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チベットにおける人権の現状 – 2009年10月最新版

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はじめに


現在のチベットにおける人権の状況は厳しいものです。チベット人たちは、全てが恐怖と支配、脅迫に満ちた雰囲気の中で暮らしています。人生のあらゆる局面で、あらゆる形で、多大な権利侵害や基準違反が行われています。中華人民共和国政府はさらにその弾圧を強め、チベットとダライ・ラマ法王に対する姿勢を頑なにしました。

中国のチベット政策は基本的に「両手でつかむ」という方針で、経済発展を進め、政治的規制を増すというものです。2008年以前のチベットにおける政治的抗議行動の多発や、2008年3月以来あらゆる層のチベット人社会を巻き込み、チベット全体を覆った抗議行動の広がりは、中国のチベット政策の失敗をはっきりと示しています。中国政府はチベット問題の核心的課題を明らかにすることなく、一貫してチベットにおける人権侵害を否定し続けています。中国政府はチベット問題を「内政問題」と片付けるか、あるいは、チベット人の権利は国内法によって完全に守られており、チベットに対する「慈善的」統治が経済的繁栄をもたらしたのだと主張しています。

2008年の歴史的抗議行動において際立っていたのが、チベット人抗議者に対する中国の激しい弾圧や情報統制、外界からのチベット閉鎖でした。抗議行動は、中国のチベット政策強硬化に対するものでした。中国憲法と国家地方自治法において、地方自治が保証されているにもかかわらず、チベットについての政策立案や政治の進行の中に、チベット人の声や参加は見られません。国民性の問題に対する北京政府のトップダウン式アプローチは、チベットの文化や精神の独自性や強みを考慮していません。2008年チベット騒乱への中国の対処法は、「歪める」というものでした。チベット問題など存在しないか、あらゆる不安定さの原因はダライ・ラマや「ダライ一味」「偏った報道」「西洋の反中国勢力」にあるとしたのです。このような否定の仕方は、中国がチベット問題に直面して問題の核心に取り組むことを阻んでいます。中国、とくに強硬論者や中傷者の間での、中国—チベット間対話への心からの意思と関心の欠如は、現在の対話の行き詰まりや、彼らの強硬な姿勢からも明らかです。あらゆる形や手段をとるダライ・ラマ法王に対する中傷キャンペーンの激化は、法王がチベット人の精神とチベット問題について果たしている重要な役割と指導力を理解していない事を示しています。

西洋人の学者も中国人の学者も、中国のチベット政策の失敗を確証しています。北京の弁護士組織でシンクタンクである公盟(Open Constitution Initiative)は、2009年5月12日、大胆なオンラインレポート※1を掲載しました。レポートは、中国のチベット政策を誤りと認め、「2008年の抗議行動の背景に、民衆の不満と怒り、彼らの社会的ルーツの複雑さを強く感じる」と述べています。さらに、抗議行動は「社会的抑圧と、過去数十年の間に彼らの生活に起きた様々な変化」によって起きたとしています。

2009年9月14日に発表された人権声明において、国連人権高等弁務官ナバネセム・ピレー女史は、「世界的に、少数民族の保護が主要な関心事である」と強調しました。女史は「最近の新疆自治区や、それ以前のチベット自治区や周辺地域における混乱」への懸念を示し、「差別や、少数民族の権利を保護していないこと」が騒乱の主な原因であるとしました。ピレー女史はさらに、中国当局に「法律を遵守して人権を尊重」し、「これらの出来事の根本にある原因をよく検討」※2 するよう求めました。

