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東チベットで弾圧悪化 ーチベット人囚の処刑、チベット人拘束の増加、反ダライ・ラマ政策の強化ー(2007年)

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2007年10月8日
 ICT(インターナショナル・キャンペーン・フォー・チベット)レポート

チベット人囚が処刑されるなど、東チベット・カンゼ県(四川省甘孜)で緊張が高まっています。
これは去る8月にチベット人遊牧民ロンギュ・アダック氏が競馬大会で聴衆を前にダライ・ラマ支持を訴えたことをきっかけに激しさを増している政治的弾圧とつながりがあるものと思われます。その後の東チベットの現状を報告します。

リタン県(四川省理塘)では、チベット人教育の貢献者として知られる高僧1名、ロンギュ・アダック氏およびダライ・ラマ支持を訴えた遊牧民1名、若い美術教師1名をはじめ、さらに多くのチベット人が拘束されています。

チベット人がカム地域と呼ぶ甘孜(カンゼ)チベット自治区内のリタン県とカンゼ県にかけて中国軍が増強、チベット人を脅かしています。

チベット人僧侶・尼僧・一般信徒・子どもにダライ・ラマを非難するよう強要する政治キャンペーンが一層強化されています。これは、ダライ・ラマが平和と非暴力のリーダーとして世界中のリーダーたちから称賛されるのと時を同じくして起きています。

クンジャムの処刑


ロンギュ・アダックは、今年8月1日に開催されたリタンの競馬祭りで抗議の声を上げた

ICTに寄せられた報告によると、9月14日頃リタン県で、クンジャムという名のチベット人が処刑されました。
クンジャムが拘束されたのは2003年。土地問題をめぐって2名の中国人との争いに関わったことが原因であった、とチベットのある情報筋は報告しています。その2名の中国人は、チベット人が聖地としている山で、鉱物採掘をすべく調査していたものと思われます。
詳細は不明ですが、その中国人のうちの1名が殺害されており、クンジャムはこれに関与したとして投獄されました。当初から死刑宣告を受けたかどうかについては不明です。
しかし、ICTに寄せられた報告によると、クンジャムの処刑は予想外に早急に実施されており、これは中国当局が8月から9月にかけて東チベットで行なった、政治的意見の相違を唱える者に対する強硬アプローチと関連していた可能性があると思われます。

8月1日、リタンの競馬祭を監視する中国軍人

今回のリタン県での弾圧は、8月1日のリタン競馬大会でチベット人遊牧民ロンギュ・アダック氏が何千もの聴衆の前で抗議行動を行なったことに端を発しています。ロンギュ・アダック氏とは関連がないと思われますが、ロンギュ・アダック氏が抗議を行なう2週間前に、「完全独立」を意味するチベット語の文字が会場の門に落書きされるという事件もありました。

チベット人がカム地域と呼ぶ甘孜(カンゼ)チベット自治区のチベット人は、チベット人としてのアイデンティティや民族意識が非常に強いことで知られています。1949年から1950年の中国軍侵攻の際には多くのカム族が勇敢に立ち向かいました。中国のダライ・ラマに対する強硬路線、中国人による鉱物の採掘など、チベットの土地や暮らしを蝕む中国の経済政策はこの地域の人々に深い憤りをもたらしています。宗教規制の強化やダライ・ラマを批判するよう命じる中国当局に対して人々は不満を積もらせており、危険を承知で抗議行動にでるチベット人がますます増加するものと思われます。

リタン県とカンゼ県にかけて反ダライ・ラマ政策が強化され、僧侶および一般信徒はダライ・ラマを非難するよう厳しく強要されています。ダライ・ラマが平和と非暴力のリーダーとして世界中から称賛されているのと時を同じくして反ダライ・ラマ政策も強化されています。来週、10月17日には、ダライ・ラマは米国で最高の市民栄誉賞である議会名誉黄金勲章受章のためワシントンDCを訪問。現職のアメリカ大統領として初めてブッシュ大統領がダライ・ラマと公式の場で対面することになります。9月23日にはベルリンで、ドイツのアンゲル・メルケル首相がダライ・ラマと会談。中国からの厳しい反発と経済的ダメージの警告を受けながらも、ドイツ首相としては初めてのダライ・ラマとの会談が行なわれました。オーストリアのアルフレッド・グーゼンバウアー首相もまたダライ・ラマに面会。カナダのスティーヴン・ハーパー総理大臣も中国が反対しようともダライ・ラマに会うつもりであると意思表明しています。

