ダライ・ラマ法王

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欧州議会におけるダライ・ラマ法王の演説

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(2001年10月24日 フランス・ストラスブール)

 

2001年10月24日、欧州議会で 演説するダライ・ラマ法王 ©D.R.

議長、並びに敬愛する議員の皆様

欧州議会にて演説できることを大変光栄に思います。

私は、欧州連合の存在が異国の人々が協力しながら平和に共存していくことを奨励する例として、また私のように、世界の諸国間にさらに深い理解、さらに親密な関係、そしてさらに大きな敬意が必要であると強く信じている者にとっても、励みになるものと考えています。

私はこのようなお招きに感謝しております。このお招きをチベットの人々の悲劇的な運命に対する真の共感と思いやりを示す勇気ある行為と私はとらえております。

チベットに古くから伝わる伝統的な形式で教育を受け、修行を積んだ一介の仏教僧として、私は本日皆様にお話いたします。私は政治学の専門家ではありません。しかし、私は仏教の勉学と修行に一生を捧げ、また自分の責任において非暴力によるチベットの人々の解放に向けて努力してきた中で幾らかの経験や考えを得ましたので、それを皆さんと共有したいと思っています。

人間社会が歴史上重大な危機に瀕していることは明らかであります。今日の世界において、人間性は一つであると認める必要があります。

過去においては、地域社会はお互いを基本的に別々のものだと考えることができました。しかし現在は、アメリカで最近起こった悲劇的な出来事から分かるように、ある地域で起こる出来事は何であろうと他の多くの地域に次第に影響を与えて行きます。

世界はますます相互依存するようになってきています。この新しい相互依存という意味では、自己の利益は他人の利益を考えることにあるのは明らかです。普遍的な責任という感覚を養い育てていかなければ、我々の近い将来は危ぶまれます。

私が強く思うのは、我々は普遍的な責任感を意識的に身に付けなければならないということです。我々は自分個人や家族や国のためだけでなく、全人類の利益のために努力することを学ぶべきです。

普遍的な責任というのは、我々の個人的な幸せと世界平和、つまり我々の周囲の天然資源を公平に利用して未来の世代への思いを込めて適切な環境保護をすること、その両方にとって最良の基礎なのです。

世界で起こっている問題や衝突の多くは、人類の家族として我々を1つにしている基本的な人間性を我々が見失ってしまったために起こっています。人種、宗教、文化、言語、イデオロギー等が多様であっても、平和と幸福に対する基本的な欲求において人々は平等であることを我々は忘れがちです。

つまり我々は皆幸福を求めているのであって、苦しみを求めているのではないということです。我々はこれらの欲求を満たすために、できる限り努力しています。

しかし我々が理論上での多様性を称賛している以上は、残念ながら実践においてその多様性を尊重できないということがしばしばあります。事実、我々が多様性を受け入れられないこと自体、人々の間に衝突をもたらす大きな原因となるのです。

特に人類の歴史において悲しい事実は、宗教の名において衝突が起こっているということです。今日でさえ、宗教を誤って利用し排他的な言動や憎悪を奨励してきた結果として、人々が殺されその地域が破壊されて社会が不安定になっています。

私の経験から言えば、宗教間の調和の障害となるものを克服し理解をもたらす最善の方法は、他の宗教を信仰している人達と対話することです。これにより私は多くの違った変化が起こるのを目にしています。

例えば、私の場合、1960年代後半トーマス・マートンというトラピスト会の修道士に会い、非常に勇気づけられました。彼らにより、私はキリスト教の教えにさらに深い賞賛の気持ちをもつことができました。

また、1986年にイタリアのアッシジでの会合のような、異なる宗教の指導者同士の会議や共通の教義をもとにした祈りに一緒に参加することも大変力強いものであると感じます。

昨年開催された宗教的・精神的指導者の国連ミレニアム世界平和サミットも賞賛に値する最初の一歩でした。しかし、このような構想をもっと定期的にという要望もあります。

私の場合、他の宗教的伝統に敬意を示すために世界三大宗教の聖地であるエルサレムを巡礼しました。また、インド国内・国外双方にあるヒンズー教、イスラム教、キリスト教、ジャイナ教、シーク教の様々な聖地を訪問しました。

