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ダライ・ラマ法王、中国人とツイッターで質疑応答

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(2010年8月2日)

2010年7月16日、ダライ・ラマ法王はインドのダラムサラにある居宅において、中国人から寄せられた質問に答えられました。これらは中国人作家の王力雄(おうりきゆう:Wang Lixiong)氏のツイッターを通じて寄せられた質問で、1558人の中国人が317件の質問を呈し、さらにこれを11705人の中国ネチズンが特に重要と思われる10件を投票で選びました。

この質疑応答の内容は2010年7月19日、ダライ・ラマ法王事務所の中国語版サイトにも掲載されました。

■質問1:
中国政府との和解の実現についてですが、現在の状況から、猊下のご存命中の実現は困難なのではないかと思われます。猊下がお亡くなりになられたら、チベット独立のイデオロギーに頑な若いチベット人の組織をコントロールできる人がいなくなってしまいます。そうなれば、 彼らがテロ行為にはしる可能性もないとはいえないのではないでしょうか。そのようなことにならないための手立てはないのでしょうか。

■ダライ・ラマ法王:
私は、自分が死んだ後も亡命チベット社会は進歩し続けていくと思っています。とりわけ教育分野は進歩していくと思います。注目すべき点は、20代から30代の若いラマ(師・グル)の数が増えていることです。亡命チベット社会の様々な学校で宗教的研鑽を積んだ、精神的・宗教的リーダーシップをとれるラマが次々と輩出されているのです。
政治においては、この10年間、私は半隠居の身にあります。重要な政治決断はすべて選挙によって選ばれた政治指導部が行なっていますし、これは将来も変わらないでしょう。

チベット青年議会のように中道政策に批判的でチベットの完全独立を要求する勢力は亡命チベット社会に存在しますし、昨今、そのような声は増しているように思われます。我々には、彼らを非難することはできません。我々はチベット問題をチベットと中国の双方を利する方法で解決すべく努力を続けてきましたが、前向きな結果が出ていないのです。
このような状況である以上、彼らの見解が亡命チベット社会で勢いを増すのは仕方のないことです。 しかしながら、我々が選択してきた非暴力の道を貫くことを99%のチベット人が望んでいることもまた極めて明らかな事実です。ですから、彼らが暴力に訴え出る心配をする必要はありません。

■質問2:
猊下は、「大(グレーター)チベット」の問題をどのように解決なさろうとしておいででしょうか。猊下がおっしゃる「大(グレーター)チベット」の自治政府が、その地域に住むチベット族以外の民族を監督下に置くことになるのでしょうか。 そうでしたら、どのように少数民族の願望に応えていかれるおつもりでしょうか。

■ダライ・ラマ法王:
「大(グレーター)チベット」という言葉は、我々の側から用いた言葉ではありません。これは中国政府の共産党中央統一戦線工作部が最初に用いた言葉です。この件について我々が主張していることは、チベット語を母国語として共有する全チベット人が、集合的経済成長のみならずチベットの文化や宗教を保護・発展させていく権利を等しく持つべきであるということです。
これについては中国政府も合意しています。弟5次西蔵工作座談会において、中国中央政府は、チベット自治区とこれ以外の四つの中国の省内のチベット自治地域に住む全チベット人に単一の政策を用いるよう勧めました。とりわけ温家宝首相については、全国人民代表大会に提出された報告書の中でこれを述べておられます。

これはじつに現実に即していると思います。そうでないなら、「(中国語で)西蔵」という言葉が述べられるときにはチベット自治区のみを指すことになってしまいます。それではいけません。チベット自治区に住んでいるチベット人は200万人そこそこで、400万人近くが近隣の中国の四つの省のチベット地域に住んでいるのです。
繰り返しますが、我々は、すべてのチベット人が同じ権利を与えられる必要がある、と主張しているのです。例をあげるなら、私はチベット自治区には属していません。私はツォゴン(青海省)の出身なのです。同様に、チベットの歴史に目を向けるなら、著名な転生ラマの多くがこれら四つのチベット地域の出身者であることがわかります。

今日でもなお、チベット亡命社会の僧院で宗教的伝統を教え、人々の尊敬を集めている師の多くはこれら四つの省の出身者であり、チベット自治区に属している人はほとんどいません。ゆえに我々は、チベットの宗教と文化を共有するすべてのチベット地域に単一の政策が適用されるべきであると主張しているのです。

