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神変祈願大祭の『ジャータカ』法話

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2022年3月18日
インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ

今朝、ダライ・ラマ法王は、チベット暦の壬寅みずのえとら年の元旦から15日まで、釈尊が毎日様々な神変(奇跡)を起こして一切有情の功徳を増大させたことを想起し、釈尊の前世物語を読み上げる日に当たっていることを告知され、この儀式を執り行うためにナムギャル僧院本堂のツクラカンを訪問された。コロナウィルス感染症の蔓延により、聴衆の前に法王が姿を現されたのは2020年1月のブッダガヤ以降、今回が初めてである。法王は公邸の門からツクラカンの中庭を通って会場まで徒歩で移動され、喜びに湧き立つ老若男女の群衆に向かって終始笑顔で手を振られた。

ツクラカンの中庭を歩かれるダライ・ラマ法王。2022年3月18日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

今日行われる行事は、ツォンカパ大師によって1409年にラサのジョカン寺で開始され、今に至るまで続いている神変祈願大祭の一環である。祈願大祭の期間中、僧院では、早朝の祈願・法話・昼の祈願・午後の祈願という4つのセッションが毎日行われるが、このうち法話のセッションでは、繰り返し語り継がれて来た釈尊の最も有名な34の前世についての詩的な物語である、アーリヤシューラ著『ジャータカ』(本生譚)が取り上げられる。ツォンカパ大師はまた、祈願大祭15日目の満月の日に、一切有情を利益するために悟りを得ようと祈願する発菩提心の儀式を、多くの聴衆に向けて行われた。

法王は、本堂の下の階に、参列者が座っている中庭に対面して設置された法座に着かれると、次のように話を始められた。

「当初、この時期には健康診断のためにデリーに行くという計画がありました。しかし私自身、不調を感じることはありませんし、むしろ極めて健康であると感じていますので、この計画を取り止めました。いつもなら冬にブッダガヤを訪れますが、今年もここダラムサラに留まり、リラックスして、ゆったりと過ごそうと決めました。このような予定について、チベット式占いの “モ” でも占ってみましたが、“これでよいだろう” という結果が出ています。ですから、今日は『ジャータカ』の一節を読みます」

「ここで問題となるのは、どのようにして仏陀たちは有情を利益するのか、ということです。仏陀たちは有情のなした不徳を水で洗い流すことはできませんし、有情の苦しみをその手で取り除くこともできません。自ら得た悟りを他者に与えることもできません。ただ、自ら体験した真如という真理を示す教えを説き、絶えず散乱している心を鎮めるための方便を示すことにより、有情たちを救済されているのです」

「釈尊は最初に四聖諦ししょうたい(四つの聖なる真理)をお説きになり、後に霊鷲山りょうじゅせんで教義の心髄である般若波羅蜜を示されましたが、その要約が、いつも私たちが唱えている『般若心経』です」

神変祈願大祭の日を祝うため、ツクラカンに集まった聴衆に向けて説法をされるダライ・ラマ法王。2022年3月18日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

「私は空の教えについて熟考するために最善を尽くしていて、それは悪しき感情に取り組むために非常に役立つものですが、一方で、シャーンティデーヴァ(寂天)が記された以下の言葉も心に深く刻んでいます」

自分の幸せと他者の苦しみを完全に入れ替えなければ、仏陀となることはできないし、輪廻においても幸せを得ない。(『入菩薩行論』第8章131偈)

ゆえに、落胆や疲れをすべて取り除く菩提心という馬に乗って、幸せから幸せへと進んでいくことを知ったなら、いったい誰が怠惰な心を起こしたりするだろうか。(同第7章30偈)

「破壊的な感情である煩悩は苦しみをもたらします。煩悩を減らすことができれば、自ずと心が休まるでしょう。私たちチベット人は観音菩薩と特別な絆があり、他者を助けるために仏陀の境地に至ろうという菩提心を持っています」

ここで『般若心経』、そして何人かの歴代ダライ・ラマを含む系譜の導師たちへの祈願文が誦経された。最後にシキョン(主席大臣)のペンパ・ツェリン氏、チベット亡命議会のケンポ・ソナム・テンフェル議長およびドルマ・ツェリン副議長が法王に捧げるマンダラ供養の儀式に参加した。

法王にマンダラを捧げた後、法王から加持を受けるペンパ・ツェリン中央チベット政権主席大臣。2022年3月18日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

バター茶とチベットの甘いお祝いのご飯(デシ)が配られ、参加者がそれを味わっている間に、法王は、昔チベットで行われたあるお祝いの席での出来事を思い起こされた。その席に参加した要人のひとりの口髭にお祝いのご飯の米粒が付いてしまったが、彼はそれに気づかなかった。そこで従者のひとりが、率直に無作法を指摘して当人を決まり悪くさせるのではなく、ある偈頌の一節を自発的に口にした。偈頌の内容から意味を汲み取った当人は、口髭を拭って米粒を取ったという。

「私はチベット人が観音菩薩と特別な絆を持っていると言いましたが、これはソンツェン・ガンポ王についても言えます。王はとても賢く有能な方でしたので、中国とその文化との密接な繋がりにも関わらず、チベット文字の制定を思い立たれた際には、漢字ではなく、サンスクリット語に使われていたデーヴァナーガリー文字を手本にされました。この時生み出された文字は今もチベットで広く共通して使われています」