8月に逮捕されたリタン中学校の美術教師クンキェン

リタン県における拘束と弾圧は、地元遊牧民ロンギュ・アダック氏が行なった抗議に端を発しており、8月の終わりにクンキェンという名のリタン中等学校の芸術教師が拘束されたのもまた、ダライ・ラマに忠誠を誓っている、あるいはロンギュ・アダック氏が表明した考えを支持している疑いがあるとして、組織的な取り調べが行なわれているものと思われます。

クンキェン氏はこの地方では有名な30歳代はじめの男性で、チベットの弦楽器ダムニェンの優秀な奏者かつ地元の寺院の壁画を手がける芸術家として知られる人物です。居所はわかっていません。

ロンギュ・アダック氏の親類縁者に執拗な家宅調査が行なわれているという情報が寄せられています。ロンギュ・アダック氏は53歳。11人の子どもの父親で、周囲の遊牧民たちからの人望を集めている人物です。

8月21日にロンギュ・アダック氏の釈放を訴えて逮捕された僧侶ルプー師(ロンギュ・アダック氏の甥)

ロンギュ・アダック氏の甥で、リタン県の僧院の高僧でもあるルプー師が、8月21日に拘束されたという情報が寄せられています。ロンギュ・アダック氏の他の2名の甥もルプー師が拘束される直前に拘束されましたが、激しく殴打された後、釈放されました。ルプー師の居所はわかっていませんが、師の立場上、厳しい刑が課せられることになるのではないかと地元民は心配しています。ルプー師を拘束した後、地元警察は、何人かのチベット人を拘束したことを知らしめるポスターを街頭に貼り、彼らの救出を試みる者あるいは救出を嘆願する者は容赦なく刑務所に入れる、と警告しました。

ルプー師は40歳代前半。仏教の権威および青少年のチベット教育への献身者として地元の人々の尊敬を集めています。ルプー師は僧院の運営に携わってきましたが、僧院の運営は政治キャンペーンの標的であり、弾圧は強まる一方です。ルプー師の拘束は、ここ数年チベットの高僧たちが拘束されているケースに属するものと思われます。これらのケースではいずれも僧院や一般信徒への影響力を持つ、ダライ・ラマに忠誠心を持つチベット人高僧が対象となっています。例えばゲシェのソナム・プントック師は、ダライ・ラマの長命を祈るプージャの儀式を執り行なった直後に拷問され、2004年11月から5年の懲役刑を受けるなど、高僧たちが中国当局に拘束される傾向が強まっています。

ICTには、ジャリプ・ロトという名の、リタン県に住む30歳代はじめのチベット人遊牧民が成都のホテルの一室に拘束されているという報告も寄せられています。これはロンギュ・アダック氏を心配する地元の人々の動きに関連するものと思われます。ジャリプ・ロト氏が拘束された理由および現在の居所はわかっていません。

9月28日、インド、ダラムサラにあるチベット人権・民主センター(TCHRD)は、9月15日にリタン県公安(PSB)が高僧ロブサン・プントック師の住まいであるリタン僧院を強制捜査し、プントック師を拘束したと伝えています。ロブサン・プントック師は30歳。10代でリタン県の僧侶として聖職を授けられ、宗教舞踏チャムの秀でた踊り手であると同レポートは伝えています。

チベット人権・民主センターはまた、アドゥック・ガルギャムという名の20歳代のチベット人遊牧民が、9月2日にリタン県で地方当局が召集をかけた会合の場で、ロンギュ・アダック氏とダライ・ラマを支持すると表明。その直後に拘束されたと伝えています。(10月8日TCHRD発表)

