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チベットご支援者の皆様

若葉の候、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。日頃よりダライ・ラマ法王、並びにチベット亡命政権の活動に深いご理解と温かいご支援を賜り、誠に有難うございます。

私ことルントックは5月をもちまして、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所(NPOチべットハウス・ジャパン)よりダラムサラ(チベット亡命政権公安省)に異動となりましたのでご報告致します。

事務所代表として6年間、チベットご支援者の皆様と日本で仕事できたことを大変光栄に思います。ダライ・ラマ法王を尊敬し、チベットの真実と厳しい現状をご理解くださっている皆様のご厚情と温かいご縁を一生忘れることはありません。

とくにボランティアの皆様のご支援、ご協力がなければ、ダライ・ラマ法王の来日をはじめ、チベット関係資料の日本語の翻訳、ホームページの掲載、チベット通信などの仕事をスムーズに運ぶことはできませんでした。皆様から頂いた御支援に、こころからの感謝、感謝、感謝でいっぱいです。

私は1980年に成田山新勝寺の留学生として初来日いたしました。寺での専門的な勉強に加え、柔道と空手の稽古にも励みました(両方とも有段者)。武道を貫く武士道を通じ、さまざまな観点から日本文化を学ぶことができました。

その後、1988年に拓殖大学に入学して学士号、修士号を取得。卒業後はインドに戻り、1996~2002年までインドのダラムサラにあるチベット亡命政権公安省でダライ・ラマ法王の副警護隊として、インド各地を訪問する法王の警護をしておりました。

警護のかたわら、警護員たちに柔道、空手の護身術指導もしておりました。そうしたなか、帝国警備会社のご支援によりインドに柔道場を建てることができました。最新式の畳も日本から送って頂きました。インドに日本製の畳48枚を使った本格的道場ができたのははじめてのことだったでしょう。この道場は今も活用されています。

ダラムサラ勤務中は、法王の警護官として1998年と2000年の2度にわたり来日し、随行員として身近で法王をお世話する機会に恵まれました。このような貴重な経験を得たことにチベット人として最高の幸せ、喜びを感じております。

そして、2002年にダライ・ラマ法王日本代表部事務所に異動。以後、2013年まで3名の代表の下で文化広報担当官として東京勤務しました。

2013年、再びダラムサラへ異動となり、チベット亡命政権公安省で1年間、法王の警護関係の仕事に就きました。2013年11月、2014年4月の2回にわたり、法王一行の来日準備がスムーズに進むよう、当時の代表のお手伝いのため来日できたことを誇りに思っております。

そして2014年6月、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所(NPOチベットハウスジャパン)代表に就任しました。

就任当初、非常に重い責任と不安でいっぱいでした。ですが、ふりかえってみれば、支援者の皆様のお力により、この6年間、充実した日々を過ごすことができました。このことを心から感謝しております。とくにダライ・ラマ法王の来日は、支援者の皆様のご協力がなければ、決して成功させられませんでした。事務所職員として来日15回、代表として4回、トランジット12回法王を日本にお迎えできたことは、一チベット人として本当に大きな喜びです。

政治においてもチベット亡命政権ロプサン・センゲ主席大臣(シキョン)を2016年から2019年の間、4回来日し、チベット内外の現状を報告することができました。特にチベットの厳しい現状をご理解し、2016年12月『日本・チベット国会議員連盟』が発足され、現在超党派議員92名が積極的にご支援しております。『チベット文化と仏教には世界に平和と非暴力をもたらす大きな可能性がある』とご支援する理由を述べております。

代表任期中ダライ・ラマ法王と主席大臣来日準備の他、私のもう一つの重要な仕事は財政面のものでした。ダライ・ラマ法王のご加護とチベット亡命政権のお導きにより、事務所物件を購入したほか、3名の職員の住居を確保できましたことを喜んでおります。

これまでは職員の日本異動があるたび、すべてのものを一から揃えなければなりませんでした。また帰国の際はすべてを処分する必要がありましたが、そうした悩みがなくなりました。それぞれの住居に家具類や設備がそろったからです。このため、今後は代表と職員が安心して仕事に集中できるようになりました。

