チベット暦と占星術

「チベット政治史」(亜細亜大学アジア研究所)より抜粋

本書に目を通された読者は多くの日付がチベット暦で示されていることに気づかれたと思う。たとえば「壬午(みずのえうま)年のチベット暦3月15日」の如くである。西洋側の資料からその出来事が起こった正確な日付が西暦でわかる場合は、チベット暦の次に西暦による日付を掲げておいた。西暦による正確な月日が確定できない場合は、西暦年をのべるにとどめた。こうせざるをえなかったわけを説明するには、まずチベット暦とチベット暦の基本をなす太陽暦について述べる必要があるだろう。

2つの要因がチベット暦と西洋暦の月日の換算表を作ることを不可能にしている。チベットの太陽暦は、原則として1月を30日、1年は12ヶ月、すなわち1年を360日として計算する。これがまず最初の問題である。これを太陽暦の1年、365と1/4日と合致させるために、3年ごとに余分の1ヶ月を加える。けれども西暦との換算を試みる者には厄介なことに、この余分な月はある一定の場所にきまって挿入されるわけではなく、その年に幸運をもたらすとみなされる12ヶ月の間のどこにでも割り込ませられるのである。そこで余分な月が加えられた年は計算できても、西暦と換算することはできないのである。

換算表を作ることを困難にしている2番目の理由は、理論的にはチベットの太陽暦では1年が360日なのに、実際の太陽暦では1年は354日だということである。この太陽暦の1年の354日に合致させるために特定の日が取り除かれる。チベットの暦本を見ると、ページそれぞれに6つの四角い囲みがあり、囲みの中にその日の日付の数字が入っている。この6つの四角い囲みは曜日とは関わりを持たない。5ページが、太陽暦の1月を構成する。暦本から取り除かれる日は、該当の四角い囲みから抹殺され、かわりにチェー〔欠〕の文字が書き入れられる。月のその日は存在しなくなったのである。それゆえ暦本上にはこうなっているだろう。1/2/チェー/4/5/6等々。それだけではない。同じ日が繰返されることもある。1/2/3/3/4/5/6等々。

チベット式太陽暦と実際の太陰年、太陽年を一致させ、さらに不吉な日を取り除くための複雑な調節法のために、その年のカレンダーを有していない限り、チベット暦の日付を西洋暦の日付に換算するのは不可能である。翌年のチベット暦のカレンダーは政府の占星官によって毎年の年末までに用意される。政府の占星官は削除すべき日、2度重ねるべき日を決定し、閏月を挿入すべき年ならばその閏月をどこに割り込ませるかも定める。それだけの手続きを経てようやく来るべき年のカレンダーが作られるのである。それゆえチベット人は占星官が算出するまで次の年のカレンダーがどのような形になるか正確に知ることができないのである。

チベットの新年は西暦の2月の新月の月の出をもって始まる。ただし、前年に閏月が挿入されていた場合には3月に始まる。チベット暦と西暦の新年の始まりの相違を考慮すればチベット年から西暦年への変換は正確に行うことができる。

チベット暦の月には特別な名前はつけられておらず、単に1月、2月、3月、と数字を冠していくだけである。曜日は西洋と同じく、太陽(ニマ)、月(ダワ)、そして5つの惑星、火星(ミンマー)、水星(ラクパ)、木星(プルブ)、金製(パサン)、土星(ペンパ)の名をとってつけられている。それぞれの名称の前に惑星を意味する“サ”がつけられ、サ・ニマ=日曜日、サ・ダワ=月曜日、サ・ミンマー=火曜日、サ・ラクパ=水曜日、サ・プルブ=木曜日、サ・パンサ=金曜日、サ・ペンパ=土曜日となる。

古代、チベットの暦は十二支にもとづいていた。すなわち子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥である。この十二支によるサイクルは11世紀に60年サイクルが導入されるまで使用されていた。このシステムは1027年にチベット語に翻訳された『時輪タントラ』の中に説明されている。この1027年が60年サイクルの最初の年である。60年サイクルは十二支と五行(木、火、土、鉄、水)を組み合わせてできあがる。十二支に五行の要素を木木火火土土と2回づつ繰返しながら組み合わせ、さらに五行の要素が2回連続するときには前者に男(ポ)を、後者に女(モ)を加える。〔日本の兄(え)と弟(と)に相応する〕。たとえば木・男・子(甲子)の年の後は木=女=丑(乙丑)年となる。