ロンギュ・アダック氏抗議行動の目撃証言


ロンギュ・アダックの抗議行動の後、中国軍が抗議を続けるチベット人群衆を解散させるために使用した催涙ガス他

リタン県で開催された競馬大会でステージに上がり、数千人の前で抗議行動を行なったロンギュ・アダック氏は、当初、リタン市内にある警察の拘留施設に拘束されましたが、後に成都(四川省の省都)の近くに移送されたと伝えられています。ロンギュ・アダック氏が拘束されると、すぐに競馬大会に集まっていた遊牧民をはじめとする地元のチベット人が警察の中庭に集結。アダック氏拘束に抗議しました。それから数日後、街外に集まっていたチベット人が機動隊により催涙ガスと空中発砲で追い払われるという事件がありました。

ロンギュ・アダック氏が抗議するところを見ていた人というある人物はICTに次のように語りました。「アダック氏がステージに上がるのを見ました。式典の最中でしたから、会場は中国人兵士や当局者でいっぱいでした。アダック氏はとても穏やかに、堂々と、はっきりと語りました。カムの方言がわからないので、何を言っているかはっきりはわかりませんでしたが、でも、私の周囲にいたチベット人たちはアダック氏の言葉に悲しそうにうなずいていました。みんなアダック氏を尊敬し、アダック氏が言うことに賛同していたことはあきらかでした。」

抗議を続けていたチベット人群集を解散させるため、会場に向かう武装警察の車列

その抗議で、アダック氏はダライ・ラマがチベットに戻ることの重要性を訴えると同時に、高僧テンジン・デレク・リンポチェの解放を求めました。テンジン・デレク・リンポチェもまたリタン県の出身で、分離主義を扇動したとして終身刑に服しています。テンジン・デレク・リンポチェはリタン県では幅広く尊敬されている人物で、投獄される前はチベット文化研究機関の創設者として学校や医療施設を設立したほか、この地域の天然資源の開発を規制するようはたらきかけていました。テンジン・デレク・リンポチェの投獄は、リタン県の人々に今も深い憤りをもたらしており、リタン県はもちろん他の地域の人々も師の健康状態を心配しています。

カンゼ県では反ダライ・ラマ政策がいっそう激しさを増し、「愛国教育」が強化されています。リタン県には数百の中国部隊が集結し、とくにこの数週間はリタン市の中心地に集中しています。チベット人からの情報によれば、中国人の上級当局者も保安省をはじめとする幹部とともにリタン県に集まっているということです。リタン県で公務員として高職についていた少なくとも2名のチベット人が解雇されました。地元住民への抑圧が強化されていくなかで、チベット人高官が中国政府の決定に従い続けることが難しくなり、高官レベルで不信が生じていることの現れではないか、とその情報筋は伝えています。

地元住民はダライ・ラマおよびロンギュ・アダック氏が行なった抗議について非難するよう求められ、地元の学校では子どもたちがダライ・ラマを分離派として非難する作文を書くよう求められています。

そのような事態が起きているのに近い情報筋からの報告によると、中国幹部はリタン僧院で行なわれている政治会議、役所、遊牧民グループの有力者たちの会合をも取り仕切っていると伝えられています。会合の際には、チベット人はダライ・ラマを非難するよう命じられ、従わない場合は投獄される危険もあるといいます。 あるチベット人は次のように語りました。「会合の主要目的はいつも同じ。ダライ・ラマ法王を非難することなんです。ロンギュ・アダック氏や分離派に反対している意思表示をして、中国共産党がいかにすばらしいか褒め称えなければならないんです。」

同情報筋は、多くの会合にはチベット人を威嚇するために武装した軍人たちがやってくるとも伝えています。

チベットを度々訪れているアメリカ人の仏教学者はICTに次のように語りました。「チベット人にとってダライ・ラマを非難するよう命じられるということは破滅的といっても過言ではありません。チベット人僧侶、尼僧、一般信者が行なう請願の基本条項は、ダライ・ラマを心から尊び、師として帰依することなのです。チベット人がダライ・ラマを非難するということは、心の絆を断ち切ること、 真から帰依している最も大切な師とのつながりを断ち切ることを意味します。中国人の役人がチベット人の面前でダライ・ラマを侮辱するのとは違って、チベット人自身がダライ・ラマを侮辱しなければならないとなれば測り知れない苦悩が生じるはずです。」