過去30年間に、私は異なる伝統を持つ多くの宗教指導者に会い、調和と宗教間の理解について議論しました。

このような意見交換があると、ある伝統的信仰の信奉者は、ちょうど自分自身が信じる宗教の教えもそうであるように、他の宗教の教えが精神的励ましであると同時に倫理的な手本となることに気付くでしょう。また教義やその他の違いを問わず、全ての主な世界的宗教は個人を素晴らしい人間に変えるのに役立つということが明らかになるでしょう。

全ての宗教は愛、憐れみ、忍耐、寛容、許し、自己鍛錬等を強調しています。それゆえに我々は宗教界の多数性という概念を受け入れるべきなのです。

我々の前に新たに出現した地球的規模の共同体という意味において、戦争を含むあらゆる形態の暴力は紛争解決の手段としては全く不適当なのです。暴力と戦争は常に人間の歴史の一部であり、かつては勝者も敗者もいました。

しかし、現在もし新たに地球的規模で衝突が起こったとすれば、勝者は全く存在しないでしょう。それゆえに我々は世界に対し、長期的に見て核兵器や国軍のない世界を求める勇気とビジョンを持つべきです。

特にアメリカ合衆国での恐ろしい攻撃に照らして考えれば、国際社会は誠実に努力しその恐ろしいショッキングな経験を生かして、地球的規模の責任感−つまり対話の文化と非暴力を紛争解決に使用する−そこへ発展させるべきなのです。

対話は、個人間あるいは国家間の意見の相違や利益の対立を解決する唯一の良識ある知的な方法です。人類の将来に向けて対話の文化と非暴力を促進するのは国際社会にとって義務的な役割です。

政府が何ら適切な支援行動もせずに、非暴力主義を支持し奨励するのは十分ではありません。もし非暴力を広めるのなら、非暴力運動は効果的に行い、かつ成功させなければなりません。

20世紀を戦争と流血の世紀だと考える人もいます。我々が挑戦しているのは、新世紀を対話と非暴力の世紀にすることであると私は考えています。

さらに、対立を処理しようとする時も、我々はしばしば的確な判断や勇気に欠けています。我々は衝突が起こりそうになる初めの段階での状況を適切に見極めることができません。

一旦状況が先に進んで、紛争に巻き込まれた人々や地域社会の感情が飽和状態になってしまうと、爆発という危険な事態を避けることは、不可能ではないとしても、非常に難しいのです。

我々はこうした悲劇的な事態が何度も繰り返されてきたのを見ています。ですから、我々は衝突の初めの兆候を察知し、沸点に達する前に勇気をもって問題に取り組むのです。

人間同士の衝突の殆どは素直さと和解の精神で真の対話をすることで解決できると、私はずっと確信しています。したがってチベット問題の解決も、首尾一貫して非暴力と対話に狙いを定めてきました。

チベットへの侵略が始まってすぐ、私はお互いが納得し平和的に共存できるよう中国当局に働きかけようとしました。いわゆる「チベットの平和的解放のための17か条協定」が我々に強制された時でさえ、私は中国当局に働きかけしようとしたのです。

結局、その協定により中国政府はチベットの独自性と自治制に気付き、我々の意思に反して中国の制度をチベットに押しつけるようなことはしないと約束しました。

しかし、この協定に違反して中国当局は、チベット人に対し中国の強固で異質なイデオロギーを強要し、チベット人の独特の文化、宗教、生活様式に対しては殆ど敬意を示しませんでした。

絶望の中、チベットの人々は中国人に反抗して立ち上がりました。1959年末に私はチベットから避難しなければならなくなり、それによってチベットの人々に奉仕し続けることができたのです。

私が避難して以来40年以上もの間、チベットは中華人民共和国の厳しい支配下に置かれてきました。大規模な破壊やチベットの人々に与えた人権侵害は今日よく知られており、私はこのような悲しく痛ましい出来事を考えたくはありません。

パンチェン・ラマの7万字に及ぶ中国政府への陳情書は、チベットにおける中国の厳格な政策と行動に関する歴史的な文書を綴ることに貢献しています。チベットは今も征服された国であり、力によって抑圧され苦痛による傷跡を残しています。ある程度の発展や経済的な進歩があるにせよ、チベットは生き残るための根本的な問題に直面しています。

深刻な人権侵害はチベット中に拡がり、しばしば人種や文化の差別政策という結果を招くことがあります。しかし、これらはさらに深い問題の中の単なる要因であり結果なのです。

中国当局は、チベット独自の文化と宗教が分離独立の脅威の源であると見ています。故意の政策の結果として、独自の文化とアイデンティティを持つ人々全体が絶滅の恐怖に直面しています。

