チベット僧院生活

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「チベット政治史」(亜細亜大学アジア研究所)より抜粋

問答をする少年僧たち

宗教がチベット人の生活にこれほど大きな影響を与えていたことから、僧院生活についても軽く触れておくことにしよう。チベット全土には何千という寺院が都市に、町に、村に点在していた。ごく小規模な集落にさえ、僧院や尼僧院が存在した。僧院の生活形態は僧院の規模、宗派によって少しづつ違っていた。

仏教の各派の多くはチベット史の中で重要な役割をはたしている。現在では、一般に黄帽派の名で知られるゲルク派が最も有利な立場にたち、デープン、セラ、ガンデン、タシルンポなどの名刹を擁する。このような大僧院はデンサ(座主の座)あるいはチューデ(仏法学院)とも呼ばれる。小さな僧院はときにリトゥー(修行のための山寺)と呼ばれる。寺院は一般にゴンパと呼ばれる。

社会のどの階層の人も僧院に入ることができる。5、6歳の少年が僧院に入るとなると、まず僧衣をまとわされ、頭は高僧に捧げられることになる頭頂の一房を残して剃りあげられる。高僧は残ったその一房を儀式にのっとって剃刀で剃りおとす。少年は法名を与えられ、2年間の間、読み書きを習い、お経を暗記する。この基礎学習を終了した後に沙弥戒を

Nuns at Larung Gar after teachings

受け、さらに高度な学問を開始する。長期にわたり幅広く集中的に学問を修めていかねばならない。修めるべき学科は、般若、中観、戒律、論理学、具舎である。

成人(18歳~20歳)に達すると、具足戒を受け、非常に厳格な戒律に従うことになる。具足戒はまだ学問を修めている途中でも受けることができる。さらに研鑽を積み、仏教哲学と論理学を終了したあかつきには、僧院の出す最も高位の博士号ララム・ゲシェー(仏教学博士)を獲得することもできる。小さな僧院の僧侶たちはそのように厳格な教育を受ける必要もなかったが、ララム・ゲシェーのための学問を修めるチャンスも得られなかった。

剃髪する僧侶

学問を終了した後は、一生僧院に残るか、籠って瞑想修行に専念する。後者は後に世俗の社会に姿をあらわし、信者たちに説法する。さらに高度の学問を学びたければ別に密教学堂がある。密教学堂の卒業生は僧院長(ケンポ)になる資格を有し、さらにはガンデン・ティパ(ガンデン僧院大座主)の可能性すら拓ける。ガンデン・ティパになるということはチベットで最も仏教に精通した学者であることを示す。ゲルク派の僧侶がガンデン・ティパの候補者になる時には、60歳を超えているのが普通である。

チベットの僧院組織は西洋の大学のそれに似かよっている。僧院は学堂(タツアン)によって構成され、学堂はさらに地方寮(カムツアン)に分かれている。政府や金持ちの施主が穀物、バター、お茶などを布施して僧院を援助し、僧侶は質素な生活をおくるのが当然とされ、飲酒、喫煙、踊りは禁じられている。ほとんどの宗派で、比丘には独身生活が課せられていた。

以上に述べたチベットの僧院生活の概略は、当然のことながら、チベットが共産中国に占領される以前の形態である。

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