天然繊維の服に身を包み、長髪に鬚を生やした男性達の横には、着飾り、綺麗にマニキュアを塗った指に胡桃大のダイヤモンドの指輪をはめた女性達が座っている。
満場の観衆に立ち上がって拍手で迎えられたダライ・ラマは、ステージの前方に向かって歩き出したが、照明を浴び、眩しそうに目を細めた。「みなさんの顔が見えない」と少しブツブツ言いながら席に着いた。
ダライ・ラマは、「過去百年の間の技術の進歩と発展は目覚ましいものだった。しかし、その結果どうなっただろう」と反語的な問いかけをした。
「結果は、流血、痛み、苦しみが増しただけだった」
技術の向上に伴い、人間の殺人能力も上がった。ダライ・ラマは、高度な武器を使うことで、人は離れたところから、相手が実際に苦しんでいる様子を見ずとも傷つける術を身に付けてしまったと指摘した。
「相手の痛みが見えないのである」
平和な状態のときに殺人を犯すと、殺人鬼という烙印を押されるが、軍隊は母国のためという名分のもと、何千もの人を殺しても処罰されない。
「彼らは英雄と呼ばれる。それは不公平ではないだろうか。戦争は組織化かつ合法化された暴力である。戦争は時代遅れな概念であり、21世紀のうちになくすべきである」とダライ・ラマが言うと、会場の奥の方から一人「そうだ!」と叫ぶ声がした。
「隣人に危害を加えることは、自分に害を与えることと同じである。戦争に行くことは、他人の役に立つための最良の方法ではない」
ダライ・ラマは核軍縮と地雷撤去を訴えた。また、各人に「内なる武装解除」を行うよう求めた。
「恐れ、憎しみ、疑念は否定的な感情であり、苦しみを生むだけではなく、正しい思考を妨げる」
「内なる武装解除と外的な武装解除は同時に進行しなければならない」
「隣人の考え方をアメリカの外にもあてはめてほしい。アメリカの国内政策は民主主義に基づいているが、国際関係になるとまだ古い体質を引きずっている。アメリカは全ての国を隣人として扱い、『外国』という考え方を捨てるべきだろう。世界のあらゆるものは私達の一部なのである。幸せな未来のためにはお互いの未来に気を配らなくてはならない。一国の政策を変えることは容易なことではないが、個人個人の努力によって、世界をより良くすることはできるはずだ」
最前列に座っていたキッツバー・オレゴン州知事は、つい最近、五月をオレゴン州の「平和月間」に指定した。知事は「みなさんがかんしゃくを起こさないとよいのだが」と言って、場内の笑いを誘った。
ダライ・ラマは、所有物を増やすことよりも、他人に尽くす生き方を薦めた。 「物質的価値の限界に気付いてほしい。他人が飢えている間に富を集積することは恥ずべきことだ。モラルの観点から言うと、間違っていると思う」
「ワシントンDCは世界で一番豊かな国の首都であるのにもかかわらず、極貧生活を強いられた人々が暮らしている。悲しい、なんて悲しいことだろう」
ダライ・ラマが受けた最後の質問によって、場内のムードは大分明るくなった。
「ダライ・ラマの楽しみは何ですか」という質問を通訳が読み上げると、ダライ・ラマは当惑した表情をし、「冗談を言うことですかね」と言って笑った。
また「年を取るにつれ、もっと寝たいと思うようになった」と言って、折り曲げた両手に頭をのせるジェスチャーをしてみせたりした。
ダライ・ラマは聴衆に向け、「真の友愛の精神を、一生、無理ならば一日でもいいから保つことを願う」と述べ、会場を後にした。