ダライ・ラマ法王、離日前に在日チベット人と韓国人と会見

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2013年11月26日 (www.dalailama.com

来日日程の最終日、ダライ・ラマ法王は韓国から来日した約300人の仏教徒グループと会見した。法王は温かい挨拶を行った。

「韓国から見えた兄弟姉妹の皆さん。再びお目にかかれることを嬉しく思います。中国、韓国、ベトナム、日本は伝統的な仏教国です。無論、こうした国には仏教以外の信仰もありますが、お寺や僧院が多いですから当然のように仏教に対する関心は高いわけです」、と法王は述べられ、21世紀に入り、韓国が物質面で高度の発展を遂げたことを指摘した。

「しかし、こうした物質的発展は心の平安をもたらすでしょうか? 私には沢山のお金を持った裕福なアメリカ人の友人がいますが、こうした人々も心の平安をお金で買うことはできませんでした。心の平安については私たちの宗教にもまだ出来ることがあります。愛、慈悲、自足、自己規律といった原則を実践することは21世紀の今日も有効なのです」、と法王は述べられた。

また、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教は、どの宗教も愛と慈悲のメッセージを説いているが、こうした宗教は善意に満ちた創造神という文脈でこうしたメッセージを伝えており、信者は創造神を意識することで自身の中に愛と慈悲を育むのだと法王は述べられた。一方、サーンキヤ派の一部、ジャイナ教、仏教ではこうした創造神は存在しないと考えられている。お釈迦様は自分の心を飼いならす責任は自分の手の中にあると教えられたと述べられた。

私たちが苦しむのは、心の訓練ができていないからであり、心は麻薬や外科手術によって矯正できない。私たちに必要なのは、自分自身の内部に穏やかな心を育むことである。お釈迦様は私たちの心が乱れるのは無知のせいだとおっしゃられた。心が飼いならされていない状態は祈りによって克服できない。できるのは智慧によってだけである。心の汚れが少なくなるにつれ、仏性はより明白に表れるようになる。智慧を磨く必要があるのはそのためだ--法王はこのように述べられ、21世紀の仏教徒は、より大きな目的である瞑想を行う前に、まずお釈迦様の教えを勉強するべきだとされた。

韓国人グループは法王に多くの質問を準備していた。最初の質問は、チベットで起こっている焼身行為に関するものであり、仏教の教えに基づけば、自らの命を絶つことは殺生行為に当たるのではないかという質問だった。法王は、それはデリケートな政治問題なので多くを語りたくないとまず答えられたが、今起きていることは極めて悲しいことだと述べられた。

法王は、厳密に仏教的見地から言えば命を絶つのは悪いことに見えるが、何がプラスでマイナスかを決めるのは、単に行動そのものの性質だけではなく、目的と自分自身の動機にも依ると述べられた。

文化大革命の最中、紅衛兵によって特別に聖なる仏教の僧院が攻撃されそうになった時に起きたことを法王は引用した。善き人だった僧院長は、僧院を守るために自らの身に火を放った。こうした行為は仏法を守るのが目的ならプラスとなる可能性がある。

ある人は仏教の神々と創造神の違いについて質問した。法王は、仏教徒は世界を創造した神に対する信仰は持たないが、無色界に属する神々を認識している。こうした神々はそのカルマ(業)によって私たちのような肉体を持たないと述べられた。また、他の人は、執着は怒りより克服が難しいがどうしたらよいかと尋ねた。法王は、そこには無知も係わっていると答えられた。執着の持つ欠点が理解できでも、執着に処方箋を講じることが簡単だとは限らない。怒りを防ぐのは愛である。同様に、執着を防ぐには対象の忌むべき点について考えてみることである、と法王は述べられた。

大乗仏教の立場について尋ねられた法王は、デリーで討論会が行われた時に同じ質問が出たことを思い出すと述べられた。大乗仏教の本質を作り上げた龍樹はお釈迦様の入滅後わずか400年後の人であり、懐疑主義的な今日の欧米の学者よりずっと原始仏教に近かったと述べられた。おまけに龍樹は極めて知的な人であり、理性の基礎を巡るお釈迦様の教えに関する膨大な著作を残した。明らかなことは、大乗仏教の教義、あるいはサンスクリット語経典の伝統は、広く公衆に広められたというよりは、純粋なカルマを持った選ばれた一握りの弟子たちの集団に伝えられたものだということだ。このことは、シャーリプートラ(舎利子)とアヴァローキテシュヴァラ(観世音菩薩)が登場する般若心経を見ても明らかである。これに対し、パーリ語の教えは公衆に対するものだったと法王は述べられた。

