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中国色に染められた理想郷 〜物乞いをする子供たち〜

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1999年6月16日
「News Week」より抜粋

もともとラサは大きな町ではなかった。1946年当時、町の外に点在する大僧院には2万人以上の僧侶がいたが、町の人口はそれよりも少なかった。

しかし僧院の多くは破壊され、その一方でラサは人口約20万の都市に変身した。住民の7割は漢民族だ。かつての「理想郷」は、今、市東部にある90戸ほどの石造りの住居群に面影をとどめるだけなった。

ネパールのカトマンズからラサまで旅をしてわかったのは、チベット自治区の政治的・経済的支配をめぐる戦いが中国の決定的勝利に終わったということだ。

ネパールとの国境の町ダムでも、漢民族の建てた新しい建物がチベット族の住居や店を見下ろすようにそびえている。 街中のいたるところで見かける物乞いは、ほとんどチベット族だ。ラサまでの道中で車を止めると必ず、みすぼらしい身なりの子供たちが寄ってきて、ただ二言の英語で話しかけてくる。
「ハロー、マネー」

ダムだけではない。シガツェやギャンツェなど、中国政府が建設したラサまでの幹線道路「友好の道」沿いの都市では、どこも状況は似たり寄ったりだ。

(途中省略)

中国当局は今年3月、ダライ・ラマ亡命40周年を警戒して、チベットへの旅行を制限した。今は、それも解除され、ラサの町はポタラ宮(現在は博物館)に向かう観光バスでいっぱいだ。

こうした賑わいの中で見落としがちな真実がある。チベットの経済を支配しているのは中国でも、チベット人の心と魂を支配しているのはダライ・ラマだということだ。

現在もダライ・ラマの肖像を掲げることは禁止されているが、ポタラ宮内のかつての居室には、敬意を表する絹の白布がうず高く積まれている。

ラサ郊外のバーで働くチベット族の少女は、ブラウスの下に小さなメダルのついたネックレスをつけていた。「ダライ・ラマよ。とても立派な方」と小さくささやき、少女はメダルを額に当てた。