我々は分離や独立を望んでいるのではありません。中華人民共和国という大きな枠組みの中で、我々独自の宗教・文化・言語を保護する自由を与えてほしいと主張しているだけなのです。
このことを中国政府と詳しく話し合う機会を得たそのときには、本土のチベット人が中心となって話し合いを進めていくべきであると私は考えています。彼らが恐怖心を抱くことなく中国政府と話し合うことができたなら、チベット問題の解決においてトラブルに直面することもないでしょう。

チベット自治区の場合は、1950年代よりも以前から中国人が住んでいました。今でこそ大勢の中国人が住んでいますが、当時はわずかな数でした。 しかし、カム地方やアムド地方、特に私が生まれた青海省の西寧にはむかしから相当な数の中国人が住んでいました。
チベットはチベット人だけのものなのだから他国民は排斥するなどとチベット人は言っていませんし、これからも決して言わないでしょう。もちろん中国人にたいしても同じです。
重要なことは、「チベット自治区」「チベット自治地域」という名前であるからには、この地域の土着民であるチベット人が人口の大多数を、非チベット人が少数を占めて然るべきだということです。それが「自治」が意図するところなのです。逆に、これらの地域にチベット人よりも中国人や異国民のほうが多く住むとなれば、「チベット自治区」「チベット自治地域」という名前が与えられている意味がなくなってします。

我々が望んでいることは、中国とチベットの人々が、何千年にもわたって築いてきた互いへの繋がりを土台にして、大家族の一員としての絆や友情を築いていくことです。 我々は、様々な民族が住まうひとつの大家族国家の一員として、中華人民共和国の全民族が平等を享受しながら繁栄していくことを望んでいるのです。

■質問3:
昨年、フランスのテレビ局が『ダライ・ラマの悪魔』というタイトルのドキュメンタリーを放映しました。このドキュメンタリーでは、シュグデンを礼拝するチベット人僧侶の、インドのチベット人居住地からの追放が描かれています。当時、僧侶たちはお店や病院のみならず彼らの僧院にも入ることができないというひどい状況だったようです。
猊下もドキュメンタリーのなかで、「シュグデンの怒りをなだめようとする僧侶は僧院から追放する」と、厳しい命令を出しておいででした。さらには、インタビューに答えている僧侶のひとりは「ダライ・ラマは信仰の自由と慈悲を説いているが、一方で、わたしたちの信仰の自由を規制し、わたしたちを僧院から追い出している」と言っています。これはいったいどういうことなのでしょうか?

■ダライ・ラマ法王:
ギャルポ・シュグデンが現れたのはダライ・ラマ5世の時代でした。ダライ・ラマ5世はドルジェ・シュグデンを「誓い破りの悪魔/悪しき願いと陰湿な祈りの結果として生まれた悪霊」とみなしておいででした。このことは、ダライ・ラマ5世の作品全集の第10巻の、初期の頃に刷られたチベット語版の中でも述べられています。 「悪しき願い/陰湿な祈り」とはつまり、ドルジェ・シュグデンを生んだ性質そのものであり、「誓い破りの悪魔/悪霊」とその行為は「ダルマと人間性を害する」ことを目的とするものです。これはドルギャル自身も彼の自伝の中で認めていることです。

むかしは、私もシュグデンの霊をなだめようとしたことがありました。しかし後にダライ・ラマ5世が残された言葉を研究していた折に思いがけず前述の文書を見つけたのです。そこで私自身もシュグデンについて一通りの調査を行なった結果、シュグデンの霊に祈りを捧げるのは良くないことであるという結論に至りました。ゆえに私は、シュグデンの霊をなだめることを完全にあきらめたわけですが、当時、シュグデンに祈りを捧げていたチベット人コミュニティに規制をかけることはありませんでした。
やがて、ガンデン僧院のジャンツェ大学でこの問題が表面化しました。ジャンツェ大学で起きた問題はギャルポ・シュグデンの霊をなだめたことが原因であることは、自分が行なった調査の過程からも極めて明らかでしたので、私は関係者に連絡を取りました。やがてこの問題が公に知られるようになると、私がニンマ派のご機嫌取りをしようとして、実際には何ら規制していないのに規制したふりをしている、という噂を流す人が現れはじめました。
そのような状況でしたから、私は公の場に出て、この悪霊を礼拝することについて事実を明らかにするとともに、私が強く礼拝に反対していることを表明しなければなりませんでした。

