(2013年5月15日 dalailama.com)
【ウィスコンシン州マディソン 14日】ダライ・ラマ法王は13日、ロチェスターの担当医師団による健康診断を問題なく終え、ウィスコンシン州マディソン近くの仏教センター、鹿野苑(ろくやおん)に到着された。ここは、ゲシェ・ランドップ・ソパにより設立されたセンターで、法王は伝統的なチベット式の歓迎を受けた。9回目となる今回のご訪問に際し、ゲシェ・ソパと鹿野苑は、法王に公開法話を依頼。14日午前、法王はマディソンのアリアント・エナジー・センターを訪問された。施設内は法話を聞くために集まった3,500人の聴衆で満席となった。聴衆へ法王を紹介したゾルバ・パスターは、ゲシェ・ソパへ感謝するとともに、法王の鹿野苑ご訪問に尽力した人々に対し謝意を述べた。
「みなさん、おはようございます」と法王は語り始めた。「再訪できうれしく思います。1979年に初めてアメリカを訪問してから、マディソンは最も思い入れのある場所のひとつになりました。ゲシェ・ソパは素晴らしい学者であり、私の友人です。また、彼の恩師、ゲシェ・タブカイ、さらにゲシェ・タブカイの恩師であるランドップ・ツォンドゥルも存じています。ランドップ・ツォンドゥルは、ゲシェのシステムの見直しを図っていたダライ・ラマ13世に初めてゲシェと認められ、その後最高指導者となりました。若い頃からゲシェ・タブカイのことは存知あげています」
「ゲシェ・ソパは、私が1959年にゲシェの試験を受けた時、ディベートの相手として選ばれた方です。彼が選んだ題目は、『菩薩宝性論』の中で説明されている仏性についてでした。私はたいへん緊張していたので非常に良く覚えています。彼は現在90歳で、肉体的には衰えているかもしれませんが、仏教やチベットのために生涯を捧げてきたので決して悔いはないはずです」
法王は、多くの人々がこの法話を聞きにきてくれたことをうれしく思っており、まずは概要を説明したいと述べた。人類は4,000〜5,000年にわたり、宗教の意味を明らかにしようとしてきた。場所、生活様式、哲学的なものの見方の違いで、さまざまな伝統が生まれてきた。
法王は、インド、アムリツァルで行われた異教徒間の集会で、スーフィの学者が宗教的伝統はどれも3つの主要な疑問点を重要視していると発言したことにふれた。最初の問いは、自分は誰であるか。もしくは自我とは何か。この問いに対する答えは、仏教以外の宗教では魂ということになっている。しかしながら、因果関係を指摘する宗教もある。つまり、人生に起こることは、自分の行動によって決まるということ。仏教には創造主という概念はないが、心や身体として表現されるものとして自我を挙げている。仏陀はおっしゃった。私たちの問題は自我という考えに起因し、人間は五蘊が集合したものであるが、独立した自我は持っていないと。ということは人間として存在しないということなのかと問う人もいるが、そういうことではなく、それぞれのパーツから成り立つ馬車のように、人間は身体、発話、意識の集合体であると仏陀は述べている。
意識は重要であり、これにはふたつの種類がある。ひとつは身体的要素に関係する知覚意識、もうひとつは精神的意識であると法王は説明された。
「人を見た時、まず視覚から印象が生じます。そして相手を見分け、「自分の友人だ」と認識します。目を閉じると心の中にイメージが残ります。これが知恵と慈悲を感じる場所なのです。夢を見るとき、知覚意識は機能せず、深い睡眠時には別の意識が働きます。つまり、意識にはたくさんの段階があるというわけです。
「最近では、臨床死が起こったようにみえるのに、遺体は3週間たっても腐敗しないという事例に関心を抱いている科学者がいます。仏教では、ごくわずかな意識が身体に残り、身体から意識がなくならないと腐敗が始まらないと説明しています。過去50年間で30あまりの事例を確認しており、今後も調査の必要があります」
宗教が抱える残りふたつの問題点は、自我には始まりと終わりがあるのかということ。仏教の観点からいうと、始まりも終わりもない。法王は笑いながらおっしゃった。