中国政府の代表者は現地のチベット人幹部に、「今後も政府に忠実であるなら給料の増額を約束する。だから、二度とダライ・ラマに欺かれるな」と言ったと伝えられています。

先週、リタン僧院で行なわれたある会合では、チベット人高僧がダライ・ラマを批判することを拒んだと伝えられています。リタン県では他にも、中国の愛国教育の授業を実行しようとする幹部の要求をチベット人たちが拒否したと伝えられています。リタン県では人々の感情が高ぶっており、当局がこれを危惧して弾圧をさらに強化するのではないかと心配する声も伝えられています。

リタン県では9月の第1週に当局が新制度を施行。自宅の祭壇、僧院にかかわらずダライ・ラマの写真を置かないよう警告しています。地元の僧院に参拝に行った公務員は解雇される恐れもあります(2007年9月28日TCHRDレポート) 。ロンギュ・アダック氏が拘束された直後にリタン僧院を訪れたあるチベット人は、恐ろしいほど緊迫した様子であったと伝えています。500人以上の僧侶が住むリタン僧院はその地域で最も重要な僧院であり、付近には付属寺院がいくつもあり、何百という僧侶がそこに暮らしています。

ロンギュ・アダックの抗議行動から一週間中国軍の兵士は、競馬祭に集まった遊牧民の仮住居の監視を続けていた

ICTに寄せられた情報によると、ロンギュ・アダック氏が拘束される数週間前、中国当局は、リタン僧院でダライ・ラマがチベットに戻ることを望まない旨を記した請願書を回し、僧侶たちにサインするよう迫ったと伝えられています。この夏にこの地域を訪れ、僧侶と話したというあるチベット人は、これが許しがたい行為であったことをICTに報告しています。「中国当局がこのような請願書を回したことはほとんどの住民が知っているようです。それが原因で、人々の不安や緊張が高まっているのです。この地域のチベット人は法王さまを心から崇拝していますから……。中国政府に従っているのなら、ダライ・ラマのことを想う心の余裕などないはずだ、というのが当局の言いぶんなんです。」

以来、当局は警備を強化し、不穏が外部に洩れないようにしています。そのため、チベット人が地域内で起きていることについて語ることはますます危険になっています。この数週間はリタン県にかかってくる電話もリタン県からかける電話も傍受され、事件や拘束について人に洩らすようなことがあれば痛い目にあわせる、と住民は脅されています。

その地域出身のある亡命者はICTに次のように語りました。「リタン県の当局者は愛国教育の授業のなかでフィルムを上映するんです。中国がチベット人を封建制度の鎖から解放するまで、チベットがいかに野蛮な社会であったか見せているつもりなのでしょう。要は、共産党政権がチベット人を封建的で野蛮な昔のやり方から開放してくれたからこそ、チベット人は繁栄を享受できているのだということにしようとしているのです。中国によるチベット解放がなかったなら、チベット人は今も古い制度に苦しんでいた、ということにしたいのです。テンジン・デレク・リンポチェのような、誰もが知っている獄中にいる人の写真を見せて、反対し続ける者はこんなふうに投獄されることになる、ぞ、と脅されました。」

この人物は次のようにも語りました。「中国政府に従っているのなら、ダライ・ラマのことを想う心の余裕などないはずだ、と言われるのです。チベット人を洗脳するのが狙いなのです。服従させることができなければすぐに逮捕する、それが今の制度なのです。党かダライ・ラマか、どちらを選ぶかはっきりした返事を得られるまで続けられるのです。抑圧と規制が強まるなか、リタン県のチベット人は苦しい選択に直面しています。個人的には、状況はさらに悪化して、非常に深刻な問題になるのではないかと思っています。」

沈鬱な空気にもかかわらず、チベット人たちは暴力に走ることなく、平和的に自分たちの考えを表明していく決意ができているように思われます。同じ人物はICTに次のようにも語りました。「チベットにいるチベット人の勇気が忘れられることはありません。チベット人が心に抱いている意志や決意が消えるはずはないのです。ロンギュ・アダック氏の意志のとおりに、我々は平和的な非暴力という方法でチベット人と中国人の関係改善をはかるべきなのです。そうすれば、亡命中のチベット人とチベットにいるチベット人が会える日が近い将来にやってきます。チベットにいるチベット人がダライ・ラマ法王にお目にかかれる機会もやってくるのです。」