現在の状況


現在、チベットは最悪の状況にあります。チベットに死刑宣告が下されたかのようです。国際的に、中国はチベットとダライ・ラマ法王に関し、他国に対して独裁政治といじめ戦略をとっています。北京政府は、国内においては、どんな抗議にも先制的に鉄拳制裁を加えました。チベット人の逮捕、実刑判決、拘留、投獄は日常的に行われています。死刑、終身刑、長期刑、非人間的で暴力的な拷問、まれに自殺するケースさえある、といった深刻な結果になる危険が、常に身近にあるのです。それでもチベット人達は、様々な手段で行われる中国の支配や制限に対し、挑戦的に抵抗しています。

i)チベット人の死亡、拘留、行方不明者

2009年10月5日現在、CTAの推定によれば、チベット人の死者は224名以上※3、内114名について詳細判明、量刑371名以上、逮捕・拘留者4,657名以上、行方不明者990名以上、負傷者1,290名以上であるといいます。実際の数はさらに多くなると見られています。

中央チベット政府はチベットから、中国の残忍さとチベット人に対する過剰な武力行使を示す貴重な映像を得ました。※4 2008年6月19日、中国警察による拘留中の激しい殴打と拷問により、Tendarという若いチベット人が亡くなりました。Tendarは2008年3月14日、ラサの中国携帯電話会社への通勤途中、中国警察に殴られていたチベット人僧侶を守ろうとしました。映像は、Tendarの身体につけられた深い傷だけでなく、中国武装自警団の存在の重さと、チベット人抗議者に対する無差別的暴力をも示しているのです。

ii) チベット人による抗議行動

2008年4月2日、新華社通信は、3月10日から25日の間に「150件の破壊、略奪、殴打、炎上事件」が青海、甘粛、四川省のチベット地域で起きたことを伝えました。別の公式説明では、青海、甘粛、四川省のガパ、カンゼ、カンロ、ゴロク・チベット自治州の、少なくとも18の県レベルの地域でいくつかの抗議行動があった事を認めています。※5

ワシントンのインターナショナル・キャンペーン・フォー・チベットは、2008年3月10日から8月までに、チベット全域で235件の抗議行動があったとしています。※6

しかし、ダラムサラを拠点とする人権NGO、チベット人権民主化センター(TCHRD)は、「センターでは、チベット自治区および自治区外のチベット人居住地域の90県にわたって、300以上の独立した様々な規模の抗議行動があった」※7と主張しています。

iii) 市民による不服従活動

2009年、興味深い発展が見られたのが、チベット内のチベット人たちが、高度な非暴力抵抗戦略の様々な方法を用いて、中国のチベット政策と平和的抗議への弾圧に対する不満を表明しているということです。

チベット人たちは、亡くなったチベット人や拘束されているチベット人への哀悼のしるしとして、チベット暦新年(ロサル)のお祝いをボイコットしました。彼らはダライ・ラマ法王に敬意を表すため、毎週水曜、供養やその他の功徳ある行いをしてLhak-kar(意味は「良き水曜日」。占星術においてダライ・ラマ法王誕生の縁起の良い日)を祝うようになりました。カンゼ地域ではチベット農民たちが、広がる政府の政策に反対して農作業を拒否しました。レプゴンから数時間の所にあるマンラ県のルツァン僧院では、100人近い僧侶が、チベット歴新年の前夜、ろうそくを灯して徹夜の祈りを行いました。アムド出身のTapeyという僧侶は、彼の僧院に対する中国の厳しい宗教規制に抗議し、ダライ・ラマ法王への支持を表明するため、殉死しようとしました。

iv) 死刑と無期懲役

中国の2009-2010年国家人権行動計画では、死刑は「厳しくコントロールされ、慎重に適用される」よう規定されています。チベットについて言えば、ラサ中等人民裁判所は2009年4月8日、二人のチベット人、ロプサン・ギャルツェン(Lobsang Gyaltsen)とロヤク(Loyak)に対し、2008年3月の「ラサで7人を死に至らしめ、5件の店を炎上させたとされる放火事件」※8の罪で判決を下しました。別の二人のチベット人、テンジン・フンツォク(Tenzin Phuntsok) (詳細不明) と Kangtsuk※9は、執行猶予2年の死刑判決を受けました。年齢30〜40歳位のDawa Sangpo※10は、無期懲役を言い渡されました。