占星術や占星図の星の位置はチベットの日常生活に重要な役割を占めており、60年サイクルの各年にふり分けられた十二支と五行の組み合わせによる吉凶は占星術師(ツイーパ)によって注意深くよみとられる。十二支上のある動物と別の動物は相克関係にあり、五行もまた各要素の間に相性がある。たとえば寅と申の組み合わせは凶。それと同様に鉄は火に溶かされるので相克の関係にある。月、日、時間でさえも、ある種の組み合わせによって凶となる占星術的に特別な視座がある。毎年の年末に新しいカレンダーを作成する時と同様、占星術は多様なレヴェルでチベット事情に影響を与えている。ダライ・ラマの即位から長い旅への出発にいたるまで、重要な事柄はすべて占星術で吉日を定めておこなわれる。

数字、数珠、サイコロなどを用いた占いは、雑多な問題に悩み、指針を求める人々によって利用されてきた。占星図は自分の未来の出来事を知るために作成するのは勿論、結婚相手の選択や葬列に参列

★占いと仏教

仏教が 7世紀にチベットに伝来したのに伴い、それ以前から存在していた、未来を予測するさまざまな方法が、仏教徒の生活様式に取り入れられた。このような方法は、今日まで、将来の出来事を占う方法として、チベット人に広く用いられている。未来を占う方法は、仏教が誕生する前から利用されていたが、「仏教とは相容れない過去の遺物で都合がよいときに利用するもの」との認識はされていない。むしろ占いとは、仏教徒が持つ概念の範囲内で、カルマ(業)などの仏教の根本的な思想に則して使用されているのである。どのスートラにも占いに関する記述は見られないが、タントラにはその多くが紹介されている。

★ 因果律、およびカルマと占いとの関係

仏教の共通の教えによると、人間は三毒 (貪欲=とんよく、瞋恚=しんに、愚癡=ぐち) により動かされ、再生と苦しみの輪から逃れられないような行動をとるという。再生は、天上界、修羅界、人間界、畜生界、餓鬼界、地獄界のいずれかで起こりうる。
畜生界、餓鬼界、地獄界などの低い境涯や人間界で苦しむ状態で生まれ変わるのは、誤った行動によるとされている。
意思に基づいた行いやカルマには、次の4つの特徴がある。

  1. 行いの結果は限定されている。どのような行いでも消えることなく積み重ねられ、それに応じた結果が生じる。トウガラシの種を植えたところで甘い味の植物が育つわけではないのと同様、怒りを持つことで高い境涯に生まれ変われるはずがない。行いの結果が1度その実を結んでしまえば、それを変えることはできない。たとえば、ある人間として生まれたなら、その肉体を、ほかの人間のものとはもちろん、天人のものと取り替えるということは不可能な話である。
  2. 小さな行動により大きな結果が生じ得る。たとえば、仏陀に善行の種を供養した女性は、仏陀から、縁覚として生まれ変わるというお告げをいただくことができた。また、人のことを蛙と呼んだ男性は、蛙として5百回誕生することとなった。因果の働きは大変に微妙なものなので、たとえどんなに小さな行いでもそれが不誠実であれば、それに応じた結果が生じることを肝に命じなくてはならない。
  3. 成されなかった行いは実を結ぶことはない。ある兵士が護符を身に付け戦場へ赴き傷つくことがなかったとしても、彼を救ったのが護符の力であるとは限らない。それは、彼が傷つくようなカルマを持っていないという事実に基づいているのである。
  4. 行いの結果は避けられない。ある行いに対する反作用的な力が適用されない限り、その結果が熟さずに消えるということはあり得ない。

★ 占いの目的

占い師や預言者は、誰かの将来を調べ、どのような状況が来るのか判断し、それに対しどのように行動し対処したらよいのか、助言を与えることができる。悪い結果を変えるための法要により、肯定的な力を呼び起こし、個人の将来を変化させることも可能である。個人のカルマを変えるのは、法要そのものではないし、占いを依頼する者も占いを行う者も、このことを理解している。しかし、法要を執り行うことで、個人の輪廻におけるカルマの流れを動かすことは可能である。法要には、予測されている不幸な出来事の原因と見なされるものを凌ぐ、秘められた肯定的な可能性を引き出すような力があるとされている。

個人のカルマは一般的なもの、および特定のものの2つに分類される。一般的なカルマと言っても、それが実を結ばないという訳ではない。それは、結果が発生する時期、結果の現れ方が定まっていないという意味である。すべての行いは、それが心地よいものであろうと苦痛を感じるものであろうと、特定の結果を引き起こすとは限らない。言うならば、人間に備わっている喜びと苦しみの両方の可能性は、適当な条件が揃ったときに結果として現れるのである。

法要の功徳は、僧侶や法要を執り行うのに長けている者に対し食物や金銭を捧げた者に与えられる。このような供物により得られた功徳は、個人、またはほかの誰かの内に秘められた肯定的な可能性の力を呼び起こすのに使用される。つまり、人は功徳をほかの形に変化させたり、因果律から抜け出したりすることはできないが、功徳によって自分、あるいは他者の善きカルマを目覚めさせることはできるのである。