ドルギャルの信徒とはいえ、学校から追放された子どもはひとりもいません。これは霊性に関する、極めて本質的な問題ですから、もし僧院の中にドルギャルの崇拝者と非崇拝者がいっしょにいるとしたら、精神衛生上うまくいくはずがありません。
ドルギャルを崇拝しない者はみな私の教えを受けていますし、崇拝する者はみな彼らが教えを受けたラマとの間にトラブルや意見の不一致を抱えています。
ゆえに我々は、ドルギャルの信奉者と関わり合いを持つのは非常に厄介だと言っているのです。 これを除けば、我々はチベット人居住地から追放者を出すようなことはしていません。

みなさんには、ぜひインドへいらして南インドのチベット人居住地を訪問され、ご自身の眼で事実を確かめていただきたいと思います。ドルギャルの信奉者は彼ら独自の僧院を建て、他のチベット人と同じように暮らしています。誰も彼らにとって問題となるようなことはしていません。

つまり私が言おうとしていることは、いかなる宗教であろうとそれを信仰するかしないかは個人の自由であるということです。個人がどのように宗教を選び、信仰するかということもまた個人の自由なのです。ゆえに崇拝の対象が神であろうと悪魔であろうと、それはその人が満足のいくように選べばよいことです。

ここで問題となっている霊の信仰については不利益となることがあまりに多く、利益となることはひとつもない——と申し上げるのは私の義務です。 義務であるがゆえに私はネガティブな面を強調してきたのです。
私の意見に耳を貸すか貸さないかは、人々が自分で考えて決める問題です。この質問を提起してくださった中国人の友人であるあなたが、もしシュグデンに関心をお持ちなら、シュグデンの霊に礼拝するかしないかはあなたの自由です。

しかし、飛び込むまえにはまず適切な検証が行わなければなりません。通常、チベット仏教徒は「師を純粋な心で受け入れたうえで、師が信仰する宗教を隅々まで完全に検証しなさい」と言います。
つまり、宗教は検証を受ける必要があるということです。これについては、ナーガールジュナをはじめとする古代のナーランダー大学の学者も手本を示しています。彼らは、たとえ釈尊の言葉であってもそれが真実であることを突きとめるために検証を行ないました。『大乗経典』に説かれている四つの法義、「法四依(ほうしえ)」では、“仏法によりて人に依らざれ”と説かれています。つまり、情報を鵜呑みにせず、自分で調べて分析することが、みなさんにとっても非常に重要なのです。

■質問4:
2008年にチベットで起きた暴動についてお訊ねしますが、あのとき、多くの僧侶やチベット人市民が中国人の一般市民に攻撃の矛先を向けたのはなぜでしょうか。 私たち中国人は、猊下が対峙しておられるのは中国人の一般市民ではなく、中国政府であることを理解しておかなければならないと思います。

■ダライ・ラマ法王:
私が知る限り、2008年の抗議行動が最初に起きたのは3月10日の午後でした。これが3月11日、12日、13日の抗議デモへと続いていったのです。これら一連のデモ活動は、中国の治安部隊がデプン寺からデモ行進してきた僧侶たちの行く手を阻んだ結果として生じました。中国の治安部隊も当初からそのことは知っていました。

3月14日の朝、店舗に火が放たれ、石が投げ込まれるなどの破壊行為が発生しました。これを目撃していたある外国人ジャーナリストが、ダラムサラまで私に会いに来ました。そして、「中国の治安部隊は事態をビデオに撮っていただけで、少しも破壊行為を止めようとはしませんでした」と私に言ったのです。3月14日の事件に関する中国政府のプロパガンダは、最初の抗議行動が3月10日に起きた事実については触れていません。
さらには、中国の治安部隊は悪意のある人間を故意に何人か雇い、3月14日の朝に彼らがしたいままに悪事を働かせ、それをビデオに撮って、後に暴動の全責任をチベット人に転嫁すべく利用したという報告もあります。

