ダライ・ラマ法王

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ダライ・ラマ法王来日合同記者会見

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2000/04/18 ホテルオークラ
ダライ・ラマ法王:

まず質問の前に。ご存知のように、私は訪問する先々で、人間が持つ価値を高めるために何らかの貢献をしようと努めている。それはなにも、私自身、自分が特別な存在であると意識しているからではない。考えてもいないことだ。私もひとりの人間だ。ただ、人類、とりわけ人類の将来を気にかけている。すべての人間は、他の人のために対して何らかの責任と可能性を持っている。だからこそ、私は人間の価値の素晴らしさを多くの人々に気付いてもらうために努力を惜しまない。

また、異なる伝統的宗教間の理解が深まるよう、専心している。この点については、実際何らかの貢献ができたのではないか、と考えている。

さらに私が力を注いでいるもの、それはチベット問題である。まず、私自身がチベット人で、そしてダライ・ラマであるからだ。故に、私にとって最も重要な存在は、チベット内外を問わず至るところで生活を送っているチベット人たちなのである。彼らは私に全信頼を寄せており、チベット人のために何かすることは、私にとって道義的に果たさなければならない責務である。

さて、今回の訪日は、京都精華大学の招聘で環境問題と人間のあり方に関するシンポジウムに参加するためのものだ。この他、東京で 二日間ダルマ (仏法) に関する講演を行ったことも申し上げておく。この数日間は私にとって非常に喜ばしいものであったし、これらの場において、役に立つことができたのではないかと感じている。記者の皆さんは、現在のチベット問題についてもっと聞きたいのではないかと思う。ただし、今回の訪日は政治的なこと以外を目的としており、私から特に言うことはない。しかし、どうしてもと言うのなら、質問をお受けしよう。

── 質問:

今回の訪日では、当初予定された石原東京都知事との会談がキャンセルになったが、その経緯とキャンセルの理由、また猊下が日本での活動の制約を受けていることなどについての感想もお聞きしたい。(NHK)

ダライ・ラマ法王:

私の訪日スケジュールが最終決定する前、都知事から招待が来た。誰かが私に会いたいならば、どのような経歴の人であっても私は喜んで会う。また、都知事はチベットに関しとても好意的な意見を幾度か述べており、都知事と会うこと自体、私にとって喜び以外の何物でもない。しかし、実際会うとなるとあまりにも多くの政治的な事柄が関係してきた。既知の間柄である人物と親交をあたためるために会談するのであれば何ら問題はないはずだ。そのような会談は政治とは無関係だから。けれども、今回の会談では、話し合いのテーマとして政治的な事柄が挙がってしまい、会談そのものが複雑な政治的意味合いを含むものとなってしまった。第一に、今回の私の訪日は政治的なこととはまったく無関係なものだ。また、政府関係者はもちろん、その他の人々の事情を考えると、迷惑となるような行動は慎まなければならない。京都精華大学にとっても不都合な状況になると判断され、また将来、都知事には会う機会はあるだろうし、今回の会談は見送るという結論に達した次第である。

もうひとつの質問に関して、私から言うことは特にない。ただ、記者の皆さんにお願いがある。事実確認の際には充分注意を払ってもらいたい。そうすると実際の状況がどうなのか明確になるだろう。それは、私自身にとっても大変に有益になる。一言付け加えるならば、私のビザ発給が難航していることを知らされた時には、「おやおや、日本の政府は少々慎重すぎるのでは?」 というような感想を持った。

── 質問:

今回の来日中に法王はどのような方々と交流されたのか。また、新たに友人となった人は?過去の来日以来、日本に新たな発見はあったか。(朝日ニュースター)

ダライ・ラマ法王:

今回、若い世代、特に学生たちの中から新しい友人ができたと感じている。私の講演を聞いた人たちの態度には感心させられた。特に若者たちの態度に、大きな思いやりと心を開き友好的になろうとする様子がうかがえた。人間の価値を真剣に学ぼうとする姿勢も見られた。とてもいいことだと思う。
そう、新しい発見と言えば、髪を金髪に染めた子が増えたかな。(笑)そこで、私自身も日本に長く滞在したら、髪を染めたくなるかもしれないと思い、金髪の若者に聞いた。
「 (髪の毛の) 色を変えるとすると、一体私には何色がいいだろうか」
「緑色がよろしいでしょう」と答えが返って来た。思わずそれを聞いて笑ってしまったよ。実は、緑は私が一番好きな色なのだから。(笑)

ここで私が言いたいのは、外見、髪型、服装などは、重要なことではないということだ。大切なのは、人間の内なる資質、つまり人間の価値そのものである。日本人には、受け継がれてきた伝統的で豊かな文化遺産がある。そのような豊かな文化遺産を後世に伝えていくことを怠ってはいけない。欧米からテクノロジーを導入することも、もちろん素晴らしいことだが、自分たちの文化遺産、精神的な拠り所を継承してくことも、非常に大切なことだ。

── 質問:

日本には、カルト集団と呼ばれる団体がいくつもあり、多くの若者が、人生の目的、あるいは生きがいを求めて入っている。この問題について、カルトと真の仏教と見分けるにはどうしたらいいか、また師と弟子のあるべき関係についてアドバイスを頂きたい。(フリージャーナリスト江川詔子氏)

ダライ・ラマ法王:

大変よい質問だ。宗教から離れるか信仰を続けるかは、個々人の判断、個々人の権利に拠るべきと私は考える。また、人間の幸福のために必ずしも宗教が必要とは思わない。

もし伝統的な宗教の信仰を希望するのであれば、たとえば、仏教、キリスト教、イスラム教、あるいはその他の主要な宗教を通じて精神的な向上を目指そうとする場合、当然ながら正統な教典に基づき、伝統的な、そして注意深く書かれた宗教的な教えに従う必要がある。このことは大変重要だ。

伝統的宗教の教義をあちこちから部分的に取り入れて作り上げられた、いわゆる「ニュー・エイジ」と呼ばれる新しい類の宗教は、本質的には大変危険なものではないか。特に私たちがカルトと呼んでいる宗教には、非常な警戒心を覚える。仏教の一僧侶の立場から仏教について述べると、ブッダの教えに従うこと、その次にナーガルージュナ、アサンガ 、アーリヤデーヴァ などの真の高僧たちの教えに従うことが、とても大切である。このような高僧たちは本当に信頼できる仏教の導師である。時として、誰も認めていないのに自らを導師であると語るような者たちもいるが、このような輩は大変危険であると言わねばならない。充分に注意する必要があるだろう。

次に師と弟子の関係について。ブッダは、師となるためにはどのような資質が必要であるか、誰にでも理解できるよう明確に示した。だから、そのような資質を持つ者だけがグル (導師)、つまり師と見なすことができるわけである。カルト、あるいはまがい物の教えから逃れるためには、そして本当の資質を備えた師を見つけるには、ブッダの正統な教典を学ばなくてはならない。このことは非常に重要である。最初から信じ込むのではなく、まず学習し、充分な知識を得たあとで、「この人物が語っていること、示していることは何か 」 と判断を下す。(その人間の言動が)仏教の経典に正しく基づいているかを確認する。すなわち、本当に師として適切な人物であるのかを吟味することが大切である。事細かに観察した結果、その人物が本物と判断できたなら、師として信頼してもかまわないと思う。

こうした弟子のとるべき態度は報道メディアにもあてはめるられる。メディアは、宗教のみならず、ビジネス、政治においても常に調査し、それに値しないと判断すれば、情報を公開するという重大な任務を負っている。

── 質問:

ビルマ(ミャンマー)の軍事政権は中国政府と密接な関わりを持っている。こうした背景で、ビルマでは、ダライ・ラマ法王の名前も写真も目にすることができない。これについてはどう思われるか?(ラジオ・フリー・アジア)

ダライ・ラマ法王:

そうなのかい? 今初めて知ったよ。ノープロブレム!(笑)私の求めるのは、チベットの独立ではなく、完全な自治であり、本来、中国側も同意できるものである。中国政府が求める国家の安定と民族の団結に貢献できると考えている。我々チベット人は、決して「反中国」ではない。
五年前だったか、ビルマの軍事政権がアウン・サン・スーチー女史に柔軟な姿勢を示した時、私は軍事政権に書簡を出した。その返事がなかったのは、そういったビルマの状況があったからかもしれない。
個人間であろうと、国家間であろうと、意見が異なった際にはよく吟味しなければならない。行動や政策に対して、それが不誠実で正しくないものであれば、全力で抵抗しなければならない。しかし、その抵抗は人間であるその当人自身に直接向けられてはならない。

── 質問:

先週末NKホールで猊下のお姿を拝見することができ、大変嬉しく思う。また、ご講演も大変素晴らしかった。個人的な質問だが、感覚のある生物、つまり人間である以上、物事に対する感覚は誰にでもあるが、現世において猊下にとって最も喜ばしいご経験、そして最もお辛かったことを教えてほしい。 (米チャンネルJ)

ダライ・ラマ法王:

たくさんありすぎて、どれを話したら良いか…。(笑)
私は、誰かに会う時、たとえ面識がなくとも、お互いに人間同志として大切な微笑みを絶やさないようにしている。そうして、まるで古くからの友人のように相手から応対されると「なんて素晴らしいんだろう」という気持ちになる。私たちはみな人間という家族の一員である。このことを考えれば、自己紹介などなくてもお互いを自然と理解することができるし、自分の感情の状態から相手がどのように感じているか推し量ることもできる。このような状況で、相手が私に同じように接してくれた時、「この上ない満足感と喜びを覚える」と確信を持って言える。しかし、誰かに会って微笑みを浮かべても、相手から「この人物は誰だ」と怪訝な応対をされたときには、少々きまりの悪いような、落ち着かない気持ちになることがある。このことはさほど問題ではない。その人が私の顔を見ていやな顔をすれば、私もその人の顔を見ないようにするだけのこと。双方の態度は全く同じことになる。(笑)

最も悲しかった、これまでで最も辛かった日について思い出してみると…、そう最も悲痛な思い出は、一九五九年にインドとの国境を越えた日のことが挙げられよう。その日は、何百人ものチベット人、その大部分は護衛兵だが、私に別れを告げた後、私はインドへと進み、彼らは元来た道を引き返して行った。彼らの行く手には紛れもなく死が待っているということは知っていたはずだ。その時、私は彼らの勇気を称える一方、この世で彼らに会うことはもうできないという思いをかみしめていた。ほかにも多くの悲しい出来事もあるが、あの別れは中でも最も辛い経験だ。

── 質問:

猊下、世界中のあらゆる立場の指導者から経済界の指導者に至るまで、世界中の非常に多くの人たちがあなたを支持している。いまだ交渉、特に経済的な交渉は続けられているが、チベット問題は置き去りにされているのではないか。アメリカ、中国、そしてチベット人による交渉が続けられている今日、また、ジュネーブにおける人権問題について何かコメントがほしい。(スイス・ラジオ・インターナショナル)

ダライ・ラマ法王:

中国に関する私の見解は、「友好的な関係が不可欠である」ということだ。なぜなら、中国は世界最多の人口を有する広大な国家であり、長い歴史を持つ国でもあり、世界で重要な役割を果たしてきた。この役割は将来的にはより重要なものへと発展していくだろう。このような状況下で中国の孤立化を招くことは誤った方策だ。

しかし、中国は国際社会で中心となる立場に協力すべきである。そうすれば、より緊密な経済分野において、友好的な関係が自然なものになり、中国にとって、経済の分野も国際社会における自国の立場にも利益をもたらすものになる。そのような友好的な関係のもとにおいてこそ、中国の指導者、そして中国の相手国たちが、人権、民主化運動、信仰の自由化、そしてチベット問題といった現在の主要な諸問題を明確に意識することができるのではないか。

