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僧侶と中国警察の共存は困難

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2001年12月3日
中国(AP通信記者記事)

中国・クンブム僧院−このチベット仏教の砦に外国人記者団らが招来された。中国当局が、「チベット仏教の僧侶達が当局の政治干渉を受けず自由に活動していることを明示する」目的で今回の招聘を行ったことは明白である。しかし、数十人もの警官が寺院の講堂を巡回していることからも、実際には異なる状況下にあることが示唆された。

当局政治関係者達も側にいたため、僧侶達は記者団からのいくつかの質問には困惑した笑みをうかべて沈黙を通し、また、ダライ・ラマに関する質問や自由礼拝を行える状況なのかという問いに、上級僧達は動揺した様子をみせた。

不規則に広がるクンブム僧院は、チベットと中国西部の青海省の境にある。
過去6年間、クンブム僧院は、チベットを自国の領土と主張する中国と、ヒマラヤ地方の自治権を求める亡命中の精神的指導者ダライ・ラマとのはざまで試練を強いられてきた。

ダライ・ラマに次ぐ高僧、パンチェン・ラマの認定をめぐって、双方の抗争が再び勃発したからである。

1995年、ダライ・ラマは6歳のチューキ・ニマ少年をパンチェン・ラマの転生者に認定。 ところが、これに激怒した中国はその少年を抑留し、僧侶らに別の少年を認定するよう強制した。中国側が認定した少年は、北京から数千マイル離れたところに住んでいるとのことだ。現在のところ、ダライ・ラマが認定したニマ少年の消息は不明である。

この継承問題は、クンブム寺にとっては、どちら側につくのかが試された係争でもあった。この僧院は、1998年に前僧院長アギャ・リンポチェがカリフォルニアに去って以来、僧院長不在の状態が続いている。彼は後に、「中国側の継承者承認に対する抑圧は度を超えていた」と発言している。

僧院長の亡命後、共産党員はこの寺の僧侶600人に対し、3ヶ月間にわたる政治的再教育を行った。僧が訪問中の西洋人記者団に語ったところによると、「共産党員らは経堂をこの再教育の場として、チベットの独立とダライ・ラマを非難するよう強制した」とのことである。

その3年後の現在も、数十人規模の準軍事警察が警棒を携えて、寺院や僧坊、教育施設から成る築440年の僧院の巡回を行っている。先月取材陣が訪問した際には、赤い袈裟をはおった僧侶よりも警官の数の方が多いのではないかと思われた。

中国政府がお膳立てをした会見の場に集められた上級僧達が困惑していることは明白であった。その場にいた最高位の僧侶は突然、「それでは皆さん、中を御覧にいれましょう」といって、会見を打ち切ろうとしたからである。

しかしながら、役人に声が届かない所で、また、匿名の発言の中には率直に発言をする僧侶も何人かいた。

ある者は「状況は悪いです」と述べ、寺院の間を結ぶ石の通路を歩きながら、別の僧侶は「抑圧が強硬しています」と告げた。

当局関係者が動転するのを見計らい、ある僧侶は記者団の1人に次のように述べた。 「中国側の認定者を容認するよう圧力をかけられているが、我々が忠誠を誓っているのは、ダライ・ラマが認定したパンチェン・ラマの方だ」

ダライ・ラマは、中国によるチベット統治に対し民族蜂起を起こしたが失敗し、1959年以降、 ダライ・ラマはインドに居住している。しかし、現在も多くのチベット人が彼を崇敬しており、そして、ダライ・ラマは1989年にノーベル平和賞を受賞した。

1950年に武力でチベットを占領した中国は、ダライ・ラマをチベット人を無学と貧困の状態に置く腐敗した神政統治者だと誹謗した。そして、ダライ・ラマの写真を掲げることを禁止し、中国統治に抗議したとしてチベット人僧侶らを拘留した。また、当局により、チベット仏教の指導者達には入念な調査が行われ、僧院や僧侶達は厳重な監視下に置かれている。

しかし、こういう状況のさなか、クンブム寺は難を逃れ、繁栄の一途にあるように思われる。現在、台湾や韓国、香港からの寄付金によって、老朽化した寺院の改修工事が行われている。

授業を終えた少年僧達は急ぎ足で急勾配の通路を降りた。畏敬の念に打たれた巡礼者達は、ブッダの像の前でひれ伏した。

そして抵抗の意思表示として、僧院の学堂内の祭壇の灯りがともるヤクバターランプと仏陀の弟子の銅像の背後から垣間見えた。

中国当局がこの事実を黙認しているのは明らかである。
「ここを出入りする当局関係者は、ダライ・ラマの写真を見てみぬふりをします」と、寺の玄関口で経典の学習をしていた僧侶はにこっと笑った。