私はチベット解放という闘いを非暴力という道に導き、そして和解と妥協の精神で中国と交渉をしながら、双方に好ましいチベット問題の解決方法に一貫して狙いを定めてきました。

この精神を持って、1988年ストラスブールで開催されたこの同じ議会で、私は交渉−つまり我々がチベット問題解決の基礎として貢献することを望んでいるもの−を公に提案しました。

交渉の枠組みに対する私の考えを披露する機会として欧州議会を私が慎重に選んだのは、本当の連合とは全ての関係者が満足の行く利益を得た時に自然と発生するものだという点を強調するためです。欧州連合はこの点において明らかに勇気を与えてくれる例です。

一方で、信頼や利益が欠けている場合、そして統治の主要な手段として力が用いられる場合は、どんな国や地域社会も2つあるいはそれ以上の存在に分かれてしまう可能性があります。

後に「中道的アプローチ(Middle Way Approach)」または「ストラスブール提案」として知られるようになった私の提案は、チベットが中華人民共和国の枠組みの中で真の自治を享受することを描いています。

それは、17ヵ条協定で50年前に私たちに強いられた紙上の自治ではなく、自分の子供たちの教育や宗教に関すること、文化面の諸事、チベットの繊細で貴重な環境の保護、地方経済を含む自分たちの国内問題についてチベット人が完全に責任をもつことのできる本当の自治、真に自治権のあるチベットです。中国政府は外交と防衛面での管理を担い続けます。

この解決策は、中国の国際イメージを大いに高め、中国政府の2つの最優先課題である安定と統一に貢献するのと同時に、チベット人にとっては、基本的人権と自分たちの文明を守りチベット高原の繊細な環境を保護する自由を保障するものとなるでしょう。

それ以来、中国政府と私たちの関係は紆余曲折を経てきました。残念ながら、中国指導者側のチベット問題に真剣に取り組もうとする政治的意思の欠落によって、何の進展ももたらされなかったことを悲しみをもって伝えなければなりません。幾年にもわたり中国の指導部と対話と持とうとした私のイニシアチブと提案に対して、中国側からは未だに反応がありません。

先の9月、私はニューデリーの中国大使館を通じて、チベット問題に関する私の考えをまとめた詳細な覚書を運び、その覚書で取り上げられているポイントを説明し話し合うための使節団を北京に送りたいという要望を伝えました。

私は、実際に対面して会議をすることによって、誤解を明確にし、不信感を克服することに成功するだろうと伝えました。一旦これが達成されれば、双方にとって受け入れ可能な問題解決策が、それほど困難もなく見つけられるだろうという私の強い信念を表明しました。

しかし、中国政府は今日まで私の使節団の受け入れを拒否しています。亡命政府のチベット人使節団が六度受け入れられた1980年代に比べると、北京の態度は著しく硬直してきていることは明白です。

北京が中国政府と私との交信に関してどのような説明をしようとも、中国政府は私がその務めを遂行するために指名した代表者と話をすることを拒否しているということを、ここではっきりと明言しておかなくてはなりません。

中国指導部が私の中道的アプローチに対して積極的な反応を示さないのは、中国政府がいかなる形での平和的共存に興味を持っていないというチベット人が持つ疑念を再確認するものです。

中国がチベットを完全にかつ強制的に同化・併合するのに懸命になっている、と多くのチベット人は信じています。彼らは、チベットの独立を求め、私の中道的アプローチを非難します。チベットでの国民投票を主張するものもあります。

もしチベット内の状況が、中国当局が描いているようなもので、チベット人が本当に幸せならば、チベットで直接投票を行うことに何の問題もないはずだと主張しています。

インドの初代首相ネールが1950年12月7日にインド国会で、「チベットに関する最終決定権は、チベットの人々の声にあり、他の誰であってもならない」と述べたように、私も最終的にはチベット人がチベットの将来について決めることができなくてはならないと常に主張してきました。

私たちの自由闘争の手段として暴力を行使することを私は断固として拒否する一方、私たちには確かにあらゆる政治的選択を探求する権利があります。私は自由と民主主義の堅固な信奉者ですから、亡命中のチベット人たちに民主主義的手順を辿るように奨励してきました。

