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ダライ・ラマ法王86歳の誕生日におけるチベット亡命政権内閣の声明

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2021年7月6日

 

偉大なるダライ・ラマ14世法王は、1935年7月6日にチベットのアムド地方クンブン地域にあるタクツェルという小さな村で、お父様・チェギョン・ツェリン様とお母様・ディキ・ツェリン様のご子息としてお生まれになりました。栄光の女神パルデン・ラモの庇護のもと育ったラモ・ドゥンドゥプ様は、偉大なるダライ・ラマ法王13世の明白な転生者として認定され、5歳の時にラサに迎えられポタラ宮殿において正式に即位されました。ダライ・ラマ法王が、僧侶としての研鑽を積まれている頃、中国政府は、チベットのカム及びアムド地域へ不法に侵攻し始めました。1950年、チャムドに駐留していたチベット軍は、中国軍の追撃を受けて敗北を喫しました。その結果、チベットの政治、経済そしてチベット人一般社会は、深刻な危機に陥り、まるで油を使い果たしたランプが最後の炎を揺らしているかのようでした。このようなチベットの歴史上の重要な時期に、ダライ・ラマ法王は16歳という若さで、チベットの精神的、そして政治的リーダーシップを担うことを余儀なくされました。

1951年、中国軍による更なる侵略に対する脅威の下で、チベット人は、17か条協定を押しつけられました。それにもかかわらず、チベットでの改革に着手するというダライ・ラマ法王の試みは、中国政府により抑圧されました。

ダライ・ラマ法王は、チベットの政治的責任を背負ってからわずか数年の後の1954年に中国、1956年にはインドを公式訪問し、このアジアの二大国の指導者たちと面会されました。ダライ・ラマ法王は、共産主義の中国と民主主義のインドという2つの異なる政治体制の経験と観察に基づいて、8年間にわたって17か条協定を遵守し、中国との調和的な共存のために真剣に努力されました。しかしながら、1959年3月、ダライ・ラマ法王はラサに駐留する中国軍による不可避的な命への脅威を感じ、あとに続く約8万人のチベット人たちとインド、ネパールそしてブータンへと亡命しました。

亡命後、多くのチベット人は、当初、インドで道路建設の労働者として稼働しました。亡命当初は衣食住の面で大変苦労しましたが、ダライ・ラマ法王のビジョンと指導の下、インド政府が貸与した土地に、徐々にチベット人居留地、学校そして僧院を設立しました。こうした施設は、今日のチベット人の国民的アイデンティティを保持するのに役立っています。1960年、ダライ・ラマ法王は、チベットの3つの地域と宗教系学校の代表者で構成された、最初のチベット議会を制定することにより、ガンデンポタン(亡命政府)に多大な民主的改革をもたらしました。これは亡命中のチベットの民主主義の礎を築くとともに、長期的には、チベット国民が自ら政治や行政の機能を果たせるようにするという展望を持って行われました。

1959年、1961年そして1965年に、チベットに関する国際的なロビー活動に力を注いだ結果、国連総会は、チベットに関する3つの決議を可決しました。1963年、ダライ・ラマ法王は、将来のチベットのための憲法草案を公布されました。1967年、壊滅的な中国の文化大革命の真っただ中において、ダライ・ラマ法王は、亡命後初めてとなるタイと日本への国際訪問に乗り出されました。1973年のヨーロッパ訪問に続いて、1974年にダライ・ラマ法王は、亡命中のチベット人指導者と話し合い、中道のアプローチに基づいた、対話によるチベット問題の解決方法を模索しました。1979年、ダライ・ラマ法王が訪米中、中国は一連のリベラルな改革により、政治的混乱から一時的に開放されていました。このリベラルな改革の流れによって、鄧小平氏は交渉を要求し、20年ぶりに中国とチベットが同じテーブルにつくこととなりました。中国とチベットの交流が再開されたことで、何度かの予備的協議やチベットへの調査団派遣が行われました。また、チベット内外においてチベット人同士の再会が可能となったほか、チベット僧院の修復が強化され、文化大革命により損なわれた僧院共同体の活性化が行われました。また、短期間ではありますがチベット仏教、チベット語教育、チベットの芸術、そして伝統文化が一時的に復活しました。これらはすべて、パンチェン・ラマ10世チューキ・ギャルツェン師をはじめとするチベットの精神的指導者、学者、そして一般のチベット人によってなされた情熱的な努力の成果です。

