チベットの核

第9学会

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核兵器とは何か

核兵器とは、原子核の潜在能力を利用して開発された爆発物である。核兵器の破壊能力は、原子核の物質をエネルギーに変換することから生じる。核兵器としては、ミサイル、爆弾、大砲、砲弾、地雷、魚雷が挙げられる。もっとも軽度な核兵器でさえ、最大破壊力を持つ通常兵器をも凌ぐほどの破壊力を持つ。

歴史的背景

人民解放軍の兵士たちは49年、チベット東部に侵攻した。中国の「第18集団軍」は50年の春、東部のダルツェンド(康定)、および北東部のアムドを経由してチベットに侵入した。また、「第14師団」は、チベット南東部のデチェン(迪慶)経由で侵入を遂げた。カムとアムドを占領した後、「第18集団軍」の先進隊は、51年9月9日にラサへと侵攻し、続く10月26日には同部隊の主力戦力がラサを手中に収めた。この出来事は、今日まで続くチベットにおける中国軍の広大な支配の序章にしか過ぎない。
最初にその存在が明らかにされた核兵器は、71年チベット高原に輸送され、アムド(青海省)北部のツァイダムに配備されたものである。中国は、現在、およそ300から400の核弾頭を保有し、そのうちの少なくとも数10個は、青海省のチベット高原にあると考えられている。

第9学会

中国の北西核兵器研究設計学会は、「第9学会」、または「211工場」としてその名を知られ、60年代の初頭に中国核製造機関の第九局により、中国の初期の核爆弾設計を目的に設立された。この「第9学会」は、中国でも最高機密の核都市で、西寧から西へ100kmほどの海北チベット自治州に位置している。

「第9学会」は、中国共産党中央委員会の当時の総書記であったトウ小平前主席の承認を得て設立された。「第9学会」は、北緯36.57度、東経101.55度、海抜3030メートルに位置し、ココノール湖の東から約16キロメートル離れた分水嶺にあるため、その排出液はツァン・チュ川へと注がれる。この支流はやがて黄河に合流する。70年代後半には、「第9学会」による化学工業研究所がさらに設立され、高濃度ウラニウム燃料の再処理実験が実施されるようになった。
「第9学会」は、60年代、70年代にわたり、切迫した状況下で中国における核兵器戦力の確立のためにその威力を発揮した。「第9学会」が廃棄した放射性廃棄物には、固体、気体のみならず、懸濁液として処理されたものもあるが、その量はいまだに不明である。そもそも廃棄物の処理自体がきちんと管理されておらず、記録状況も最悪であった。初期の段階では、放射性廃棄物は、浅く掘られた覆いもないようなごみ処理場に投棄されていた。

「第9学会」とチベット高原最大の湖であるココノール湖の間には直通の路線が敷かれている。核廃棄物の専門家は、放射性廃棄物はこの湖にも投棄されていたであろうと指摘する。蘭州で核研究に従事していた父親を持つ中国人男性からの信頼できる報告によると、74年には、湖に核汚染をもたらすような事故が1件あったらしい。「第9学会」が設立された場所は湿地帯であったため、汚染水や放射性粒子は、地下水へたやすく浸透してココノール湖に流れ込んでしまうことになる。

中国国営新華社通信は、95年7月20日付けで、「『第9学会』は87年に閉鎖され、その拠点はチベット東部の四川省の用地に移転された」と報道した。しかし、96年、「第9学会」の近隣に居住していたチベット人は、「中国の警察官が24時間体制で『第9学会』を監視している」とチベット亡命政権に対して報告している。この報告により、核兵器製造センターである「第9学会」が閉鎖されたという中国の主張は、疑問視されている。


チベット亡命政権情報・国際関係省環境開発部(EDD)発行
「グリーンチベット」1998年ニュースレターより

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