法王は、お釈迦様は聴衆に対し、「金細工の職人が金の質を試すように私の教えをテストするように」と言われたことを引用した。

「四聖諦は仏教の根本教義ですが、サンスクリット語経典の伝統では、こうした教義が理性を通じて発展して洗練の度を加えました。三つ目の諦である苦滅諦、つまり涅槃は空の文脈で初めて理解が可能です。般若心経の「色即是空、空即是色」は、物事は独立した固有の存在ではないということを説明しています。理性を通じて試され検証されたものだからといって、大乗仏教がお釈迦様の教えではないと単純に否定するべきではありません」、と法王は述べられた。

その後、法王は日本に在住する103人のチベット人に対して短い謁見の時間を持たれた。

「私たちは歴史上、極めて困難な時期を生きています。外国で暮らしていてもチベット人の心を忘れてはなりません。私たちは、互恵的な結論に到達し、問題を解決するために中道アプローチ(MWA)を採っています。今日、中国には4億人の仏教徒がいます。その多くはチベット仏教と文化に関心を持つ知識人であり、私たちの宝でもあります。そうした人の中には私に会うためにインドを訪問した人もいて、その多くが目に涙を浮かべていました。

中国政府の中には穏健で現実的な見通しを持つ人もいれば、依然として強硬な人もいます。ますます多くの中国の知識人が私たちの主張を支持するようになっています。私たちの断固とした非暴力路線が実を結んでいることの1つの証拠です。こうした路線のおかげで多くの人々がチベット人を支援しているのであり、私は良い結果が生まれることを多いに期待しています。

法王は在日チベット人に倫理的な生活を送り、他人を騙したり裏切ったりしないようにと述べられた。チベット人は正直で信頼が置けるという点を証明し続けることの大切さを法王は説かれ、ニューヨークで同様の忠告を行ったが、その当日、1人のチベット人が喧嘩で殺人を犯したという最近の事件に触れて遺憾の意を表わされた。法王は在日チベット人に対し、チベット人が得ている良い評判を保ち、目先の目標に流されることなく、チベットの文化と価値観を広めていくようにと述べられた。

「皆さんの子供たちにチベット語の話し言葉と書き言葉の両方を学ばせることは重要です。私はカシミール地方のイスラム教徒のチベット人の若者が美しいチベット語を話すのに感心しました。チベット語を教える学校がないにもかかわらずです。こうした若者は両親と祖父母からチベット語を習うのです。一方、アメリカでは英語だけで子供に話しかけるチベット人に出会いました。

チベット人の若者の中には独立を目指した運動をしている人がいます。確かにその権利はありますが、一体、どのような独立を目指しているのかを私たちは考えなければなりません。ダライ・ラマ13世の時代に宣言された独立は包括的なものではありませんでした。一方、7世紀から9世紀にかけてのチベットが独立していたことは、私たちの歴史書のみならず、中国の記録でも証明されています。

中道アプローチを変更しなければならないと言う人もいます。だが、自由な国々に住む亡命チベット人が独立を叫べば、結果として苦しむのはチベット本土に住むチベット人です。子供たちをチベット人として教育するために尽力している人々は新たな困難に直面するでしょう。世界の大国が軒並み、中国と良い関係を保つのに苦心しなければならなくない今、私たちがどうしてそれ以外を望めるでしょう? ネルーから1956年と1959年に私が聞いたとおり、アメリカにはチベットを巡って中国と戦争する気はありません。もし独立を大きな声で叫べば私たちは目標を達成できないまま中国人の怒りを買うだけなのです。私たちはうまく機能しているモデルとして欧州共同体やインドのような連邦国を参考にするべきです。

私たちには物質面の開発と経済の進歩が必要です。「真の自治」が実現すれば、教育、言語、宗教、環境の面で自決が可能になる反面、中国に防衛と外交を任せることになります。

一日のはじめに、『生きとし生ける者が幸せであり、苦しみませんように』と祈りましょう。そこから中国人を除外してはなりません」、と法王は述べられた。

その後、法王は直接、成田国際空港に自動車で赴かれ、インド行きの飛行機に乗って帰国の途についた。今回の訪日で法王は様々な日本人の老若男女と交流を持たれ、来訪した各地では尊敬の念と笑顔で迎えられた。

 (翻訳:吉田 明子)

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