3月の騒動の後、チベットからダラムサラに逃れて来たチベット人は、暴動発生当時、彼らが見たこともない複数のチベット人がラサにきていたと我々に報告しています。しかも、「ラサに来ていたそのチベット人たちが暴動の主犯であった」と報告しているのです。私は、この事件は第三者的な独立機関に調査してもらう必要があると考えています。これが第一に言っておきたいことです。

第二に言っておきたいのは、カム地方やアムド地方の僧院では伝統的習慣として、刀、槍、銃などの武器が守護尊の祀堂に置かれているということです。
中国の治安部隊は、これらの武器の使用が国家の治安を乱すものとして、強制的に武器を没収し、僧院を糾弾していると聞きました。騒動の際、怒りに駆られたチベット人のなかには、はからずも中国人の方々に迷惑をかけた人がいたかもしれません。現実にそのようなことが起きてしまったのなら、彼らに代わって、私がお詫び申し上げます。
怒りに駆られたチベット人がそのようなことをしてしまったとしても不思議ではありません。なぜなら当時、中国政府はかつてないほどのレベルでチベット人にアンチ中国という偽りの心象を植え付けようとしていたのですから。しかし、チベット人の大多数はそのようなことは決してしません。

また、中国政府の政策にたいする苦悩を表明したからといって、チベット人を糾弾することはできません。中国政府は、チベット人が彼らの宗教、文化、宗教的指導者にたいして忠実であるという理由だけでチベット人を徹底的に攻撃しています。このことで、チベットの人々は精神的に痛めつけられています。同時にこれが、チベット人が中国政府の政策を強烈に批判する理由でもあるのです。しかしながら、これを中国人にたいするチベット人の反感と取っていただいては困ります。

私が耳にしたことがすべて事実であるなら、2008年3月の騒動以後に中国の市街を訪れたチベット人はたくさんのトラブルに直面させられていることになります。ホテル、お店、レストランなど中国人が経営する場所ではチベット人客は冷遇され、中国政府代表団で唯一のチベット人メンバーは空港で身柄を拘束され、取り調べを受けたと聞いています。このような状況になってしまったことに、チベットの人々は失望しています。

■質問5:
「チベット解放」は当初から解放を装った侵略だったのでしょうか、あるいは解放するつもりが侵略になってしまったのでしょうか。

■ダライ・ラマ法王:
チャムドに侵攻した人民解放軍はチベット軍と戦い、7000人から8000人のチベット人兵士が殺されました。
当時の東チベット政府の職員であったケンチュン・トゥプテン・ドンヨ(Khenchung Thupten Dhonyoe)氏は、チャムドを制圧した中国人民解放軍の范明(ファン・ミン:Wang Qiming)将軍が「我々は兄弟国民であるのに互いを殺してしまった」と目に涙を浮かべて彼に語ったと私に話してくれました。彼の言葉はいくぶん真実であったかもしれません。

同様に、カムと中央チベット、アムドと中央チベットを結ぶ道路が建設されていたときには、彼らは洪水が起こると自分の身体を盾にして水を防いでいました。彼らは懸命に働いていました。それは真実であったと思います。その他のことについては、彼らのもともとの意図を私が語ることはできません。いちばん良いのは、歴史の専門家が政府の文書をすべて検証し、事実を明らかにすることでしょう。そしてこれがいちばん重要なことなのです。

1954年、私は中国の北京で5〜6カ月間を過ごしました。北京では、中国のほとんどの指導者と会し、毛沢東にも幾度も会いました。また、中国の様々な地域を訪れては中国共産党の指導者と会し、革命の現実的な展望と彼らが本当にこの国とこの国の労働者階級の人々のために働いているかをこの目で確かめていました。彼らの多くは私欲ではなく公共の利益のために働いていることに、私は感銘を受けました。具体的には、毛沢東も私にいくつもの約束をしてくれました。しかしながら1956年から1957年から、事態は極左的な流れへと向かっていったのです。

■質問6:
中国が今後、真の民主政体を持ったなら、中国政府とチベットとの関係はどうなると猊下はお考えですか?

