チベット人とバター茶

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チベットの代表的な飲み物は、バター茶である。人々は朝起きてから夜寝るまで何杯ものバター茶を飲む。年を取るにつれて、お茶を飲む回数は増える。外国の研究者の報告書によると、チベット人は、一日に50杯、いや100杯ものバター茶を飲んでいるという。実際、チベットの人たちが一日に何杯、お茶を飲んでいるのかは定かではないが、チベット人にとってバター茶は無くてはならない一般的な飲み物である。

さて、では、いつ頃からチベットではお茶が飲まれるようになったのだろうか?

お茶の起源については次のような話がある。

ある時、チベットの王ドゥスン・マンポが深刻な病に陥り、どの医者が治療にあたっても回復の兆しが見えなかった。
ある日、王は気晴らしに屋上に上がった。すると、鮮やかな鳥が葉のついた木の枝をもって飛んでいるのを見たが、特に気にとめることはなかった。その何日間後、また、再び同じ鳥が同じ葉のついた木の枝をもって飛んでいる姿を見て、王は少し不思議に思った。なぜなら、鳥がもってきた木の葉は、チベットでそれまで見たこともないものであったからだ。王は鳥がもってきた葉っぱを少し手に取って、口に含んだ。すると素晴らしい香りが広がり、少し元気を取り戻したような気がした。

固まった茶葉

この葉っぱを煎じて飲んだら、きっと効果があるに違いない)王はすぐに大臣らに同じ葉をつけた木を探すように命じ、「もし、見つけることができたならその者に褒美を取らせる」と告げた。大臣たちは、チベット全土を探しまわったが、それと似た木を見つけた者は人は一人もいなかった。大臣のうちの一人は、王を特別な思いで慕い、王のためにとチベット全土を探しまわったが、同じ葉をつけた木を見つけることができなかった。

いよいよ、諦めかけた頃、大臣は、チベットと中国の国境に近い、深い森林に囲まれた地域に辿り着いた。大臣は、「この深い森の中に王のものと同じ葉をつけた木が見つかるに違いない」と感じた。そして、森の奥へとひたすら進んでいった。すると、奧に大きな川が流れていた。大臣はこの河を渡るために思案していると、目の前に魚が現れ、ゆうゆうと泳いでいった。それを見て、大臣はこの川は幅は大きいけれど、浅いと悟り、慎重に川を歩き無事に川の向こうに辿り着いた。そこには、王のところにあった木と同じものが生い茂っていた。大臣は、自分が抱えられる分だけ抱えて出発しようとした。しかし、こんなにまで遠くにきたのだからもっと、たくさん運ぶ方法はないものか、と思案に暮れていた。すると、森の中から鹿が現れ、大臣の前でとまった。大臣は、鹿の背中に積めるだけ、葉を積んで宮殿に戻った。

大臣は葉をすべて王に献上した。その後、王の病は見る見るうちに回復した。それ以来、チベットにお茶を飲む習慣ができたという。

茶馬古道

チベットの気候は寒く、茶の栽培には適していない。今も昔も、チベット人が飲むお茶は、中国から輸入している。昔は、中国からお茶を輸入し、チベットからはアムドから馬を輸出するなど、物々交換を盛んな時期もあった。
チベットの中でアムド地方は、優秀な馬が多いことで知られている。中国の古文書の中には「茶馬古道」と記しされたものもある。

 

アティシャ

11世紀の半ば、チベットのガリ地方で仏教の再建に力を入れていたグゲの王イシェオは、数回にわたって翻訳官をインドに派遣してアティシャ(老師)をチベットに招いた。当時、アティシャは既に60歳過ぎていたにもかかわらず、チベットのためにネパール経由でチベットに渡った。当時、チベットの高い山々を越えるのは大変、困難で高山病にも悩まされたという。やっとの思いでグゲに着いた時、イシェオの長男チャンチュプオ王をはじめ、市民らに歓迎されたが、長旅によって体力はかなり消耗していた。長男チャンチュプオ王はアティシャに三回五体投地の礼拝をし、宝石類を奉納した後、「老師よ、このお飲み物を召し上がってください」とバター茶を注いだ。

