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ダルマキールティの『量評釈』第2章法話会 2日目

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2022年10月4日

インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ

今朝、ダライ・ラマ法王はツクラカンに到着されると、法座の左側に座っているガンデン僧院ジャンツェ学堂法主のゴソク・リンポチェと、右側に座っているガンデン僧院シャルツェ学堂法主ロブサン・ドルジェに挨拶をしてから着座された。

法話会2日目、ツクラカンに向かわれるダライ・ラマ法王。2022年10月4日(撮影:テンジン・チュンジョル / 法王庁)

『般若心経』がまず中国語で唱えられ、次にチベット語で唱えられた。

法王は『量評釈』のテキストに再び入る前に、空性と心の本質に関する密教のテキストから、輪廻は固有の実体としての存在を欠いていることを示す一節に言及された。

法王は次のように続けられた。
「この世界では、すべての現象がそれ自体の側から独立して存在しているかのように見えますが、これが実体であると指を差して示そうとすると、指し示すことはできません。すべての現象はいかなる実体も欠いていることを理解すれば、私たちは輪廻から解放され、すべての現象が独立した固有の実体として存在しているという誤った考え方を取り除くことができます。モノや人に対する怒りが生じたり、執着したりするとき、怒りや執着の対象は実体をもって存在しているように見えるということが、日常生活においても観察できるのです」

「執着や怒り、憎しみは無知に根ざしており、それらによって私たちの心の平和は乱されてしまいます。しかし、独立した固有の実体が存在するという概念への執われを失くすことができれば、修行の道における進歩を遂げられます」

法話会2日目、ツクラカンで聴衆に向けて説法されるダライ・ラマ法王。2022年10月4日(撮影:テンジン・チュンジョル / 法王庁)

「ナーガールジュナ(龍樹)は、『根本中論頌』の22章で、如来でさえその独立した固有の実体を指し示すことはできないと書いておられます」

如来は〕五蘊ではなく、五蘊と別のものでもない
如来の〕うちに五蘊があるのではなく
如来が五蘊を所有しているのでもない
では、如来とはいかなるものであろうか(第22章1偈)

法王は、しばしばこの偈を自分に置き換えて熟考していると付け加えられた

私は五蘊ではなく、五蘊と別のものでもない
私のうちに五蘊があるのではなく
私が五蘊を所有しているのでもない
では、私とはいかなるものであろうか

「何百年もの間、人類は互いに戦い、殺し合ってきました。そのためにより殺傷力の高い兵器が開発されてきましたが、実際に私たちの心の平和を妨げるものは何かと言えば、それは心をかき乱す煩悩なのです。私たちの心の本質は光明であり、空性です」

「すべての宗教は互いに親切にするべきことを説いていますが、自己の本質を分析するのはインドの伝統の特色です。中には “アートマン” と呼ばれる自己について説明しているものもありますが、仏教はこれを認めていません。仏教が主張しているのは、人は実体を持って存在しているかのように見えているに過ぎないということです。因果の観点から見ると、本質的に独立した固有の実体として存在するものは何も見つかりません。私たちが誤って自己の存在を捉えていることが、すべての問題の原因です。それによって利己的な態度が助長され、それは他者への配慮が乏しくなることを意味しています」

台湾の仏教徒へ向けた法話会2日目、ダライ・ラマ法王の法話に耳を傾ける聴衆。2022年10月4日(撮影:テンジン・チュンジョル / 法王庁)

法王は、チャンドラキールティ(月称)の『入中論』の冒頭の偈にある慈悲への礼賛に言及された。

声聞、独覚たちは仏陀より生じる
仏陀は菩薩たちから生まれる
慈悲心と不二の智慧と菩提心が
勝利者仏陀の息子たち(菩薩)の因である(第1発心「歓喜」1偈)

慈悲こそが、〔最初には〕勝利者仏陀の豊かな収穫の種であり
途中には〕成長のための水のようなものであり
〔最後には〕長い間楽しむための実りのようなものだと言われている
ゆえに、私は始めに慈悲の心を称えよう(第2偈)