「私は仏教徒であり、この観点は理にかなっています。とはいっても、欧米諸国で講演する際に仏教を宣伝しようとは思いません。自分が信じている宗教を変えることなく違う宗教から学びを得ることは可能だと思うのです。たとえば、70年代、80年代に行ったキリスト教信者との交流プログラムは大成功をおさめています」
「しかし、仏教を有益で興味深いと感じる人々もおり、役に立つと思うのであれば導入すればよいのです。けれども大切なのは、自分のベースとなる宗教へ尊敬の念を持ち続けることです」
「これから説明するのは、14世紀後半から15世紀初頭にかけ活躍したジェ・ツォンカパが著したテキストです。そもそもツォンカパは実相に強い関心を抱いており、チベットに存在するあらゆる仏教の教えを受け、その後、瞑想修行に励みました。このテキストはツォンカパが世捨人として長い修行の終わりに書き上げたもので、仏陀の縁起の教えに対する深い喜びと感謝を表したものです」
法王は、数節を読み上げ、時折必要な注釈を加え、次のようにしめくくった。
「短いテキストではありますが、じっくりと考えてみると非常に有益なものです。私は1953年にこのテキストを暗記し、時間がある時には暗唱し考えをめぐらしました。このテキストと『心の変容に関する八詩頌』は特にためになる本です。「オム・マニ・ペメ・フム」(Om・Mani・ Pedme・Hum)という真言は私も唱えますが、それよりもより効果的なテキストであると思います」
法王は三宝帰依を唱え、仏道へ進む真髄である菩提心を高めるよう聴衆を誘(いざな)った。昼食時には、ウィスコンシン州の知事であるスコット・ウォーカー氏が法王を訪ね、その後、法王は、主にミネソタとウィスコンシンに住むチベット人に向けて挨拶をされた。
「マディソンを訪問中にここへ住んでいるみなさんとお会いする機会が持てたことをたいへんうれしく思います。私たちチベット人は54年にわたり亡命生活を続けており、すでに3世の時代ですが、老いも若きもすべての人がチベット人としてのアイデンティティーを保持してきました。チベット人の苦しみを認識している人々の数も世界中で増えており、事情を理解し同情の意を表してくれる中国人も増えています。中国の習近平(シー・ チンピン)新国家主席が事実をもとに、現実的な観点から政策を打ち立てるのであれば、状況が好転する可能性もあります。チベットにおいても亡命の身でも、我々の決意と非暴力を貫き通す強い意志がゆらいだことはありません」
また、法王は、問題ありと指摘するドルギャル(シュクデン)についても触れた。ドルギャルに帰依すれば、三宝に帰依することへの障害となり、チベット仏教の様々な伝統の調和を脅かすことになるとし、「他の宗教的伝統を尊重する気持ちは宝石の輝きのようであるべき、つまり、あらゆる方向に光を放つべきだ」というパンチェン・リンポッチェの言葉を引用した。
ウィスコンシン州議会に招かれた法王は、1979年の初めてのアメリカ訪問でマディソンを訪れ、1981年には同州にて西欧諸国で初めてカーラチャクラを行い、また、1989年にノーベル平和賞受賞ニュースを受けたのもマディソンだったと紹介を受けた。法王は議員らへ次のように挨拶した。
「州を代表するみなさま方にご挨拶することができ大変光栄に存じます。チベットが弾圧されて以来、私は民主主義を素晴らしものだと思っております。幼少のころには、民主主義の長所や、独立した司法制度の影響力を学び、高く評価してまいりました。1951年、私は最高主権者の地位に即位し、1952年には政府改革委員会を設置しましたが、中国政府が介入したためにあまりうまくいきませんでした。2001年の初めての選挙で、私は半ば引退の身となり、2011年の首相選挙時には完全に引退するとともに、ダライ・ラマとして政治的ポストから完全に身を引く決意をしました」
「私が第一に取り組んでいるのが人類の幸福のために人間性の向上を目指すこと。次に、異宗教間の調和です。そして三番目にくるのがチベット。なぜなら私はチベット人であるからです。以前は一時的に宗教的な政権を築こうとしましたが、今は平和と非暴力と提唱するチベット仏教文化の保存に取り組んでおります」
15日には、法王は「心が変われば世界が変わる」をテーマにした対話に参加される。
(翻訳:パドマサマディ)