■ダライ・ラマ法王:
中華人民共和国が現在抱えている問題は、対外的な問題であれ対内的な問題であれ信頼関係の欠如と疑念に起因するものであると私は考えています。この51年間、私はチベットの外で暮らしています。私には、米国、ヨーロッパ、日本、インドなどたくさんの友人がおりますし、中国もよい関係を築いていくことを望んでいることを知っています。しかしながら真の関係を築くことができないのは、互いへの信頼が欠如しているからです。これは対外的な問題であるかに見えますが、じつは中国における透明性が欠如している結果であり、透明性が欠如しているがゆえにたくさんの問題が生じているのです。

チベットの問題であろうと新絳(しんこう)の問題であろうと、中国が対外的に与えている印象とその地域に住んでいる人たちが実際に抱いている感情には明らかに大きな隔たりがあります。ですから、中国が透明性・誠意・適切な政策を得たなら、中国が抱えている多くの問題は自然に解決されるものと思っています。

チベット問題に関しては、中国政府側に透明性と誠意があってくれたらとは思いますが、かといって、我々側は分離の道を求めているわけではありません。我々には長い歴史があります。しかし、私は歴史のことを考えてはいません。
未来のことを考えるなら、物質的に遅れているチベットが中華人民共和国という枠組みの中にいられるほうがチベットの発展にとっても有益なのです。そしてこれが、我々が分離を求めていない理由です。

そしてなにより大切なことは、チベットには独自の文化、言語、宗教があるということです。今日、世界中のたくさんの学者が、仏教の中でもチベット仏教はもっとも深遠かつ外延的であると述べています。チベット語は、この深遠かつ外延的な哲学世界を表現するために最適な媒体として発達してきました。
また、サンスクリット語から翻訳されたチベット語の仏教経典は、量、質ともに秀でています。チベットの宗教と文化を維持することができたなら、中華人民共和国全体の文化を利することにもなるでしょう。概していうならば、中国も仏教国です。昨今、中国人仏教徒の数は増え続けています。我々チベット人は、この分野で確実にお役立ちできるでしょう。私は、これも双方にとって有益なことのひとつであると考えています。

■質問7:
チベットが名実伴う自治を得ることができたなら、あるいは独立を勝ち取れたなら、猊下はチベットの政治体制を民主化なさるおつもりでしょうか?さらには、どのようにして宗教と政治を分離なさるおつもりでしょうか?

■ダライ・ラマ法王:
この質問に関しては特に答えは要らないと思います。これについてもっと知りたいのであれば、インドへいらしてください。
我々が亡命下でどのようにして民主化を実行してきたか、51年間の亡命生活でどのようにして政治体制が築かれ、我々が今どのような展望を抱いているか、あなたの目で実際に見ていただきたいと思います。

私個人については、私は、「ダライ・ラマ制度が存続されるべきであるかどうかを決めるのはチベットの人民である」と1969年からずっと申し上げておりますし、これについては何ら心配していません。いちばん大切なことは、私たちがチベット独自の宗教と文化を守り、維持していくことなのです。

チベットの発展に関しては、自然環境を傷つけないことが何より大切です。チベットの自然環境は、非常に脆く、ダメージを受けやすいのです。標高が高く乾いた風が吹くチベットでは、環境がいったんダメージを受けてしまうと生体バランスの回復に途方もない年月を要します。これは特に留意していただきたい特別な問題です。アジアの大河の多くはチベット高原の氷河を主な源としています。だからこそ、チベットの環境には特別な配慮が必要なのです。

■質問8:
猊下はチベット人を統率してこられました。猊下が引退されたら、チベット人はどうなるのでしょうか?猊下の後継者となられる方は、猊下が築いてこられた非暴力と平和の精神を引き継いでチベット人を統率していくことができるのでしょうか?

■ダライ・ラマ法王:
何も変わらないと思います。 私は30年間にわたって「チベット人の宗教・政治的指導者たる者は、私がいないと思って責任を担う必要がある」と言い続けてきました。彼らはそれを実行し、経験を積んできました。5年ごとに新しい指導部が生まれていますし、来年には人民によって直接選出された新しい政治的指導者が誕生します。宗教的指導者については、それぞれの学堂のトップが責任を担っていきます。私がいようといまいと基本的には何も変わらないのです。