とりわけ、代表の住居が事務所から徒歩5分のところになったため、どの職員も通勤しなくてよくなりました。この6年間、代表として描いてきた夢が実現したことが嬉しく、チベットハウス会員の皆様の温かいご協力に感謝しております。

これらはすべて、ご支援者の皆様のご理解とご協力がなければスムーズに成し遂げられなかったことです。

さらに、私の代表任期中、教育方面でも進捗がありました。現在、チベット亡命政権教育省に選ばれた留学生が日本の3つの大学で勉強しています。彼らは大学卒業後、日本で就職、チベット亡命政権の職員となるため帰国、日本とチベットの仏教の架け橋となるなど、さまざまな道を歩いていくでしょう。とりわけ、2つの大学は、ありがたいことに毎年(一校は2人、もう一校は3人の)留学生を受け入れてくださっています。将来、必ずやここから有為な人材が育っていくでしょう。

日本の皆様。私たちチベット人は、ダライ・ラマ法王のご指導の下、60年間難民としてインドをはじめ、ネパール、ブータンなど世界各地で暮らしております。60年は長い歳月ですが、法王のご意向の下、2011年、民主的な選挙によってロブサン・センゲ主席大臣(首相、シキョン)が政治的最高指導者に選出されました。新政権の指導の下、私たちはダライ・ラマ法王が提唱してこられた「中道のアプローチ」を貫くことでチベット問題を解決しようと取り組んでおります。

チベット本土のチベット人は常に中国政府の弾圧と監視に怯えて暮らしています。とくにこの数年、監視がとても厳しく強化され、逮捕者が増えています。社会的に影響力があるチベット人は昼夜を問わず突然連行され、取り調べられ、冤罪を着せられる危険に常にさらされています。

「チベットは中国によって解放された結果、発展し、豊かになった。チベット人は平和で幸福に暮らしている」、と中国政府は宣伝しています。

しかし、2009年2月から始まったチベット人の焼身抗議は今に至るまで150名以上、死者は130名に上っています。その半数近くは15歳から20歳までの若者です。

パンチェン・ラマ11世とその両親の強制失踪事件は、1995年から25年間も未解決なままの国家犯罪です。行方不明のパンチェン・ラマ11世ゲンドゥン・チューキ・ニマは、今年の4月25日、31歳になりました。中国政府の宣伝が真実なら、なぜチベットの若者は焼身抗議をするのでしょうか。

湖北省武漢で発生した新型コロナの感染源を隠蔽するのと同じように、中国政府はこれからも、デマと歪曲を用いてチベット問題の真実を必死に隠そうとするでしょう。

ですが、チベット民族が存続するかぎり、私たちはチベットの真実を伝え続けます。私たちチベット人は、いつか故郷に帰れる日が来ると信じ、チベットの仏教文化の価値を守っていくよう今後も努力してまいります。

日本の皆様。中国圧政に苦しむチベット人のため、変わらぬ温かいご支援とご協力を賜りますよう、どうかお願い申し上げます。

今回、中国湖北省武漢発症の新型コロナウイルス感染拡大に伴い、これまで恒例だった新旧代表の歓送迎会を残念ながら自粛することになりました。チベットハウスご支援者の皆様に直に感謝の気持ちを伝えられないことに悔いが残ります。失礼をお詫び申し上げます。

新代表に、ツェワン・ギャルポ・アリア氏が就任することを嬉しく思います。アリア氏は、チベット中央政権の上級職員で、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所の元職員として東京に勤務していた経験もあるので、日本のことは熟知しております。

これからも引き続き、新代表にこれまでと変わらぬ温かいご支援とご協力を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

最後になりますが、法王に心からの感謝の念を捧げるとともに、法王ならびにチベット問題の解決に向けた取り組みをご支援してくださる日本の政府、団体、個人の皆様に御礼を申し上げます。

日本の皆様、どうもありがとうございました。長い間にわたる沢山の良い思い出をもってインドに帰ることができます。合掌

2020年5月吉日

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
代表 ルントック

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