当局がカンゼ僧院を弾圧して以来、恐ろしい空気が流れています。カンゼ僧院に適用されたのと同様の強硬路線と数々の戦略が、リタン県の北、甘孜(カンゼ)チベット族自治州にあるもうひとつの重要な僧院であるカンゼ州のカンゼ僧院の僧侶や一般市民にも適用されています。6月上旬、当局の〈作業チーム〉がこの僧院に現れ、「ダライ・ラマの写真を僧侶たちの部屋に飾ることは禁じられている。そのような分離行動をとっている者がひとりでもいる場合は僧院を閉鎖する」と僧侶たちに警告しました。

捜査の間、僧侶たちは中庭に集められ座らされました。おびただしい数の当局者が僧院を物色し、ダライ・ラマの写真を何枚か没収しました。作業チームは立ち去る前に、 僧侶たちに中国の法律に従うよう指示し、2004年に出版された『宗教問題に関する規則』と題する冊子のコピーを置いていきました。

カンゼを行進する中国共産党軍 写真右上に見えるのはカンゼ僧院

リタン県競馬大会開催中の、8月のロンギュ・アダック氏の抗議行動の2週間前には、会場の入場門に「完全独立」とチベット語で落書きされるという事件がありました。その事件以後、数百人の兵士や警官がカンゼ県市街にやってきたことが確認されており、主に威嚇を目的としてカンゼ僧院に駐留していた模様です。軍は市街のホテルやゲストハウスを占領し、宿泊客に立ち退きを要求。10日間ほど駐留しました。

〈チベット独立〉や〈ダライ・ラマ〉を支持する言葉を公衆の場に書くという行為は、投獄と拷問の刑を課せられかねません。甘?(ガンズー)省内のチベット人居住区では、目下、4人のチベット人学生が同罪の容疑で9月上旬から拘束されています。

ICTが得た情報によると、現在、カンゼ県の僧侶たちはさらに厳しい調査を受け、通常以上の精神的抑圧に晒されているということです。警察は定期的に僧侶たちの部屋を調べ、ダライ・ラマやパンチェン・ラマ(1995年から中国政府に拘束されているゲンドゥン・チューキ・ニマ少年)の写真を探しています。同情報筋は、僧侶たちは絶えず緊張と疲労状態にあり、タイミング悪く余計なことをしゃべって投獄されるのではないかと不安に駆られているとも伝えています。

2006年には、公安局が僧院内に事務所を置き、中国人の所長を1名、チベット人の職員を4名常駐させました。彼らは僧侶がいるところにいつもいて、僧侶たちが書くこと、読むことを監視するだけでなく、あたらしくこの僧院に入ることを希望する僧侶たちの身上を取り調べています。この取調べは系統立てて行なわれ、僧院を訪問した僧侶は専用の申請書に出身地や家族、出身地の付属僧院、恩師、訪問の目的などの情報を詳細までもれなく記入させられます。

競馬大会で表明されたダライ・ラマへの忠誠心


ロンギュ・アダック氏による抗議行動も、入場門に「独立」と書かれた事件も、リタン県競馬大会の開催中に発生しました。同競馬大会はチベットの大きな行事であり、地元のチベット人や中国人観光客をはじめ、海外からも大勢の観光客が訪れます。近年では、中国当局がこのような行事を「エキゾチックなチベット伝統文化」と称して観光客向けのショーとして利用。伝統文化を商業化する傾向がみられます。

そうしたなかで、中国当局はチベット人にトラやヒョウなど絶滅の危機に瀕している動物の毛皮で作った高価なローブで身を飾るよう奨励あるいは強要しています。しかし、「動物の毛皮を着ないように」とのダライ・ラマの声明に従い、この地域のチベット人の多くは毛皮を着ることをぴたりとやめました。あちこちで動物の毛皮が燃やされ、数千元相当のものが燃やされることもあります。この行為は西洋人が車や家を燃やすのに匹敵するといっても過言ではないでしょう。

夏にこの地域を旅行したあるチベット人は次のように語っています。「法王さまが毛皮を着ることを2006年1月に批判する以前のリタン競馬大会の写真やビデオを見たのですが、非常に多くのチベット人が毛皮を着ていました。」

