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大阪から高野山へご出発

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2016年11月14日
高野山

小雨の降る肌寒い灰色の朝、ダライ・ラマ法王は大阪を出発された。曲がりくねった狭い道を上った先には、立ち上る霧と赤い紅葉に彩られた高野山が顕れた。高野山は弘法大師空海によって1200年前に開かれた高野山真言宗の聖地で、現在117の子院が並ぶ。

高野山金剛峯寺にご到着されたダライ・ラマ法王。
2016年11月14日、高野山(撮影:ジグメ・チョペル)

法王をお乗せした車は、聳え立つ木々の間を縫って進んだ。厳かでピンと張りつめた空気はチベットを思わせる。二時間に及ぶ車の旅の終わりに、法王は高野山金剛峰寺座主の中西啓寶大僧正に出迎えられた。法王は燦然たる金剛峰寺の静かな広間に案内され、大僧正と高僧たちとの会談に臨まれた。そして法王は次のようにお話を始められた。

「この世界に生きるすべての人々は苦しみを望まず、幸せを望んでいます。しかし私たちの苦しみのほとんどは私たち自身の心が作り出したものです。世界の人々が、全人類は一つであるというより優れた感覚をもつことができれば、暴力と殺戮はなくなっていくことでしょう」

そして法王は、いくつかの低いテーブルの周りに着座した荘厳な法衣を纏った日本の僧侶たちに、ある実験結果について語られた。それは、生後5、6ヶ月の乳幼児に、二人の子供が協力し合って石を丘の上に押し上げている絵を見せると顔を輝かせ、反対に一人の子供が協力せずに相手の邪魔をしている絵を見せると、明らかに狼狽した表情を見せる、というものである。

高野山金剛峰寺において、高僧たちとお話をされるダライ・ラマ法王。
2016年11月14日、高野山(撮影:ジグメ・チョペル)

法王は更に話を続けられた。「この結果は人間の基本的性質は思いやりである、ということを証明しています。ですから私は、教育を通して愛と思いやりの心を高めていくことのできる大きな可能性があると思うのです。私は仏教の布教をしようとしているわけではありません。そうではなく、人間には基本的に思いやりのある性質が備わっている、というメッセージをより多くの人たちに届けたいと思っているだけです。異なる宗教には異なった考え方と哲学がありますが、それらすべての宗教が愛と思いやりの心の重要性を同じように説いています」

法王がいつも強調されていることに話が及ぶと、法王は「高潔さは学ぶことを損なうべきではない。また、学ぶことも高潔さを損なうべきではない」というチベットの諺を取り挙げられた。13世紀の偉大な学僧サキャ・パンディッタは、「たとえ明日死ぬとわかっていても勉強するべきである、それは来世への投資のようなものだから」とおっしゃっている。

その後の昼食には、午後からの灌頂に備えて卵や葱類も除いた完全な精進料理が用意された。昼食の後で法王は、灌頂の会場である高野山大学松下講堂黎明館に向かわれた。檀上の法座の両側には読経を行なう僧侶たちが並び、法座の後ろには二幅の仏画(タンカ)と沢山の大きな生花が飾られている。法王が法座に着かれると、不動明王の許可灌頂が開始された。不動明王は障りからの守護と揺るぎなさをもたらす本尊である。読経は30分続いた。

高野山大学松下講堂黎明館で法話をされるダライ・ラマ法王。
2016年11月14日、高野山(撮影:ジグメ・チョペル)

全聴衆約600人のうち100人は中国語圏からの参加者であったが、灌頂の前の法話のなかで法王は、聴衆に向かって、仏陀の教えは信仰に基づくべきではなく、論理的なものの考え方に基づいて分析し、確信を得ることによって見出すべきものであることを強調された。法王は、神を信仰する宗教は多くの人々にとって有益なものであり、これからも有益で在り続けるであろう、と強調された上で、仏教は智慧と知性を用いて実践されるべきであり、導師の教えに耳を傾け、教えについて考えを巡らすという初心者の段階にあってもそうしなければならない、と述べられた。法王は更に続けられた。「信仰によって仏陀の教えを受け入れることは、智慧の道に従う者にとってふさわしいものではありません。私たちは空の意味を理解しなければならないのです」

そして法王は、不動明王の許可灌頂の詳細についてふれられた。どのような観想をするかについては、過去に本灌頂を受けたことがあるかどうかによって異なる。そしてどのような修行の段階にあるかによってその意味合いが異なる。その究極的な目的は、より微細なレベルの無我を理解することである。「シャーンティデーヴァ(寂天)が指摘された通り、人々は苦しみから逃れたいと望んでいても、苦しみの因を自ら作り、自分の幸せを敵のごとく破壊しています」

法話会終了後、高僧たちと高野山金剛峰寺の宿坊に向かって歩かれるダライ・ラマ法王。
2016年11月14日、高野山(撮影:ジグメ・チョペル)

法王はまた、次のことを強調された。「もし一切有情を助け、利他の行いをするならば、一切智の境地に至ることができるでしょう」法王は仏陀、仏法、僧伽という三宝に帰依することの正確な意味について概説された。そして次のことを述べられた。「いかなる時も有情を助けるという利他の心を動機として維持することです。そして、他者を自分よりも大切に思いやる心を育んで下さい。それができない限り、完全なる菩提心を起こすことはできず、部分的な菩提心しか持つことはできません」

「ですから一切有情を利益する為に仏陀の境地に至るのだ、という決意をもってください。そして、無我について考える時、無我とは一体どういうことを意味しているのかをよく考えてみてください。無我とは、すべての現象はあたかも幻や蜃気楼のように、実体のないものだということを意味しています。すべての現象は確かに世俗のレベルでは存在していますが、究極的には、私たちが思っているように実体を持って存在しているわけではなく、私たちの目に現れている通りに存在しているわけではありません」法王はこのように述べられた上で、許可灌頂を授かった受者たちが毎日唱えるべき不動明王の真言の伝授と身口意の加持を与えられた。

その後法王は、法話と灌頂に鼓舞された聴衆を残して会場を後にされた。