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ダルマキールティの『量評釈』第2章法話会 初日

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2022年10月3日

インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ

今朝、ダライ・ラマ法王は、ツクラカンに続く中庭を歩かれながら、法王を出迎えるために待ちわびていた55カ国から集まった約5千人の群衆に笑顔で手を振られた。今日の法王は、特に年配の参加者に目を向けられているようで、お年寄りを見かけると、立ち止まって言葉をかけたり、愛情を込めて頭や手を軽く叩いたりされながら法話会場へと進まれた。

ツクラカンで行われた法話会初日の冒頭で、中国語の『般若心経』の読経を先導する経頭。2022年10月3日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル / 法王庁)

法王が法座に着かれると、経頭が中国語の『般若心経』の読経を先導し、台湾から来た570人の弟子たちがそれに唱和した。法王は、猫が歩いているのを見つけられ、迷子になっているかもしれないので飼い主のもとに連れていくように、と言われた。

次にチベット語で『般若心経』が唱えられ、続いて法王が以下のことを告げられた。

「今日は、漢族の法友の皆さんがダルマキールティ(法称)の『量評釈』の法話をリクエストしてくれました。ダルマキールティはこのテキストを著すに当たり、以下の誓いを記されています」

大半の人が世間的な欲望の追求に終始し
必要な知力を欠いているため
正法に興味なく、その真価を理解できないばかりか
悪意の汚れに覆われ
正法を憎みさえする

それゆえ、この著作が他者を利益するとは思わないが
心に抱いた強い熱意が
長年の科学と経典の学習によって助長されたため
これを書く決意をした

そして法王は、次のように続けられた。
「今日、人々は物質的な生き方を追求することに没頭しています。宗教のあらゆる伝統が思いやりについて説いている一方で、ナーランダー僧院の伝統は、私たちの心の平和を乱す原因を突き止めるために、知性を活用するよう促しています。このような精神から、ダルマキールティは科学と経典を長く学習した後で、この『量評釈』を著すことに力を注がれたのです」

ツクラカンで行われた法話会初日に説法をされるダライ・ラマ法王。2022年10月3日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル / 法王庁)

「チベットの過去の学匠たちの中には、このテキストは悟りに至る実践の段階について触れていないので、解脱を求める人々はほとんどこの本に関心を示さない、と言って批判する人もいました。ツォンカパ大師は、ご自身の勉学と修行の詩的な記録である『私の目的はよく果たされた』の中で、このことに言及されています」

インドの北方には、論理学のテキストを学んだ者も、学ばない者も声を揃えて
「経典や、〔ディグナーガ(陣那)の〕『集量論』やダルマキールティ(法称)の七論書のすべてには悟りに至る実践の段階は述べられていない」と述べている

しかし、文殊菩薩はディグナーガの目の前に現れて
「このことを記せば、将来一切有情の眼となるだろう」と言われた
お言葉による許可を得たことも正しい根拠であり
〔論理学には悟りに至る実践の段階は述べられていないという考えは〕
非論理的なことを語る者たちの最たるものであるということを理解した

特にこのありようを詳しく分析してみると、
〔ディグナーガの〕『集量論』の帰敬偈の意味が 〔ダルマキールティの〕『量評釈』第2章で解説されており
解脱を望む者たちは、正しい根拠を成立させる順観と逆観〔という二つの視点〕によって
世尊が模範となるべき人であることを立証したのである

それゆえ、世尊の教えのみが解脱を求めるものたちの入るべき門戸である
という深い確信を得た
それにより、二つの乗り物における修行道のすべての重要な点が
集約された論理の道から正しく導き出されたので、特別な喜びを得た

このように考えると、私の目的はよく果たされた
ありがとうございます。尊者の智慧の蔵よ!

「『量評釈』は、根拠と論理を用いて、釈尊が頼るべき師であることを示しています。それゆえ、このテキストを学ぶことは重要なことであり、ツォンカパ大師もそうされたのです」

法話会初日に法王の説法を聴く台湾からの参加者たち。2022年10月3日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル / 法王庁)

法王は、私たちは科学の時代に生きており、釈尊が心と感情の働きについて説かれたことについて、そして、仏教の洞察がどのように私たちに心の平和をもたらすかについて興味を示す科学者が益々増えていると述べられた。そして、心の平和をもたらす主な要因は、愛と慈悲を培う利他主義の訓練であると指摘された。また、心が安らいでいれば、睡眠薬に頼らずともよく眠れるようになると話された。

法王は、一般の教育課程に、温かい心を育む教育をいかに導入するかを模索するため、デリーの教育関係者と話し合いを持つという長年の計画について言及された。法王は、インドでは何千年もの間、カルーナ(慈悲の心)とアヒンサー(非暴力)の原理が支持されてきたため、この計画の実現は可能だと確信されている。マハトマ・ガンジーが、インドの解放を求める闘争の基本的主題として非暴力を推進できたのは、このような土台があったからである。

そして法王は、次のことを明らかにされた。
「朝起きるとすぐ、私は菩提心を生起するようにしています。菩提心は愛と慈悲に根ざしており、菩提心によって利他を為すための勇気が湧いてくるのです」

「釈尊が注目すべき師であることは、その行いによって起こした奇跡のためではなく、釈尊が説かれた教えの内容によってである、と私たちは考えます。世界に平和をもたらそうとするならば、自分自身の心に平和をもたらす方法を知る必要があります」

法王は『量評釈』第2章 “信頼できる導師の立証” を読み始められた。そして、無上瑜伽タントラで語られる微細な心の各段階の説明に触れ、2つの別の科学者のチームが、この現象を調査していることを明らかにされた。

法話会初日に『量評釈』の第2章を読まれるダライ・ラマ法王。2022年10月3日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル / 法王庁)

第152偈まで読まれた法王は、仏法は勉強すればするほど、よく理解できるようになると助言された。そして、論理と根拠の用い方について詳しく知りたければ、『量評釈』を頼ることができるが、正確な哲学的見解を得るためには、チャンドラキールティ(月称)の『入中論』と、そこに提示されている中観帰謬論証派の見解に目を向ける必要があると説明され、次のように述べられた。

「教えを学び、それについて熟考し、学んだことに心をなじませることができれば、教えは自分自身の体験の一部となるでしょう」

法王は、事物に固有の実体があるとするならば、それによって起こる四つの論理的誤謬について明らかにした『入中論』第6章の34偈から38偈を引用された。事物にはそれ自体の力で、独立して客観的に存在する実体はないが、だからといって事物が全く存在しないわけではない。事物は、縁起し、単なる名前を与えられたことによって存在しているに過ぎないのだ

法王は、この理解を着実に深めていけば、事物が何にも依存せず、独立して存在しているという感覚を減らしていくことができるだろう、と示唆された。そして、誰もが事物に実体があると思って執着し、その執着心に圧倒されているという現状を理解したとき、虚空に広がる一切有情への慈悲心で心をつき動かされることになるだろうと述べられた。

そして法王は、「今日はここまでにして、明日この続きを読むことにします」と言って今日の法話会を終えられた。