■質問9:
猊下は、チベットは民主化される必要があるとおっしゃっておいでです。しかし、猊下や猊下の前任者の方々がチベットを統治しておられたとき、民主体制を敷いておられたのでしょうか。そうでないなら、中国共産党政治ではなく民主体制をもってチベットを統治しなければならないとおっしゃる根拠はどこにあるのでしょうか。

■ダライ・ラマ法王:
ダライ・ラマ1世から4世までは政治に関与しておられませんでした。ダライ・ラマ5世は世俗的かつ宗教的な指導者でした。当時は、中国、インド、ロシアなどチベットの隣国にも民主体制というものはありませんでした。どこもかしこも封建社会だったのです。しかしながらチベットでは仏教の伝統が浸透しており、生きとし生けるすべてのものへの慈悲の心が育まれていました。そのような背景がありましたので、1959年の民主改革において地主が苦境に立たされたときには、たくさんの小作人が地主の命を救おうとしました。
地主の多くがインドへ亡命できたのは、小作人たちの助けがあったからおかげです。封建国家はどこも農奴制的な状況が一般的であったかもしれませんが、チベットにおける農奴(小作人)の扱いは他とは異なっていたのです。

1955年の末、チベットにおいて「民主改革」が行なわれ、まず四川から開始されました。「民主改革」がほかでもないチベットで行なわれたわけですが、チベットの時世には迎合されませんでした。しかし、そのようなことが実際にあったのです。これを検証することは大事なことです。私が言ったらといって、信じる必要はありません。ただ、事実を調べる自由を得られたなら、そのときは徹底的に調べることが大事なのです。

ダライ・ラマ13世は晩年、チベットに民主制度を導入することを考えておいででしたが、実現には至りませんでした。1952年、ラサにいたときのことですが、我々は改革委員会を設置しました。税制や世襲的借財制度などいくつもの見直しを試みましたが、実際に実現できたことはほんのわずかでした。しかしながら、チベットにいた頃から改革について考えていたからこそインドに亡命してすぐに民主制度を樹立することができたのです。

チベット本土のチベット人と亡命中のチベット人が再びひとつになれたそのときには、私はいかなる地位に就くつもりもありません。このことについては1992年に「かなりの程度の自由あるいは名実伴う自治がチベットにもたらされたそのときには、我々は祖国に帰還する」と述べた折に明言しています「チベットに帰還したそのときには、以後、いかなる地位にも就くことなく、私がダライ・ラマとして担ってきた全責任を地方政府に引き継ぐ」と私は申し上げたのです。この考えは今も同じです。私は、いかなる政治的役割にも就くつもりはありません。

■質問10:
猊下はチベットに定住している中国人とその第二世代のことをどのようにお考えでしょうか。猊下がおっしゃる「名実を伴う自治」によって彼らが周辺的な立場に追いやられる可能性はないのでしょうか。チベットにいる中国人はこのことが心配で猊下と亡命チベット政権に対立的な立場をとっていると思うのですが……。

■ダライ・ラマ法王:
チベットは自治地域です。チベット人の自治地域においてチベット人のほうが少数であっては困ります。それが回避されるなら、我々の兄弟姉妹である中国人のみなさんがどれだけ大勢定住されようと、我々は諸手を挙げて賛成します。とりわけ、チベットの宗教や文化に関心を持っておられる方々は歓迎されるでしょう。

いつも申し上げていることですが、中国のみなさんは身体の滋養となる美味しい食事を作ることができ、我々チベット人は精神の滋養となる仏教の教えを提供することができます。ですから、なんの心配もなくうまくやっていけると思います。

中国人の中には、チベット仏教は悪しき宗教でチベット人は汚らしいと言ってチベット人を軽蔑する人がいます。そのような人にとっては、彼らが汚いとする場所に住むのは意味のないことですから、きれいな場所へ戻られたらよいのです。

チベット人の大部分はチベット仏教の実践者であり、チベット仏教は人種差別について論及していません。古代のチベットでは、大僧院の僧院長の多くがモンゴル人でしたし、中国人も経典を学んでいました。様々な人種で構成されていましたが、人種差別はありませんでした。同様に、中国人のみなさんも僧院で宗教的研鑽を積まれたならば、チベットの僧院長やラマになれるかもしれません。モンゴル人であれ、中国人であれ、チベット人であれ、なんら違いはないのです。


(翻訳:小池美和)