この地球という小さな惑星のいたるところで、「平等」という言葉が絶えず叫ばれている。正義、人権といった言葉もどこでも耳にするが、実際のところ、権力ほど影響を与えるものはないだろう。正義が表に出る幕はほとんどないといっても過言ではないと思う。これは実に悲しむべきことだ。なぜなら権力を持たない国家は被害者の立場に置かれるのが常であり、国家の中でもまた、権力を持たない人々が一番の苦しみを被ることになるからだ。この悲惨なあやまちをもっと真剣に考えなければならない。もちろん、一晩で事態が変わることはないが、このような状況に置かれているということを、訴えることが大切なのだと思う。今の重要な質問に対する私の答えは、チベットが抱える問題に対して多くの人が積極的に支援してくれていると感じている、そして私は困難を感じた時もすぐにとても勇気付けられる、ということだ。成果はまだ完全ではないし、現状には満足していないが、これから事態は改善されていくだろう、と確信している。

環境や人権等の問題を世界共通の課題として提起することは、良い傾向だ。二十世紀は人権等の面で進歩が見られたが、まだまだ我々は努力していかなければならない。

私たちは、肉体を持つ存在として当然感情を持っている。もし、今ここで私がある人の頬を殴ると、その人は痛くて不幸な気分になる。次に、その人が他の人を殴る。その人から殴られた人も痛くて辛い。人間誰しも同じなのだ。誰でもそうした要素を持っているのだ。動物でさえもいじめられたり脅されたりすると、同じような反応を示す。

このように、私たち人間は、他者に対して、社会をより良くするために責任がある。

── 質問:

私がチベットにいたときには、状況が改善されているようには見受けられなかった。というより、まったく改善はなかったと思う。(スイス・ラジオ・インターナショナル)

ダライ・ラマ法王:

そんなことはない。これは私が答えなければならない別の質問になると思う。確かに、チベット問題をチベット地域に限定して考えるとそこに希望はない、と感じてしまうかもしれない。状況は悪くなる一方だからだ。ことに、中国政府の方針や、残忍で偏った考えを持つ現地の役人たちが暴力以外の手段を持とうとしないのをを見ると、そのように感じるのは当然だと思う。なかでも中国当局の、チベット人の信仰と独自の文化的遺産こそがチベットと中国の「統一」を最も妨げている、という偏見こそが、チベット問題の一番の原因になっていると思う。このような偏見に基づいて中国は、チベット人の信仰、文化を排斥しようと躍起になっているのだ。チベット問題をチベット地域内だけでとらえると、状況は絶望的、と言えるかもしれない。

しかし、視野をもっと広げてみると、状況は明るい方向へ変わっていくと思う。だからこそ、私も広い視野と限りない希望を持ちつづけているのだ。さまざまな形で寄せられるチベット支援にはいつも励まされている。

── 質問:

中国の一部でありながら純粋な自治とはどういうことか。(日本テレビ)

ダライ・ラマ法王:

1950年代、毛沢東は、チベットが中国の各州と比べユニークなものである、と述べ、チベットに対して特別な配慮をしていることを表明した。しかし、現実には、どこがユニークかというと、他の州に比べてチベットが極めて弾圧された地である、という点である。

── 質問:

中国国内で法輪功などの集団が信者も増大し頻繁に活発化していることについて。また、中国政府はこれに対し徹底的に弾圧しているようだが、これについてどうお思いか。(日本経済新聞)

ダライ・ラマ法王:

まず「法輪功」について、私は何の関わりもないから分からない。しかし、「法輪功」によって、ある人たちにはためになっていることなども聞いている。どのようになっているかは、まず調べる必要がある。この「法輪功」に関しては、中国政府は過剰な反応を示したと思う。

── 質問:

チベット以外に住む者の中には、力に訴えることを提唱する者もいる。力に訴えることでチベットを中国支配から解放することができるのか、また、法王自身、そのような人たちと連絡を取っているというのは本当なのか、お聞きしたい。(サンフランシスコ新聞)

ダライ・ラマ法王:

そのような者から連絡を受けたことはない。しかし、チベット内外に過激な意見を持つ者がいることは周知の事実である。彼らは、私の平和的な取り組み方を批判するだけではなく、なんらかの暴力的手段が必要だと唱えているようだ。