たとえば、ある者の親戚が病気であったり、事業が低調であった場合、その者はしかるべき資格を持つ占い師に占いを依頼し、状況を正すのにふさわしい法要は何であるか、指示を仰ぐことができる。このような法要が成功するかどうかは、個人が持つカルマの強さにかかっている。タントラ派の法要を執り行う場合、個人の輪廻の中に隠れてはいるが確かに存在する肯定的な要素を力に変え、病気などの原因となっている否定的な要素に打ち勝つよう、神々が請来されるのである。しかし、病気を引き起こしているカルマや要素が、病人の輪廻の中に潜在する肯定的な可能性よりも強い場合、病気の影響から逃れることはできないし、法要もまた、期待した結果をもたらすことはないであろう。

たとえば、中国によるチベット侵攻は、様々な方法で予言されていたためたくさんの法要が営まれたと伝えられている。けれども、チベットの民のあまりにも強すぎた否定的なカルマは、法要で打ち消すことはできず、法要による効験は見られなかったのだ。

★ チベット社会における占い

占いはチベット人の生活で大きな比重を占め、インドやその他の亡命チベット人の社会でも広く利用され続けている。結婚や仕事の契約など、日常生活の中での大きな出来事は、何らかの占いに判断を求めてから決定されるのが常である。病気の場合、その程度が吟味されもっとも効果的な治療法は何であるかが判断される。大抵の場合、人々にはそれぞれ行きつけのラマ僧に相談を持ちかける。ラマ僧は、さいころを投じたり、数珠を繰って物事の決定へと導いていく。また、神託や鏡による占いが使用される場合もある。人口もまばらで、生活が自然の成り行きに左右される遊牧民が暮らすところでは、占い、お告げ、何かの前兆といったものが大変重要視される。遊牧民たちは、これらに対し自分たちの解釈による判断を下すことが多い。占い師としての資格
占断を行う場合、特定の神によって授けられた力に頼ることとなる。この力は過去世における神とのつながりによりもたらされた場合もあるが、真言を百万回唱えながら瞑想することでより強力なものとなる。これにより自分自身が神性を備えた存在であるとの自覚が生まれ、雑念に惑わされることなく聖なる誇りを持つようになるのである。占いには、それぞれの神の働きに関連した形式が存在する。たとえば、文殊師利、多羅、金剛手、茶吉尼天、吉祥天などを本尊としたそれぞれの占いの方法が存在する。

占断を行う場合、その動機は純粋なものでなければならない。真言を集中して唱えることで、誰もが神とのつながりを持ち、ある種の力をいつでも身に付けることはできるが、そのような力が人に害を与えるような目的で使用された場合、その力は結局自分自身へとはね返り、不運な状況下に再生することになってしまう。このことからも、占断を行う場合、他者を救いその苦しみを取り去るということを一番の誓願とすることが重要であると言える。

★ さまざまな占断方法

団子による占い

この方法は、僧院においてラマ僧により用いられる場合が多い。この占断は、著名な高僧の生まれ変わりを探す場合など、重要な決定を下す必要がある場合に実施される。たとえば、質問に対し考えられる答え、たとえば、再生した可能性を持つ候補者の名前が紙片に書き出される。次にこの紙片は同じ大きさの団子の中に包み込まれる。団子の重さを量るときには細心の注意が払われ、すべて同じ重さ、大きさであることが確認される。この後団子は鉢の中に入れられ厳重に封をされると、聖者の像の前に安置される。たとえば、ラサの本山にある王妃文成の仏像、ダルマの守護神の肖像、または偉大なラマ僧の墓碑の前に安置され、答えを決定するのに必要な霊感が授けられるよう聖者に祈願される。3日間、僧侶たちは寺院にこもり昼夜祈りを捧げる。この期間、誰も鉢に触れることは許されない。四日目、すべての参列者の前で鉢の封が外される。1人の高僧が聖者の像の前で、1 つの団子が外へ飛び出すまで鉢の中で団子を転がし続ける。このようにして飛び出した団子に答えが含まれているのである。

