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若きラマが亡命チベット人の若者を奮い立たせる

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2000年5月29日
ニューデリー(ワシントン・ポスト)

最近の金曜日の夕方、テンジン・トゥンドゥップは100人ほどのチベット人学生仲間と共に中央通りで経を唱えた。日が暮れると各々がロウソクを持ち、一昨年にひとりのチベット難民が中国のチベット占領に抗議して焼身自殺を遂げた場所へ行った。次の朝、22歳の工学系の学生であるテンジン・トゥンドゥップは、ヒップホップ音楽を聞きながら抗議活動仲間と共にインターネット・カフェへと向かった。そしてその後、彼らはビリヤードをする計画を立てた。その年頃の若者にとっては「街にくり出すこと」と「カッコよく見せること」が一番大事なのだとテンジン・トゥンドゥップは言う。

インドで生まれ育った多くの若いチベット人の例にもれず、テンジン・トゥンドゥップは二つの社会の間で悩まされていた。ひとつは、1959年に共産中国から逃れ、チベットの流儀と文化を守ることに人生を捧げてきた、彼の両親の世代が形成する社会である。そしてもうひとつは、近代的でグローバルな世界の可能性に惹かれている、彼自身の世代が作る社会である。テンジン・トゥンドゥップは、父親が夜の間にヒマラヤを歩き日中は洞窟に隠れながらインドまで逃げてきたときの話をするのを聞きながら育った。しかし、年を重ねるにつれて、祖国の苦闘への関心は薄れていった。

ところが、この1月にカルマパ・ラマ17世という14歳の僧がチベットの僧院を脱出しヒマラヤを越えインドに辿り着いたことで、彼の関心に再び火がついた。テレビでその物語が明らかにされるのを見ていた彼は驚愕したのである。インドのダラムサラでチベット難民運動を率いる仏教の指導者ダライ・ラマに話が及ぶと彼は、「ダライ・ラマの逃亡劇の話は両親からいつも聞かされていたけど、今回のことは違った」と言った。

「カルマパの逃亡は僕の目の前で起きた」と興奮気味に言う。
「これはスゴイ!と思った」

10万人からなるインド内チベット難民社会に暮らす若者たちの多くが、カルマパ17世の逃亡によってにわかに活気づいた。彼らの多くは、何年にもわたり義務的に両親と共に抗議集会に参加してはきたものの、運動が停滞しつつあることに苛立ちを感じ始めていたのである。テンジン・トゥンドゥップは、チベット独立闘争について「時間が残り少ないと感じる」と言う。「速く行動しないといけない。もう21世紀だというのに僕らはまだ自由になっていない」

限られた教育しか受けずに難民居住地に留まっているチベット亡命政権内に職を求めた両親とは異なり、彼らのようなインド生まれの若き難民たちは、外の世界で暮らし、働くことを夢見ている。アメリカに移住した友人をもつ者は、自らも後に続くことを切望する。多くの者にとっては、ニューデリー、チャンディガール、バンガロールなど、インドの都市で大学に通うことは第一歩に過ぎなかった。現在はデリー大学で情報工学を学ぶトゥンドゥップも、カリフォルニアのハイテク産業の中で働くことを望んでいる。

ダラムサラで育ち、商業を学ぶ22歳のクンサン・ドルジェは「ここでは誰もが競争的。とてもテンポの速い街」と言う。子供の頃に受けた教えによると、いつの日かチベットが解放され、将来的には帰ることになる。しかし彼は、ニューデリーで学生生活を送るようになり、まったく異なる未来が訪れる可能性に気付いた。クンサン・ドルジェは「みんなが常にキャリアを積んで金儲けをすることを考えている」と、友達と寮の食堂で試験勉強をしながら言った。するとその友達が顔を上げて笑った。そして、「ときどき金が神に思えてくる」と言った。

街のインターネット・カフェでは、チベット人学生たちがインターネット世界の中で自分自身の逃亡を実現する。海外の友達とチャットで語り合い、就職口を探し、また、イスラエル占領下のヨルダン川西岸やコソボなどの地域で行われている闘争について学ぶ。

若い男たちはスクリーンに映るマライア・キャリーに見入り、若い女たちはネット・サーフィンでバックストリート・ボーイズのページを探していることを恥ずかしそうに告白する。 しかし同時にインターネットのおかげで、年長者の行う自由闘争が学生にとって身近なものになりつつある。ニューデリーの学生たちは、チベット関連の情報や意見を交換するためのホームページをいくつか作成し、世界各地に暮らす他の難民と連絡を取っている。

年輩の難民たちは、ダライ・ラマの平和主義的な教えに従い、抗議活動を平和的な集会の枠内に留めてきたが、若い世代はより活発で、場合によっては暴力も辞さないようなやり方に引き付けられている。

一昨年には若いチベット人グループがこの地でハンストを行ったが、年長の難民の殉死を峠に衰退していった。 デリー・チベット青年会議の代表テンジン・プルチュンは「我々の闘争はこれまであまりに受け身なものだった。若者の多くが苛立ち始めている」と言った。

「我々はダライ・ラマの言葉を信じるが、すべてを疑うこともある」 プルチュンはしばしば、中国の軍事基地を破壊するために人を訓練して送り込むことを語る。彼の見方によれば、現在ダラムサラの僧院で暮らし謁見を行っているカルマパ17世は、「激怒した仏の現れ」であり、若いチベット人たちをより直接的な反中国活動に駆り立てることのできる人物なのである。

年輩のチベット人たちの間には、この世代のうちにチベットを独立させないかぎり、若者を難民運動に専念させておくことが非常に困難になるという懸念がある。

情報学で優秀な成績を修めている学生に賞を贈るためにニューデリーを訪れていた、ダライ・ラマの代理人タシ・プンチョクは「我々の主な仕事はアイデンティティを完全な形で残していくことであり、そのために若者を取り込む努力をしている」と言った。

「彼らに対して雇用を提供できなければ本当に分裂を引き起こすおそれがある。もし彼らが去っていくのであれば、我々は失敗したということだ」