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若き活仏は中国を捨てた

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2000年3月15日
ニューズウィーク日本版

-1月にインドへ逃げたチベット仏教の高僧カルマパ17世本誌の取材によって脱出の真意が明らかに-

インド北部の町ダラムサラ。ヒマラヤの山々のふもとに立つギュトー寺には、世俗的な愛と宗教的な愛が満ちていた。

ギュトー寺にはその日、60人ほどのチベット族の女学生が集まっていた。お目当ては、チベット仏教第3位の高僧である活仏のカルマパ17世。なにしろカルマパは、チベット仏教カギュー派の頂点に立つ高僧であるだけでなく、14歳の美少年でもある。

カルマパは、中国のチベット自治区を脱出して、今年初めにインドに逃げてきたばかり。少女たちは、チベット族らしい控えめな態度ながらも、興奮にほおを紅潮させている。

あたりには香の香りが立ち込め、机の上にはリンゴやバナナ、オレンジなどが置かれている。早くも伝説上の人物となることが約束されている14歳の活仏にささげられた品々だ。

長身のカルマパがインド人の護衛を従えて現れると、集まった人々の間からざわめきが起こった。 カルマパはまず、その場にいた欧米人に、チベット問題への助力に対して感謝の言葉を述べた。その後、少女たちのほうに顔を向けた。彼女らのなかにも、中国からの脱出者が大勢いる。

「祖国のことを……忘れないでほしい」と、カルマパは大人びた口調で呼びかけた。「一生懸命に勉強して、チベットの信仰と文化を守るよう努めてほしい」

高位の聖職者であるカルマパのこと。中国に対する武力闘争を呼びかけてはいない。しかし彼のインドへの脱出は、中国政府にとっては大きな脅威になりかねない。

◆◆ 新しいリーダーが誕生 ◆◆

チベット仏教では、高僧の魂は転生を繰り返し、指導者としての地位を保ち続けると考えられている。中国当局はこれまでずっと、この転生の考え方を利用して、チベットの人々を支配下におこうとしてきた。

中国政府は1995年、チベット仏教第2位の高僧であるパンチェン・ラマの「生まれ変わり」に指名されていた少年を連れ去り、代わりに別の少年をパンチェン・ラマ11世に認定している。

カルマパ17世も、中国政府の言のままになるように育てられてきた。中国当局には、インドに亡命して独立運動を展開しているチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマに対抗する政治勢力として、カルマパを利用しようという思惑があった。

しかし、この思惑ははずれた。カルマパは一気に、ダライ・ラマ率いるチベット独立運動の新しいリーダーになりつつある。

中国政府は、いかにして活仏を失うことになったのか。
カルマパが1月3日にインド入りしたことは、早い段階から明らかになっていた。しかし細かい事実関係については、はっきりしない部分もあった。

中国政府は、カルマパは儀式の道具を取りにインド入りしただけだと主張。中国側はカルマパに、チベット自治区の区都ラサ近郊にある居所のツルプ寺に早く戻ってほしいと考えている。

しかし本誌の調査によれば、真相は中国側の主張とは違う。カルマパとの接見やダライ・ラマのインタビューなどを通じて見えてきたのは、カルマパのドラマチックな脱出劇とその背景に関する新しい事実だ。

中国国外に亡命したチベットの人々の間では早くも、カルマパのインドへの脱出を41年前のダライ・ラマの亡命劇の再現ととらえる向きも出てきている。

ダライ・ラマ率いる亡命政府の関係者によれば、カルマパは1年以上前から、チベット自治区を脱出することを考えていた。

◆◆ 暗殺されかけたことも ◆◆

カルマパは中国政府に厚遇されていた。文化大革命時代に破壊されたツルプ寺の修復も認められた。しかしカルマパは、しだいに警戒心を強めていた。当局が他の僧の宗教活動を制限しはじめていると聞かされたためだ。