中国新華通信は、2009年4月21日、ラサ中等人民裁判所が21歳のペンキ(Penkyi※11)に執行猶予付きの死刑判決を下したと伝えています。別のペンキ※12という23歳の女性は無期懲役を、20歳のチメ・ラゾム(Chime Lhanzom※13)は10年の懲役を言い渡されました。注意しなければならないのは、中国当局が、いつどのように判決が下されたのかも、被告人とその議論の詳細についても、全く情報を発表しなかったということです。

現在9名のチベット人が無期懲役に服しています。ワンドゥ(Wangdue) またはナワン・ソンツェン( Ngawang Songtsen)、 ナワン・イクニェン(Ngawang Yiknyen) またはパサン( Passang)※14、ソナム・ツェリン( Sonam Tsering)※15、 ギュルメ(Gyurmey Dhondup)※16 28歳、カルバ( Kalbha) または カルマ(Karma)※17 23歳, ツルティム・ギャツォ(Tsultrim Gyatso)※18 37歳, そして前述の ダワ・サンポ(Dawa Sangpo) とペンキ(Penkyi)も含まれています。

v) 宗教的信仰と実践の自由

現在のチベット自治区共産党書記、張慶黎の着任により、2006年5月26日、厳しい規制のチベット政策の時代が訪れました。着任から1ヶ月の間に、張慶黎は「愛国的再教育」キャンペーンを強化し、「ダライ一味との死闘」を呼びかけ、ダライ・ラマ法王を「チベット仏教における正しい仏教団形成を妨げる最大の障害」と非難しました。2008年チベット抗議行動の間、張は法王を「僧服をまとった狼、人間の顔に獣の心を持った悪魔」と呼びさえしました。

政治的抗議行動に関わるチベット人の大部分が僧や尼僧であったため、中国当局は彼らに容疑をかけ、僧院からの追放か逮捕、拘留によって罰しました。政府の規制は僧院の住人に向けられました。僧侶たちは「愛国的再教育」キャンペーンや、僧院管理機関の民主主義管理委員会(DMC)による組織化、反ダライ・ラマキャンペーンの過程で検査されました。すべては、僧院人口の削減と、チベット仏教の衰退をもたらす結果となりました。

中国憲法と中国のチベット宗教政策は、僧院の修復や巡行、経典の印刷といった、チベット仏教の外的活動や実践を強調しています。これらの活動はチベット仏教の重要な面ではありますが、ほんの一面にすぎません。チベット仏教の本質は、集中的研究会や熟考、厳格な修行を必要とします。したがって、中国の「愛国的再教育」キャンペーン強制やその他の規制は、真に本質的なチベット仏教の伝承に甚だしく妨害し、僧院の日課や研究に大きな影響を及ぼしているのです。

vi) 表現と言論の自由

チベットや中国では、どんな問題についても、中国の公式の立場に反するあらゆる意見や見方は「破壊分子」と見なされ、中国の政治や政策、活動を直接あるいは間接に批判するどんな情報も「国家機密」とされます。最近の動向は、非常に抑圧された空気の中、本当の気持ちや願いを表現した勇気あるチベット人作家やブロガーたちに対し、中国の弾圧が続いていることを示しています。

大学生の若きチベット人作家タシ・ラプテン(Tashi Rabten)(ペンネーム Te’urang)※19は、2009年7月26日以来行方不明となり、現在拘束中と伝えられています。クンガ・ツァヤン(Kunga Tsayang) 氏※20は「走り書き」や「メモ」を意味するタイトルのウェブサイトに掲載した記事のために拘束されていると伝えられています。デク・ツルティム(Drokru Tsultrim)※21は発禁となった雑誌”Life of Snow”の編集者で、2009年4月2日、記事が「反動的」であるとの疑いで拘束されました。雑誌「ナンジャ」の創刊者カン・クンチョク(Khang Kunchok)※22は、2008年3月20日に拘束され、2年の禁固刑を言い渡されました。