さいころによる占い

吉祥天を本尊とするさいころ占いでは、各面に一~六個の点が付いている 三つのさいころが用いられる。ほかの神を本尊とする占いでは、数字が書かれたさいころが用いられる。さいころの材質は骨、木、または巻貝の貝殻である。ガルジェ・カムトゥルル・リンポチェは、さいころ占いを行うときの彼自身の手順を以下のように説明している。
「占いを成功させるには、占い師は純粋な動機を持つことが、相談者は占い師を信じることが必要だ。占い師、相談者は、三宝、先祖、代々のラマ僧と彼らが仕えてきた神々、とりわけ、吉祥天、そしてダルマの守護神に、明確な答えがいただけるよう祈りを捧げることが大切である。相談内容が明確でない場合、私は、聞き直すことにしている。その次に、私個人と深い関わりがある金剛などと自分が一体であると観想し、吉祥天を請来する。吉祥天に対し長年の間祈りを捧げてきた私にとって、そのお姿を具体的に観想することはたやすいことだが、吉祥天が目の前に現れたら、助言を求める相談者に完璧な答えが授かるよう祈願するのだ。その後、さいころを投げさいころの目に従って占断が書かれている本を参照する。偉大なラマ僧によって書かれた多くの占断の本には、考えられるすべての答えが記載されている。しかし、占断の技術をマスターしてしまえば、そのような本を参照する必要はなくなってしまう。
最後に、さいころが示す結果を相談者に伝える。答えが正しい場合も、正しくない場合もあり得る。答えが明確でない場合は、明確な答えが得られるまでさいころを投げるのである」

数珠による占い

最初に、占い師は正しい答えを求めるため請来する神に祈りを捧げその神の真言を唱える。次に数珠を目の前で水平にして掲げ両手の指で適当に選んだ珠をつまんだら、指と指との間の珠の数を半分、またはそれ以下にする。その次に、両方の指で、珠一度に三個ずつ、互いの方向へと手繰り寄せていく。占いの結果は、最後に残った珠の数により決定される。この手順は 三度、繰り返される。

1つの珠が残ったら、結果は 「ハヤブサ」と呼ばれる。二つの珠が残ったら、結果は 「カラス」、三つの珠が残ったら 「スノーライオン(雪獅子)」となる。
1番目の占いの結果は、神からどれだけの助けが得られるか、そして占い全体の方向性を示している。1 番目の占いの結果がハヤブサの場合、守護神からの助け、新しい商売での幸運、争いごとでの勝利があることを示している。
1番目の占いの結果がカラスの場合、守護神の助けがないことを示している。この場合、成功はなく、争いごとにも負けてしまい、敵が存在する状況である。このような占いの結果が出た場合、新しい商売を始めないよう、警告されていると解釈される。
1番目の占いの結果がスノーライオンの場合、守護神からの助け、すぐには訪れないが確実な成功、敵側の弱さを示している。相談の内容が商売の成功の場合、この結果は中立であると解釈される。

2番目の占いの結果は、身の回りで起こる状況を示している。
ハヤブサの場合、一般的に幸運を示すが、子供を欲している場合、あまり期待することはできない。泥棒や病気の危険は一般的に少ないであろう。
カラスの場合、深刻な病気、健康に対する被害、生命力の低下が予想される。何かを無くしたり盗まれたりする傾向にある。しかし、聖職につくものにとって、このような否定的なことがらは軽く済むであろう。

3番目の占いでは、残った珠の数が待ち人に関するヒントを示している。これは、チベットでの生活にとって大変重要であった。というのは、人々はいつも旅を続け、通信手段がなかったからである。
ハヤブサは、待ち人がまもなく来る、あるいは到着していることを示している。病気に関して言うと、最善の治療法が見つかることを示している。
カラスは、待ち人に関して良くない結果を示している。待ち人は、旅行中に障害に出会った可能性があり、到着しないか、何かを盗まれているであろう。病気は治癒せず持ち物を無くすか盗まれたことが考えられる。
スノーライオンは、待ち人の到着が遅くなるが、何の被害にもあっていないことを示している。健康に関する問題はほとんどないが、正しい治療法を見つけるのは困難であろう。
大吉は、ハヤブサが三回続けて出ることである。この場合、待ち人はすぐに到着し、病人は回復し、成功も間もなく訪れるであろう。

長靴の靴ひもによる占い

この占い方法は、遊牧民の間で一般的に使用されている。平らで2、3センチの厚さの靴ひもをいくつか用意し互いに折りたたんで四角形を作ったら、急に引き離す。靴ひもが絡まることなくすっきりと離れたなら、それは吉兆となる。絡まってしまったら、悪いことの前兆となる。