脱出の意思をいっそう強固にするきっかけとなったのは、1998年に起きた事件だった。

ツルプ寺の敷地内で、刃物と爆発物をもった中国人2人が取り押さえられた。消息筋によれば、2人はカルマパの暗殺を企てていたと認めたという。しかし、中国当局は2人を釈放した。

「カルマパを傷つけて、その責任をチベットの人々に押しつけようという策略だったことは明らかだ」と、カルマパに近い筋は言う。

カルマパは、インドを訪問したいという要望を中国当局に繰り返し伝えていたが、許可は下りなかった。しかも中国政府は、カルマパが信者や訪問客と面会することを制限しはじめた。

昨年12月末にカルマパは、中国政府のつけた警備担当者にこう告げた−特別の祈りの期間に入るので、宗教上の師と料理人以外は部屋に入らないでほしい、と。12月28日の夜、警備員がテレビを見ている間に、カルマパは寝室の窓から外に抜け出した。カルマパは、側近2人と運転手22人を伴い、三菱自動車製の四輪駆動車で国境をめざした。ネパール領に入るとすぐに車を捨て、中国の国境パトロールの目の届かない場所まで急いで逃げた。ムスタン北部を突破するときは、馬と徒歩に頼るしかなかった。途中でカルマパは、チベットについての詩をしたためている。
「白い香の煙が優しく立ち上る癒しの地/美しき月光に求めん/すべての争いと闇を退けんことを」

8日間に及ぶ旅は、過酷を極めた。それでも道中では、信者たちが食料や資金などを援助してくれた。本誌の得た情報によると、一行は地元の僧がチャーターしたヘリコプターに乗って、ムスタン南部を抜けている。

カルマパがインド入りしたという知らせには、ダライ・ラマも驚いた。ダライ・ラマは、1月5日の早朝に「極めて地位の高い活仏」がダラムサラのホテルにチェックインしたと伝えられた。

ダライ・ラマはカルマパを迎えるために、ホテルに私用車を差し向けた。対面した2人の高僧は「久々に再会を果たした父親と息子のように、長い間抱き合っていた」と、居合わせた人は言う。

◆◆ 世界中の信者が喜んだ ◆◆

カルマパは足に凍傷を負い、手には切り傷ができた。ほおは乾燥して、ひび割れができていた。

「カルマパは明晰で強靭な精神の持ち主だ」と、ダライ・ラマは言う。「順調に成長すれば、偉大な僧になるだろう」

カルマパがインドに脱出したというニュースに、世界中のチベット仏教信者が歓喜した。

インドとネパールでは、亡命してきたチベット仏教の僧侶や信者を中心に、カルマパがもっと政治的な役割を担う可能性も論じられている。1部には、現在64歳のダライ・ラマが世を去った後、その「生まれ変わり」が大人になるまで、カルマパが暫定的な指導者になるとみる向きもある。

一方、北京の官僚は途方に暮れている。92年にカルマパを活仏と認定して以来、中国政府は彼にいろいろと気を配ってきた。94年には、カルマパと両親を中国周遊の旅に招待している。上海では買い物ざんまい。おもちゃを山のように買ってもらった(お気に入りは、リモコンで操作できるトラックだった)。

江沢民国家主席など、共産党の幹部とも面会した。その際、江はこう言った。「一生懸命勉強して、チベットのために役立つ人物になってほしい」

14歳になったカルマパは今、チベットの人々の役に立とうとしている。ただし、江沢民に求められたのとは違う形で、だ。

◆◆ 命がけの山越え ◆◆

カルマパ17世は昨年12月28日の夜、チベット自治区ラサ近郊のツルプ寺を脱出。約1週間かけて、インドのダラムサラにたどりついた。馬や列車、ヘリコプターまで使った過酷な旅だった。

ニューズウィーク日本版(2000年3月15日号 P.44)

スディプ・マズムダル(ニューデリー)
メリンダ・リウ(北京支局長)