色々と意見はあるだろうが、私が訴えたいのは、第一にすべての人が納得できるような解決策を見つける必要がある、ということだ。現実には、好むと好まざるにかかわらず、人間はお互い隣り合って暮らしていかなければならない。これは、チベット人、中国人にとっても同じである。だから、将来にわたって幸せで落ち着いた生活を営みながら友好的な関係を築いていくには、自由を獲得する運動を推し進めていく一方で、人類の慈悲心を失わないよう非暴力主義を貫くことが非常に大切なのである。先に話した中国の役人に対しても、敬意と慈悲心を持ちつづけながら中国政府の行動に反対することは可能なのだ。そうすることで、私たちの目標が尊い価値を持つものになるのだと思う。目標達成のために暴力、流血沙汰を引き起こしてしまうと、尊さ、正義、といったものが失われることになる。だから、非暴力をあくまで貫くということはとても大事なのである。
さらに付け加えると、チベット問題の解決策は何よりもまずチベット人と中国人によって見出さなければならない、ということである。もちろん、諸外国の支援により、相互理解をより深めることは可能であろう。

しかし、真の解決はチベット、そして中国の双方によってなされなければならないのである。実は、中国政府が何と言おうとも、中国の知識階層、芸術家、哲学者、思想家、作家という人々からの支援は、非常に重要な位置を占めているのだ。今日に至るまで、情報が厳しく制限される中、各地からのチベットに関する情報は、知識階層や作家の間に広まり、その結果、チベット問題に関する意識が高まっている。
このようにチベット問題が知られるにつれ、共感、連帯感がそのような人々の間で育ちつつある。このことは私を非常に励ましてくれる。もちろん限られた人々の間でのことではあるが、勇気付けてくれることに変わりはない。

── 質問:

法王の「チベット自治」と中国の「チベット自治」の食い違いについてどう思われるか。(楽楽チャイナ:中国のケーブルテレビチャンネル)

ダライ・ラマ法王:

(お付きの者から中国の記者と紹介されてちょっと驚いた表情で)えっ、中国かい。それはいい!(法王の破顔一笑に会場一斉に笑い声)どこの出身かい? 上海・・・、そう。では、質問にお答えしよう。

中国の憲法では、「チベットの自治」がはっきり明記されている。しかし、実際には実行されていない。例えば、1980年代、当時の胡燿邦総書記がチベットを訪問した時、公式にこう謝罪した。
「中国はチベットに大変な額のお金を注ぎ込んだと言うが、そのお金は一体、どこに使ったというのか」と。

中国中央政府に対する提案は、次のようになるだろう。まず、チベットの真の現状を調査してほしい。公正な立場の人間がチベットに赴き、実際の状況をありのまま調査し、チベットの各地を訪問し、そこでの状況がどのようであるか調べるべきだと思う。そうしないと現地の役人の報告に基づいてすべてが同様に判断されてしまうことになる。そういう報告には先入観、誇張が含まれるのが常である。また、チベット仏教が果たす役割、そしてチベットの文化遺産についても調べてほしい。チベットの文化遺産が害をもたらすものなのか、益となるものなのか、一人間としての立場で研究し調査することは非常に重要なことだと思う。とりわけ私がとても大切であると思うのは、言論の自由と情報公開である。これらは、国家が発展し、国民が知識を増やし、意識を高めるためには欠かせないものである。しかし、厳しい制限下で部分的な情報のみが明らかにされるのはかえって危険である。もし中国政府の方針が正しいのなら、どうしてこれほど多くのことを隠す必要があるのだろう?中華人民共和国というのは偉大な国家である。私自身、中国には称賛、畏敬の念を持っている。しかし、中国だけがこの世界を占めているわけではないのだから、世界中の流れに沿った行動が求められているはずだ。

最後になるが、もしこの記者会見の模様が、中国で、(質問した中国人記者に向かって)君の、テレビ番組で放映されるようになるなら、それは私にとってこの上ない喜びとなるだろう。そのときには、私はもっとたくさんの提案をしたいと思う。ありがとう!謝謝!