そのチベット人はロンギュ・アダック氏が抗議するところも目撃したとICTに語りました。「誰ひとりとして毛皮を着ている人はいませんでした。中国当局が毛皮を着ることを奨励しているにもかかわらず毛皮を着ているチベット人はひとりもいなかったのです。」

しかし、毛皮を着用しなければ報酬を支払わないとして、出演者が脅されたケースもあったようです。青海省にある玉樹(ユシュ)チベット族自治州で行なわれた「カムパ芸術祭」という行事では、ほとんどすべての出演者がカワウソ、ヒョウ、トラなどの毛皮や皮革を着ていました。あるチベット人ライターはブログに次のように中国語で書いています。「毛皮で着飾ったチベット人が登場すると、中国本土からやってきたカメラマンたちがいっせいに駆け寄った。まるで、これぞチベット文化だ、たくさんの毛皮を披露することがチベット人の富の象徴なのだ、といわんばかりだった。出演していた小さな男の子になぜ毛皮を着ているのか訊ねたところ、『政治で決められているんです。毛皮を着なかったら罪になるんです』と答えた。」

カラフルな布の衣装で踊るチベットの人々

そのウェブサイトでは、毛皮を着用しなかった役人は解雇されたかもしれず、出演した遊牧民や農民はリハーサル期間中に毛皮を着用しなかったとして一日につき50元(6ドル)を徴収されかねなかったと伝えています。他にも、毛皮を着用しなかったとして罰金を取られかねなかったと伝える声が何件も寄せられています。そのライターは次のようにコメントしています。「毛皮を着ることが政治的な意味を持つようになっていることはあきらかです。上級役人たちは、チベットのどの地区からやってきたどのチベット人が政治的意識を持っているか、眼を光らせていたのです。しかし、パフォーマンスを観ていた観客たちのなかで毛皮を着ている人はこれまでの年に比べてかなり減り、多くのチベット人が毛皮のかわりにカラフルな綿の衣類を着ていました。

そのライターは次のようにも述べています。「閉会式で、出演者たちが全員ステージに現れたときのことですが、出演者のひとりが大声で『ヒョウの皮やトラの毛皮を着ることは恥ずべき行為です!』と叫んだのです。さらに、勤務中の3人のチベット人役人までもが、ダライ・ラマが動物の皮や毛皮を着ないよう求めたのは、みんなを愛しているからであり、自然を大事にしたいからなのだ、と勇敢にも言い放ったのです。」

中国人ライターの王力雄(Wang Lixiong)もまた4月20日、ウェブサイト上で次のようにコメントしています。「なぜ毛皮を着るチベット人が増えていたのか、なぜダライ・ラマが毛皮を着ないよう呼びかけるに至ったのか、それは中国政府が投資家の目を惹くために、〈カム族は野生動物の皮で着飾る〉というイメージを売りこもうとしているからです。チベット人は非常にあわれみ深い民族で、野生動物を殺すことはタブーとされています。文化に経済的効果を求めればその文化は崩壊してしまうことを中国政府は知るべきです。」

東チベットを旅して周ったことがあり現在は米国に住んでいるというチベット人がリタン県とカンゼ県を訪れ、次のように語りました。「カンゼ県や東チベットのチベット人は、法王さまがチベットに戻られることを願っています。中国政府に奨励されているにもかかわらずカムパ芸術祭で野生動物の皮を着なかったのは、法王さまに帰依する想いの表われにほかなりません。成都に近い、非常に中国化が進んだ地域に住むあるチベット人が、勇敢にも私に打ち明けてくれたんです。自分を含むすべてのチベット人が心の奥底から願っていることはただひとつ、法王さまに会うことだ。金持ちも貧乏人も、学のある者も読み書きできない者も、有名人もそうでない者も、この想いはおんなじだ、と涙ながらに話してくれたんです。中国政府は、チベットの経済は発展に向かっている、ダライ・ラマは古いやり方の象徴であり現代化に反するから戻ってきてほしくないとチベット人は思っている、というイメージを打ち出そうとしているのでしょうね。私が話した中国人の何人かは、そう信じ込んでいました。チベットにいるチベット人はダライ・ラマを信用していない、と彼らは思い込んでいる。でたらめを信じ込んでいるんです。」