★ 周囲の事象の解釈

占いを行う者がマンダラを用意したり、瞑想に必要な準備をしている間に、周囲で発生する事象は、将来の行方を暗示するものとして解釈される。この解釈は、肯定的、否定的の両方を意味する場合がある。
占いを行う者が、仏陀や菩薩から加護を受けられることを暗示する肯定的な事象としては、頭上を飛び去る鶴、鵞鳥、鴨、白鳥、雉、その他の縁起の良い鳥を目撃したりそれらの鳴き声を耳にすること、太鼓、弦楽器、笛、どら、鐘の音が聞こえてくること、また、勝利、達成、最上、幸福、成功、施し、受納、実り、偉大、多数、栄光などの、縁起の良い言葉を唱える人々と出会うことが挙げられる。
差し迫る障害を意味する否定的な事象としては、猿の叫び声、鼠の鳴き声、狼の遠吠え、ロバのいななき、野牛の鳴き声を耳にすること、蛇、さそり、その他の不愉快な生き物が行く手を横切ること、敗北、死、病気、除去、「あぁ」といった慨嘆の声、困難、不成功、無意味といった単語を口にしながら嘆いている人と出会うことが挙げられる。このような場合、占いを行う者は自分の占いを中断し、ほかの場所へ移動する必要がある。
一般的に、旅行や冒険を企てる場合、吉兆、または成功のしるしと考えられるものは、次のとおりである。盛装の女性、男性、または子供、妊婦、子牛を連れた牛、正装の比丘(僧侶)、著名人、白い服装のバラモン、宝飾品を身に付けた美しい女性、一緒に遊ぶ少女たち、象、上品な馬車、車輪、花瓶、花輪、蓮、傘、または旗などの宗教的なシンボルとなるものを持つ人との出会いである。
失敗のしるしと考えられるものは、次のとおりである。荷物の紛失、不道徳な人、恐ろしい形相の人、疲れきった人、みすぼらしい格好の人との遭遇、道路の封鎖、崩れた家、火の手、壊れた物の発見。

★ 夢

人によっては、将来起こることを予測するのに手掛かりとなる予知夢を見る才能をもつ者もいる。このような夢は夜半過ぎから夜明けにかけて見るのが普通で、その特徴はきわめて明解である。ほかの占いと同様、予知夢は神々と特別な関係があり、その解釈には、既存の事象か、夢を見る者にとって簡単に理解できる特別な事象が使用される。

占いを行う者にとって、大きな成功を意味する既存の事象は、次のとおりである。
仏陀、菩薩、個人の守護神、このような聖者からの教え、即位、戴冠、入浴、金剛杵やその他の法具の授与、王位継承、教典の読誦、神体が祀られている寺院への参詣、供養、象、虎、竜、獅子、金翅鳥、馬などに乗ること、太陽や月に向かって天へ昇っていくこと、四大陸を循環すること、大洋を難なく泳ぐこと、日の出、月の出を見ること、田畑を耕すこと、乳製品を口にすること、蓮に腰掛けること、神々、両親、精神的な導師、美しい女性、友人から敬意を払われ賞賛されること、野生の生き物、山、木、滝、海、花園、雨、熟した果実、王、行者、バラモン、富裕者、聖人、鵞鳥、その他の縁起の良い鳥を見ること。

困難を克服することを示す夢の内容は、黄金、財宝、貴石、進軍ラッパ、穀物、飾り物、鎧、敵を討つこと、などである。
次に挙げる夢は、明らかに否定的な内容だが、実際には良い結果を意味し、困難を切り抜ける象徴である。首を切り落とす、人肉を口にする、血で体を洗う、酒を飲む、剃髪する、火傷をする、汚水に体を浸す、町を内臓で囲む、日中に情交を持つ。

次の夢は、悪霊によりもたらされる障害を意味する。虎、豹、猫、犬、豚、ロバ、鼠、さそり、いたち、蛇、はげわし、梟、小人、色が黒くやせた裸の人、肉屋、青白くやせた子供、背の高い裸の男、以上のいずれかとの闘い、干上がった井戸、積み重なった骨と頭蓋骨、荒廃した家。

一般的に、以下の事象が現れる夢は、悪い夢であると解される。兵士に追われる、植物油を体に塗る、体が不自由、または背中が曲がっている人物と会話を交わす、日の入り、月の入りを見る、砂山や小枝の山を登る、赤い花を見る、歯が抜ける、ロバ、またはらくだに乗って南へ行く、狭い小路を抜ける、湿地帯を歩き回る、坂を走って下る、人間、または物の一部を傷つける、誰かに負かされる、不健全な行為に耽る。このような夢は、ほとんど功徳が得られない、短命な人生を意味する。ラマ僧は、悪い夢を見た者に対し、以前従事していた活動を再開する前に、功徳を積み、空の瞑想を行い、護摩により平和を祈願することを勧める場合が多い。

★ 炎による占断

護摩の炎を観察することも、未来を予測する手立てとなる。第一に、火天を勧請し炎を観察することが必要となる。金色か橙色の明るい炎、煙や音が立たない炎、力強く右へなびいたり一点へ向かって燃え盛る炎、長い間消えることがなく良い香りを放つ炎は、一般的に吉兆と考えられ、心中に抱えている問題に対し、肯定的な回答が得られることを意味する。炎の色が雪のように白く穏やかな場合、不健全な行為による罪障が清められたことを意味する。炎の色が黄色に変わった場合、権力と富を手中に収めることを意味する。鮮やかな赤い色に変わった炎は、仕事の上の成功を意味し、濁りや煙のない青い色に変わった炎は、良い健康状態と子孫の繁栄を意味する。