アティシャは、バター茶を飲む前に、「行者、知識人たちの願いがかない、釈迦の教えが益々繁栄されますように」と祈願文を唱えた後、茶を飲んだ。アティシャは、それまでバター茶を飲んだことがなかったが、その後、体力見る見るうちに体力は回復した。アティシャは「チベットにこのようなおいしい飲み物があるとは知らなかった。この飲み物は素晴らしいものだ。これを飲めば喉の乾きをうるおい、血行をよくし、頭が冴え、体力が回復し、眠りから覚め、善良を積み重ねる原動力にもなる」と語ったという。

バター茶を作っている様子

チベット人は、日常、バター茶のことをスーチャ(撹拌した茶)と呼ぶ。なぜなら、お茶の中にバター、塩と牛乳を入れ、撹拌して作るからだ。それ以外のお茶は、チャタン(BLACK TEA)という。これは撹拌する必要はなく、沸かしたお茶の中に塩とバターを少々加えたものである。最近、西洋風の甘いミルク・ティー(チャガルモ)を飲むようになってから、チベットのバター茶のことをボットチャとも呼ぶようになった。ボットチャとは、チベットの茶という意味であり、バター茶を意味する。少し前まで、貴族や商人は別としてチベットではお茶といえばバター茶とチャタン(黒茶)で、甘いミルク・ティーを飲む習慣はなかった。なぜなら紅茶も砂糖も手に入りにくく、チベットの首都ラサをはじめ、シカツェ、ギャンツェなどで使用している砂糖はすべてインドから輸入していた。バター茶という呼び名は、英語の(Butter Tea)を直訳した言葉で、チベットはバター茶と呼ばず、前述したようにスーチャ(バター茶)或いはチャタン(黒茶)と呼ぶ。

バター茶の入れ方は、まず、銅製の鍋(サン・ディク)の中に四分の三くらいの水を入れ、その中に○茶(茶の葉を蒸して醗酵させ、固めて干して塊にしたもの)とブント(天然ソーダ)を処々入れて、どろどろになるまで長時間煮詰める。チベットは、標高が高いため、湯が沸騰するのが平地より早いため、長時間煮詰めないと茶の風味が出にくいため、ブントを入れるなど製法を工夫をしている。茶を長時間ぐらぐらと煎じた後、茶漉(チャツァ)を使って、茶粕(チャロ)と茶汁(チャ・ク)を別に鍋に移し、茶杓子(チャキョク)で何度も汲み上げては注ぎ、注いでは汲み上げ茶の味と香ばしさを引き出す。

バター茶用茶碗(チャポール)
お茶の香ばしさを引き出す

分離したチャタンを細長い木の桶(ドンモ)に入れ、その中にバター、塩と牛乳を少々加えた後、撹拌棒(チャテゥク)で、上下によく撹拌し、ミックスする。ドンモとチャテゥクは、ミクサーの働きをしているのである。撹拌しては、鍋に戻し、また、杓子で汲み上げて桶に入れて撹拌する。バタバター、塩と牛乳と茶をよく溶け合うようにに何回も繰り返し撹拌すればおいしいバター茶ができあがる。そしてバター茶を急須(コクディー)の中に移し、沸騰しない程度まで、もう一度温めなおしてから注ぐのがおいしいバター茶を入れるコツである。

細長い木の桶(ドンモ)

チベット人は、朝一番に作ったバター茶(チャプー)を、まず仏殿に供えてから祖父、祖母、父母の順番で注いでいただく。貴族であろうと平民であろうと初物は何でも、まず仏にお供えしてから頂くのが、チベットの習慣である。、仏壇にお供えした後、各自の椀に注いで、チャ・チョ(茶の祈り)を唱えてから茶を頂くのである。

バター茶の特徴は、何と言っても水の中に茶葉をつぶしてよく煮詰めた後、バター、塩と牛乳を入れて混ぜ合わせることにある。特に、バター茶の混ぜぐあいの如何によって、バター茶の味の良し悪しが決まる。撹拌の仕方が悪かったり、足りなかったりすれば、水と油のように、バター茶が分離した状態になり、味が落ちる。バター、塩、牛乳と茶が一体となって、はじめておいしいバター茶ができあがるのである。

バター茶を作ることは誰でもできるが、おいしいバター茶を作るのは簡単ではない。バター茶作りも、母から娘へと伝承していくもので、その家によってバター茶の味が異なるものだ。チベット人は、バター茶作りの良し悪しを、上下にシュッシュと撹拌する時の音から判断することができるともいわれている。

ヤク(ディ)のバター

 

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