今日、チベット難民たちは、民主主義の3本柱である立法・司法・行政のすべて確立した数少ない亡命コミュニティーのひとつかもしれません。今年、私たちはチベット議会の主席大臣を民衆による投票で選出し、民主主義化への過程で新たな長足の進歩を遂げました。選挙によって選出された主席大臣と、選挙によって選ばれた議会は、人々の合法的代表者としてチベットの諸事を運営する責任を担うことになるでしょう。

しかしながら、解決策が見つかるまで、中国指導部にチベット問題を持ちかけ続けることと、チベットの人々の自由なスポークスマンとして行動することが、私の600万人のチベット人に対する道義的責任であると考えています。

何年にもわたる私の提案に対し中国政府から何の積極的な反応がないために、国際社会のメンバーに訴える以外に私には選択肢が残されておりません。首尾一貫した協調的な一層の国際努力のみが、北京にチベットに対する政策を変えるよう説得できるでしょう。

中国からの最初の反応は否定的なものである可能性が高いですが、国際的関心と支持の表明は、チベット問題の平和的解決を助ける環境づくりに不可欠であると強く信じています。

私のほうは、対話という方法を固守し続けています。対話そしてチベットの現実を誠意と明晰さをもって見つめる意志は、中華人民共和国の安定と統一に貢献し、かつチベット人が自由・平和・尊厳のなかで生きていく権利を保障する、双方にとって有益な解決策へと私たちを導いてくれると私は固く信じております。

欧州議会の同朋の皆さん、私は、自分を、捕らわれの身となっているチベットの人々の自由なスポークスマンであると思っています。彼らのために話をするのは私の義務です。

私は、私たちの国民に計り知れない苦しみをもたらしたり、私たちの土地、家、寺院、僧院そして文化を破壊した人々に対して怒りや憎しみの感情をもって話しているのではありません。彼らも幸福を求めて闘っており、私たちの慈悲に価します。

私は、私の国の今日の悲しい状況と、私の国民の要望を皆さんにお知らせするために話をしています。なぜなら私たちの自由を求める闘争において、真実が私たちのもっている唯一の武器だからです。

今日、私たちの民族、私たちの豊かな文化遺産、そして私たちの国民としてのアイデンティティーは滅亡の危機にさらされています。私たちはひとつの民族として、ひとつの文化として生き延びるためあなたたちの支持を必要としています。

チベット内の状況を見ると、ますます強化される弾圧、引き続く環境破壊、そしてまさに今行われているチベットの文化とアイデンティティーの組織的破壊に直面し、ほとんど絶望的なように思われます。

しかし、私は中国にいかに大きな権力があったとしても、中国はそれでも世界の一部だと信じています。今日の世界の流れは、開放、自由、民主主義、人権の尊重へと向かっています。

遅かれ早かれ、中国もその世界の流れに従わなくてはならないでしょうし、長期的には、中国が真実・正義・自由から逃れ得ることは決してないでしょう。欧州議会が一貫し道義に基づいた方法で中国と関わりをもつことは、中国ですでに起こっている変化の過程を促進することになるでしょう。チベット問題は中国で起きていることと密接な繋がりがあるので、希望ももつ理由と根拠があると信じています。

私は、欧州議会がチベットの非暴力の闘いに一貫した関心と支持を表明してくださっていることに感謝したいと思います。あなた方の同情と支持は、常に、チベット内外のチベット人たちのインスピレーションと励ましの深い源であり続けています。

チベット問題に関する欧州議会の数々の決議案は、チベットの人々の苦境を強調し、ヨーロッパそして世界各国の人々や政府に、チベット問題についての意識を喚起するのに非常に役に立ってきました。

私は特に、チベットのために欧州連合特別代表者の指名を求める欧州議会の決議案に励まされました。この決議案が施行されれば、欧州連合は、チベット問題がより一貫した効果的かつ平和的な方法で交渉されるのを促進する手助けをするだけでなく、私たちの独特のアイデンティティーを守る方法などチベット人の他の合法的な要求を支持することになるものと強く信じています。

このイニシアティブは欧州連合がチベット問題の解決を奨励・促進することに真剣であるという強い信号を北京に送ることになるでしょう。皆さんが引き続きチベットへの関心と支持を表明してくださることは、長期的に、肯定的な影響を与え、チベットの問題に関して建設的な対話ができるような政治的環境を作りだすのに貢献するだろうと信じて疑いません。

私たちの国の歴史のこの重要な時に、私はあなた方の変わらぬ支持を求めます。私の考えを皆さんと共有する機会を与えて下さったことに感謝します。

有難うございました。

2001年10月24日
ダライ・ラマ