病気やその他の不運の兆候は、猛々しく燃え上がる炎、暗く煙の多い炎、人間の体の色、緑色、植物油の色をした炎、弱々しく鈍い色の炎、悪臭を放つ炎である。しかし、調伏護摩を修する場合は、このような炎は吉兆と解釈される。平和祈願、または宝生祈願の護摩の場合、凶兆として解釈されるのは、護摩を修する導師を悩ます火花や煙である。暗い炎が色々な方向に、様々な形で燃え上がる場合、家系が断絶する兆候であると解釈される。

★バターランプによる占断

バターランプによる占断を行う場合、金、銀、その他の貴金属で作られた傷のないランプを用いる必要がある。ランプの芯は、乾燥した匂いのない木片から作るが、厚すぎたり薄すぎたりしないように気を付ける必要がある。また、その高さはランプの縁に届く位にし、置く場所はランプの中央にする。芯を置いたら、大麦をその上に重ね、溶かして漉したバターを注ぎかける。占い師は、神々を勧請し、オム・ア・フム・ヴァジャラ・グル・デ・ヴァダッキ・ニフム・オッリ・オッリ・サルワ・ア・ロ・ケ・プラ・バ・デ・ナエ・スォワ・ハ「OM AH HUM VAJRA GURU DHE VADAKKI NIHUM’ OD LI ‘ OD LI SARVA AH LO KE PRA BHA DHE NAYE SVAN HAH」という真言を 100回唱え、答えが必要な質問を思い浮かべる。その後、バターランプに火を入れたら、炎の形を観察する。

炎の先が丸みを帯びている場合は安全を意味し、巻貝の形になった場合は名声を意味する。また、鮮やかな黄色の炎は障害がないことを意味し、蓮と宝石の形をした炎は富を意味する。鉤の形をした炎は権力を手にすることを意味し、先端が二つある炎は違う場所への移転を意味する。ランプの光がぼんやりとしていて炎が消えそうな場合、敵に回る人物がいること、または遠い場所から客がくることを意味する。2つに分かれた炎は家族との別離を意味する。暗く赤い炎は長男の死亡を意味し、芯から立ち上る煙は財産の損失を意味する。また、理由もなくランプが消えた場合、死を意味する。溶けたバターがこぼれた場合、その量は仕事の期間を表す。

★ 鏡による占断

ドルジェ・ユドゥンマを勧請して鏡による占断を行う場合、静かで平穏な場所を選ぶ必要がある。鏡は、穀物で満たされた容器の中に置かれた、清潔なフエルトで作られたクッションの上に立てる。占い師は、朱色の粉 (シンドゥーラ) を撒き、儀式に必要な真言を唱える。鏡の前には、小さな水晶の卒塔婆、または水晶の小片が、鏡の後ろには、五身の仏陀を表す五色の旗がくくり付けられた矢が置かれる。右側にはバターの飾りが付いた菓子が、左側には赤く染められた菓子が供えられる。これらの周りには、飲み物、炒った大麦粉にバターが練りこまれたもの(ツァンパ)、香、様々な種類の木片が置かれる。占い師は自分の目の前に、金剛杵、金剛鈴、太鼓 (ダマル)、飲み物に振り掛ける大麦と朱色の粉、白いスカーフをくくり付けた矢を置く。その次に、自分自身が神であると観想し、ターラーの儀式に従って、困難消滅のための占断の前段階の法を修する。

続いて、チベットの最高位の守護神であるラモ・ユドゥンマが勧請される。この神は、右手に五色で塗られた矢を持ち、左手に白銀の鏡を持つとされている。占断を行うものは、この神に質問をし、正しい答えが授かるよう、祈願する。鏡を読み取るのは占い師ではなく、十五歳以下で純潔を保っている少年、または少女に任せられる。子供は、身を清め正装した後、安定のシンボルである卍(まんじ)が描かれた場所の上の座蒲団に座らされる。子供は、石を一つ拾い上げたら、その石を赤い布でくるみ、ひざの下に置き、朱色に染まったお神酒を飲むよう命じられる。その後、耳の形に練られ法が修せられた大麦が子供の頭上に置かれ、ターバンで巻かれる。