最初に、「私」と言って自我に執着し
〔次に〕「私のもの」と言って事物に執着し
井戸の中を上下するバケツのように〔輪廻の生を回り続ける〕自由のない有情たちに対し
慈悲の心を起こされる方に礼拝いたします(第3偈)

法王は、私たちは願わくは世界平和になるようにと話すが、しなければならないことは、現象が独立した固有の実体をもつ存在であるという執われを弱めることで自分自身の内なる平和を強化することであると指摘された。

法話会2日目、『量評釈』のテキストを読みあげられるダライ・ラマ法王。2022年10月4日(撮影:テンジン・チュンジョル / 法王庁)

ここで法王は、『量評釈』を昨日の続きから取り上げて、すべてのチベット仏教の伝統が論理と根拠を用いている点を指摘された。同様に、すべての仏教の学派が無知について論じているが、それを正確に説明しているのは中観帰謬論証派である。

今日、法王は281偈まで読み上げ、残りの偈は明日にすると述べられて、法王ご自身が毎日実践されている『一切ヨーガの菩提心生起』の儀式を行いたいと告知された。世俗の菩提心、すなわちすべての有情を救済するために悟りたいという熱望を起こし、この熱望を胸の月輪として観想し、次に究極の菩提心、すなわち空性を理解する智慧を生み出し、それを月輪の上に立つ白い五鈷杵として観想するというものである

法王は、聴衆を率いて『一切ヨーガによる発菩提心』の真言である、オーム・サルヴァ・ヨガ・チッタ・ウパダヤ・ミを唱えるならば、空性を理解し、菩提心を育むというこの2つの修行こそ、仏陀の境地を得る究極の因であると述べられた。さらに、法王は多くのタントラの灌頂を授かってきたが、この二つは法王ご自身の修行のエッセンスであると述べた上で、法王を師と仰ぐ者であるならば、それをタントラの実践修行の本質とするように促された。

そして法王は最後に、チベットの状況について話をされた。

「現在、チベットで新型コロナウイルスのパンデミックが拡大し、チベット本土のチベット人が厳しい制限を受けていると報告されており、一般市民は大きな困難に直面しています」

法話会2日目、チベットの状況について語られるダライ・ラマ法王。2022年10月4日(撮影:テンジン・チュンジョル / 法王庁)

「チベットと中国の闘争は、仏陀の教えにある程度結びついています。中国人は、チベット人の宗教と文化に根ざした考え方や行動を決して変えることはできません。むしろチベット仏教の伝統とそれに付随する文化が、次第に中国そのものに浸透していくことでしょう」

「一時的な困難に直面しても落胆する必要はありません。私たちチベット人は、守護尊である観音菩薩との特別な因果のつながりがあります。それゆえ、ラサの三大護法尊であるジョウォ・ロケシュヴァラ、ジョウォ・シャキャムニ、ジョウォ・アクショビヤヴァジュラに祈願するべきです」

「物理的に離れていたとしても、私たちは行いと祈りに基づくまたとない縁があるのですから、ギャルワ・リンポチェ、つまりダライ・ラマである私のことをただ思えばいいのです」

「最も重要なことは、あなた方が心安らかに、真実は最終的に勝利するということを信じることなのです」

「私は現在87歳ですが、健康そのものです。診察の結果、医者もあと15年から20年は生きられると保証してくれています。ですから、チベット本土にいるチベット人のみなさん、どうか安心して幸せでいてください」

法話会2日目が終了し、台湾からの聴衆に手を振りながら退場されるダライ・ラマ法王。2022年10月4日(撮影:テンジン・チュンジョル / 法王庁)

「中国は変わりつつあります。私たち亡命チベット人とチベット本土のチベット人が再会し、菩提心と空性の見解について一緒に瞑想できる日がきっと来るでしょう。”タシデレ”と挨拶を送ります。皆さんどうもありがとう」