「その後の8世紀に、ティソン・デツェン王がシャーンタラクシタ(寂護)をインドから招聘され、“甚深にして寂静、戯論を離れ、無為である光明、そのような甘露のごとき仏法” がチベットにおいて確立したのです。この頃から仏教典籍のチベット語への翻訳が始まりました。近年には、仏陀の教えもろともチベット文化を廃絶しようとする試みがなされていますが、そのような圧力にも関わらず、私たちは仏教の伝統を守り続けています。このようなことが可能であるのも、チベット人の観音菩薩への揺るぎない信仰が関係しています。そして時間が経つにつれ、より多くの中国の人々がチベット仏教に関心を持つようになってきています」

「私たちが保持して来たこの教えは、あるがままの真実に関するものです。世界には様々な信仰がありますが、根拠と論理に基づく信仰は仏教だけです。この点に関する私の役割を考えるならば、私はアムド地方のクンブム僧院の近くで生まれ、聖なる湖、ラモ・ラツォの湖面に浮かび上がった “ア(Ah)”、“カ(Ka)”、“マ(Ma)” の文字を手がかりとしてダライ・ラマ13世の転生者を探していた捜索隊に発見されました。それから私は中央チベットに移り、仏教の勉学と研究に没頭しました。その後チベットから亡命し、科学的背景を持つ沢山の人々に会って来ましたが、その中の多くの人が、仏教が言及する心と感情に関する教えに興味を示しています」

「今日はこの特別な機会に皆でここに集まることができました。私たちはこのような行事を通して、釈尊の教えは貴重な宝であり、学んで実践することによってのみ継承可能であることを思い起こさなければなりません。仏法を学び、実践することができれば、私たちは世界の多くの場所で沢山の人々を利益することができるのです。チャンドラキールティ(月称)の『入中論』には、ヴァスバンドゥ(世親)やディグナーガ(陳那)のような、大変学識のある導師でさえ、空の教えを完全には理解していないと書かれています。しかし、この著作の第6章の終わりには次のような偈頌があります」

このように、智慧の光の現れで明らかにする者は
自らの手にあるキュルラ(果実の一種)のように
この三界のすべてを、無始の時より不生であると理解して
世俗諦の力によって滅諦に赴く(『入中論』第6章224偈)世俗と勝義という大きな白い翼を広げ
この白鳥の王者を普通の白鳥の先頭に据えて
善の風の力で勝利者(仏陀)の功徳の海を越え
最勝なる彼岸へ飛んでいく(同第6章226偈)

「この教えは論理に基づいており、心に巣食う煩悩への対抗手段となります」

神変祈願大祭をお祝いするため、ツクラカンに集まった聴衆に向けて説法をされるダライ・ラマ法王。2022年3月18日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

法王は参加した学生たちに向かって次のように告げられた。
「亡命後、私はインドの首相であったパンディット・ネルー氏に、チベット人の生徒がチベット語で学べる学校を設立できるように力を貸して欲しいとお願いしました。亡命したチベット人たちは、実際にはインドや他の国々で暮らしていますが、自分たちの伝統、宗教、文化に親近感を持ち続けています。私も最善を尽くしますが、皆さんもこの遺産を保ち続けるように尽力するべきです」

法王は、ご自分の年齢について触れられ、歳をとってきているが、あと10年かそれ以上の間はここに留まり、人々を導き、励ますことができるだろうと述べられた。そして、「膝は痛むが、杖を使っていても助言はできるはず」と請け合われた。

「私たちは神変祈願大祭の機会にここに集まることができました。私は皆さんに勇気を奮い起こすようお願いしたいと思います。自分を釈尊、聖ナーガールジュナ(龍樹)とその弟子たち、ディグナーガとその弟子たちに続く者であると考えてください。耳にしたことを鵜呑みにすることなく、疑問を持ち、“なぜだ?” と問いかけてください。学校の仏教哲学の先生は、詩について教えるだけではなく、哲学的思考についても教えるべきです」

ここで法王は『ジャータカ』(本生譚)のテキストを取り上げ、“ヴィシュヴァンターラ王子として生まれた前世物語” の一部を少し読まれ、これで、今まで長く続いている、神変祈願大祭の日にこの本を読み上げるという伝統が今回も果たされたと告げられた。法王は、釈尊の教えの核は心を律することであると述べられ、ご自身はヒンドゥー教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、シーク教などすべての偉大な宗教を尊敬されているが、仏教だけが根拠と論理に根ざしていると強調され、次のように話された。

「インド政府の客人として、私はここで亡命民として暮らしていますが、私の思いはいつもチベットとチベット文化の伝統と共にあります」

次に簡潔な発菩提心の儀式が行われ、法王は参加者たちに、“一切有情を利益するために仏陀の境地に至るための戒律を、今、自分は釈尊の真の弟子から授かっている” と確信するようにアドバイスされた。そして観音菩薩に従う者として、“無常・苦・無我・空” についての教えを省察し、この伝統を絶やさず継承していくと決意するように促された。

法話会は、感謝のマンダラ供養と『仏法の興隆を願う祈願文』および吉祥を願う偈頌の詠唱で締めくくられた。

法王は聴衆に笑顔を向けて手を振りながら、中庭の三分の一程を車まで歩き、あとは車で公邸に戻られた。

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