占い師は、鏡を磨き、バターランプに灯をともす。子供が鏡を覗き込むと、必要な占いの種類によって、映画のような一連の映像、または文字が映し出される。文字が映し出されるのは、質問が書面で占い師に渡されている場合である。鏡を読み取る子供は、質問の内容を知らされないし、占い師は、鏡を見ることもない。しかし、このような占断では、子供と占い師は、互いを補佐し合うのが普通である。子供は、思春期になると鏡を読み取る能力が失われるが、このような場合、占い師は、違う子供を使って占いをすることが許されている。

★ 肩甲骨 (けんこうこつ) による占断

肩甲骨による占断は、ヒグマがいたちや鼠を殺した後、すぐに獲物の肩甲骨を取り出したかどうか、またはヒグマが猟師に追われていたかどうかを判断したことに由来する。これは、獲物を捕らえた熊が獲物の肉を食べずに肩甲骨だけを取り出したりすることがあると猟師が気付いたことに始まる。次第に、肩甲骨を用いた占断は猟師たちだけではなく、強盗や山賊の間にも広まった。さらに、村々で暮らす人々の間でも用いられるようになった。このような占いは、仏教に基づくものではないが、実際に肩甲骨による占いを行った猟師たちの経験を書き記した書物が残っている。この占いは、土着の世俗的な神々を勧請し、焼いた肉を捧げるシャーマニズムの形式と共通点がある。この様式は仏教の占いとして取り入れられ、仏教の神々が勧請されるようになった。
占断に使用される骨は、屠殺された羊の右側の肩甲骨と決まっている。病死した動物、または野生動物に殺された動物の骨は、使用されない。

肩甲骨の特徴は、羊の所有者の状態、または生活を表している。大きいが軽い肩甲骨は、所有者が富裕で頭が良いことを意味し、小さな肩甲骨は、所有者が貧しいことを意味している。厚い肩甲骨は、羊飼いがけちであることを意味し、薄くて長い肩甲骨は、性格の悪さを物語っている。また、薄くて硬い肩甲骨は、羊飼いがうそつきであることを示している。
占いを始める前に、肩甲骨から肉を削ぎ落とし、きれいな水で洗う必要がある。その後、占い師は肩甲骨をセイヨウビャクシン(ヒノキ科の常緑球果植物の一種)を燃やした煙で燻したら、右手に持ち、鏡に映すようにする。次に、「おお、ダルマよ」という言葉を3回から7回唱え、神々を勧請し、明確な答えが授かるよう、祈願する。この後占い師は、見知らぬ者がいない場所で、肩甲骨を煙の立たない火にくべる。

肩甲骨が燃やされている間にガタガタと音を立てる場合、悪霊が家に取り憑いていることを意味する。コツコツという音が同時にする場合、悪いことが起き、家族が仲違いすることを示している。肩甲骨の脊椎側が短時間の内に崩れた場合、悩みや問題が適切な法を修することで追い払うことができることを意味する。

肩甲骨は異なる象徴する部分に分けられ、占い師は、それぞれの部分に基づき、正確な占断を下すことができる。それぞれの部分とは、守護神、ナーガ (蛇)、親族である。さらに、守護神と親族を表す部分の間には、さらに王、貴族、大臣、自分自身、召使の部分に分けられる。これらの部分は、指の幅を基準にして分けられる。

自分自身の部分に泡が見えるのは吉兆であるが、泡が消えてしまう場合は、否定的な意味合いが含まれる。自分自身の部分の下の方のひびは、その年は良くない年であることを意味し、真中のひびは、不運や後悔を暗示する。しかし、後ろ側のひびは、敵や悪霊に打ち勝つ力を意味する。肩甲骨のくぼみのひびは、財産を失うことを意味するが、ひびが大きい場合、間もなく富を手にすることが暗示される。肩甲骨の色が変わらず白い場合、急いで実行する行動の結果が良いことを予想されるが、灰色に変わった場合、不作や風の強い年であることが予想される。黒い色に変わった場合は、雨量が多いことが、また、黄色に変わった場合は、気温が温暖であることが予想される。

肩甲骨にたくさんのひび割れが生じた場合、進路に迷うか、何かに失敗することが予想される。一般的に、白いひびは吉兆で、黒いひびは凶兆とされる。ひびの色がそれほど黒くはない場合も凶兆であるが、その程度はそれほど深刻ではない。守護神の領域の白いひびは、守護神の加護が得られることを示し、黒いひびは、物事を清める法要を行い、ランプを供養し、香を焚いて法を修し、祈祷用の旗を掲げ、懺悔のための祈りを唱える必要があることを暗示している。
ナーガの部分自体、またはそこに生じたひびが黒くなった場合、泉と湖のほとりでナーガに対し菓子を供養する必要がある。敵の部分の上部に生じたひびは、力を手にすることを意味するが、ひびの色が黒い場合、それは凶兆なので、真言を唱え、白傘蓋の法要を執り行い、困難に打ち勝つ力を呼び起こす必要がある。親族の部分が黒くなった場合は、延命祈願の法要や長寿祈願の儀式を行う必要がある。王の領域と召使の領域の間のひびも、同様に解釈される。肩甲骨が垂直にひび割れた場合、病が予想され、水平にひび割れた場合は、泥棒や強盗の犠牲になるか、目標を達成したり仕事を完了させるには時間がかかることが予想される。