まとめ


中国による弾圧と情報統制が劇的に増す中、チベットにおける人権の状況が悪化しているのは明らかです。私たちが入手し、ここにご報告する情報は、チベットの中で起きている人権侵害の実際の規模や程度のごく一部を表わしているにすぎません。中国は臆面もなく、部外者もチベット人たちもだませないようなプロパガンダ攻勢に取り組んでいます。チベットにおける2008年の抗議行動は、起こるとわかっていたことでした。このまま対話が進行せず、チベットが仮想の戒厳状況下におかれ、中国のチベット政策に変化のきざしが見えず、チベット問題が解決せずにいるなら、この地域の真の安定を確保するのは、中国政府にとって難しい課題となるでしょう。

(翻訳:熊谷惠雲)

脚注

  1. Gongmeng Law Research Center, “An investigative report into the social and economic causes of the 3.14 incident in Tibetan areas”, 12 May 2009
  2. “Statement of Ms. Navanetham Pillay, UN High Commissioner for Human Rights”, 12th session of Human Rights Council, 14 September 2009, p.3
  3. 220名以上のチベット人の死亡の原因は、抗議行動中の中国保安部隊による無差別発砲、逮捕監禁・取り調べ時のチベット人逮捕者・拘留者に対する激しい殴打や拷問による衰弱や負傷、克服し難い抑圧による自殺、そして数名は2008年3月蜂起の初期段階で、主な僧院が何日も閉鎖されたことによる餓死であった
  4. 映像のウェブリンク: http://footage.tibetanbridges.com
    関連情報: http://www.tibet.net/en/index.php?id=89&articletype=press&rmenuid=morepress&tab=2
  5. Human Rights Watch, “China: Hundreds of Tibetan Detainees and Prisoners unaccounted for”, 9 March 2009 に引用。
    www.hrw.org/en/news/2009/03/09/China-hundreds-tibetan-detainee-and-prisoner-unaccounted で閲覧可能。
  6. International Campaign for Tibet, “Protest Logs: New data on protests and prisoners summary”, Washington
    http://www.savetibet.org/action-center/protests-logs で閲覧可能。(2009年10月17日時点)
  7. “TCHRD Press Statement on the 60th anniversary of the Universal Declaration of Human Rights”
  8. 新華社通信によれば、Lobsang Gyaltsenは2008年3月14日にラサ下町の服屋2軒に放火したとして、Loyakはオートバイ店の炎上で店主、その妻と息子、店員二名を死亡させたとして、死刑判決を受けた。
  9. ラサ市タクツェ県デチェン地区出身。
  10. ラサ市タクツェ県デチェン地区出身。父はTenzin、母はDekyi、妻はLhakpa.。Dawaの職業は芸術家で、以前インドへ来てガンデン・シャルツェ僧院で僧侶となり、その後2003-2004年頃、妻と復縁した。
  11. チベット自治区サキャ県ドラ地区ノルブ村出身。2008年3月14日に2軒の服屋へ放火、青年路の宏宇ズボン店の店主である左仁村を死なせたとの容疑をかけられた。あるレポートではPenkyiは掃除人であるとし、別のレポートではラサのレストランで働いていたという。
  12. チベット自治区ニェモ県マルキャン地区タントゥ村出身。ラサのレストランの掃除人か店員であった。
  13. チベット自治区シガツェ、ナムリン県ナムリン地区ショルトゥ村出身。
  14. ディンカ僧院の僧侶で、ラサ市トゥルン県出身。
  15. ペンポ出身、ラサ在住。
  16. ゴジョ県タンキャ僧院在籍。
  17. ガパ・チベット自治州ガパ県ガメイ・ロタ地区出身。
  18. アムド、ラブラン僧院の僧侶。
  19. “Written in Blood”の著者Tashi Rabtenは、2008年抗議行動において禁止された文学雑誌の編集者でもある。
  20. ゴロク・チベット自治州チクディル県の僧侶
  21. 青海省ツォルホ・チベット自治州チャプチャ、マンラ県出身
  22. 四川省ガパ県ドロツァン村出身