★ 辻占い

この占いは、チベットの遊牧民たちが住む場所や人里離れた場所で、相談する僧や占い師がいない場合に行われる。占いを始める前に、肩甲骨に毛糸または白い布かひもでセイヨウビャクシン(ヒノキ科の常緑球果植物の一種)をくくりつける必要がある。占いを行う者は、肩甲骨を上着の左側のポケットに入れ、自分の家から外へ出る。この後、戸外で耳にする最初の言葉が事の結果を教えてくれる。この占いが病人に対して行われる場合、「長い」というような否定的な言葉は、健康が回復するには時間がかかることを暗示する。それに対し、「良い」というような言葉は、回復が早いことを暗示する。このような言葉は、答えを必要として占いを行う場合、共通して解釈される。たとえば、「良い」という言葉は、肯定的な内容を意味し、「何もない」というような言葉は、否定的な内容を意味する。

★ 終わりに

ここまで説明してきたすべての方法に優劣を付けるのは困難である。本質的に、占い師の役目は、勧請する神のお告げを預かり、助言を求める人に伝えることである。占断の正確さは、実際に使用する方法よりも、占い師と神との関係に左右される。たとえば、さいころによる占いを行って七の目が出たときには、占い師は占断が記された本に書かれている七に関連する解釈のすべてを吟味する必要がある。占い師は、その後で自分の経験に基づき、相談内容にもっとも適した答えを導き出すのである。

団子による占いは、もっとも信頼の置けるものとして位置付けられているが、その準備には時間がかかるので、非常に重要な事を決定する以外には使用されない。僧によっては、占いの手順を実行せずに神からの霊感に直接感応し未来を予言する能力をもつ者もいる。この場合、結果は同じだとしても、僧は「占断を下した」と表現することはほとんどない。
占い師の経験が浅い場合、占断の結果が分かりにくくなることがある。たとえば、病人の容態を三回続けて占っても、その結果がすべて肯定的な未来を表すことがある。経験を積んだ占い師であれば、占いの対象とはならず、回復する見込みもないことを読み取ることができるであろう。占いの結果が非常に悪くても適切な法要を営むと、占いが暗示する内容や占い師の経験によって病人が回復する可能性が示される場合もある。病人の容態を占うには、一般的に時間がかかると考えられている。
カムトゥルル・リンポチェは、次のように語っている。
「病人に、チベット医学、または西洋医学の薬を用いるよう指導したとしても、次に、どの病院、どの先生を選んだら良いかという質問がくるのは明らかである。そのため、様々な質問に対して占断を下す必要がでてくる。私たちはどのような状況においても、自分自身で決定を下すことが重要だと思う。そのほうが後悔することが少なくないのではないか。自分で物事を決定できない場合、あるいは、決定しようとしたが誰かの助言が必要だと思う場合にこそ、占いによる指導を仰ぐべきである。」

チベット暦による干支です。チベットの正月は2月上旬~中旬ですので、1月生まれの方は、前年の干支になります。
※2月上旬~中旬生まれの方は、生まれ年の干支をお調べ致します。
お問い合せ:ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 電話 03-5988-3576

大吉 結婚、引越し、就職、入学に最適。運に恵まれ、この日に始めたことは、順調に進みそうです。
 … 全体的に良い日です。 交際も円満でしょう。
× 凶  注意が必要な日。冠婚葬祭、大切な行事などは避けたほうがよさそうです。
生まれ年の干支
★ 大吉 ☆ 吉 × 凶 
子(ねずみ) 水曜日 火曜日 土曜日
丑(うし) 土曜日 水曜日 木曜日
寅(とら) 木曜日 土曜日 金曜日
卯(うさぎ) 木曜日 土曜日 金曜日
辰(たつ) 日曜日 水曜日 木曜日
巳(へび) 火曜日 金曜日 水曜日
午(うま) 火曜日 金曜日 水曜日
未(ひつじ) 金曜日 月曜日 木曜日
申(さる) 金曜日 木曜日 火曜日
酉(とり) 金曜日 木曜日 火曜日
戌(いぬ) 月曜日 水曜日 木曜日
亥(い) 水曜日 火曜日 土曜日

チベットの医学と占星術

チベットの文化と習慣

チベット仏教