ダライ・ラマ法王は、1987年の米国議会と1988年の欧州議会において「五項目和平プラン」「ストラスブール提案」をそれぞれ提唱し、相互に有益となる「中道のアプローチ」を通じてチベット問題を解決するという確固たる姿勢を示した結果、国際社会から大いなる尊敬と評価を得ました。こうした努力の結果、ダライ・ラマ法王は、ノーベル平和賞を受賞し、国際的なチベット支援の機運が高まりました。1991年は『国際チベット年』とされ、1997年には米国国務省で、チベット問題に関する特別調整官が任命されました。さらに、2002年、チベット政策法が米国政府によって採択されました。その2年前には、ダライ・ラマ法王の誕生日に、欧州議会で中国とチベットの対話に関する決議が可決されています。他の様々な民主主義国家は、政府や国民が一体となってチベット問題に対して強い支持と連帯を表明しています。チベット問題が、世界中のいたるところで消えることなく生き続けてきたのは、ひとえに、ダライ・ラマ法王が普遍的な道徳的価値観を推進してきたためなのです。

ダライ・ラマ法王は、国際的な世界平和の提唱者であり、道徳や異宗教間の調和を堅持する存在です。またダライ・ラマ法王は、チベット問題、特にチベットの文化や宗教の保全、さらにチベットの自然や資源の環境保存に深く関わられています。法王は、認識論、哲学、瞑想そして世俗的倫理などの古代インドの叡智の再生を含む生涯における4つの主要なコミットメントの一環として、300の異なる機会で60か国を訪問され、大統領、首相、主席大臣、裁判官、政党指導者、そして異なる伝統的宗教指導者を含む490名以上の世界の指導者と面会されました。ダライ・ラマ法王はまた、60以上の著名な大学や研究機関においてスピーチを行い、米国だけでも50の名誉学位を含む140以上の賞を授与されています。このほかダライ・ラマ法王は、ノーベル平和賞、国連環境賞、米国議会名誉黄金勲章、テンプルトン賞などを含む150以上の世界的な賞も受賞しています。

全てのチベット仏教僧院に対する公平な配慮とナーランダ僧院の伝統を再生させるための取組みの一環として、ダライ・ラマ法王は、宗教上の教えを伝授するために毎年ブッダガヤやその他のチベット仏教僧院を訪問されました。ダライ・ラマ法王はまた、34カーラチャクラの教えを授与され、そして、1960年から2020年の間に、チベット仏教のすべての学校から少なくとも1,337の転生者を認定しています。ダライ・ラマ法王はまた、少なくとも4,203の修練者の誓願と16,126のチベット仏教僧の任職式における誓願を執行されています。チベット仏教を現代科学に適応させるために、ダライ・ラマ法王は多くの科学者や哲学者と議論を交わし、全ての人の利益のために尽力されてきました。また、ダライ・ラマ法王は、異教徒間の対話にも着手され、現在、チベットの僧院で実践されている科学教育を、チベットの僧院学校でも行う必要があると助言しています。ダライ・ラマ法王は、また、共通のチベット仏教文化を共有するヒマラヤ地域の人々のみならず、東南アジアやモンゴルの仏教徒たちからも非常に敬愛されています。チベット仏教の各宗派の精神的指導者に深く根差した調和と結束、そしてチベット人の間にある民族的アイデンティティに対する強い信念も、古代チベット帝国が崩壊して以来前例がありません。こうした事実は、ダライ・ラマ法王のチベットにおける、先見の明のある指導者としての証と言えます。

亡命チベット人社会では、ダライ・ラマ法王から教えを授かっていない人はほとんどいません。ダライ・ラマ法王は、ほとんどすべてのチベット人にとって根本的な教師であり、門弟として私たちは、教えの本質を理解して実践し、ダライ・ラマ法王によりもたらされる指導と祝福を守らなければなりません。

亡命チベット人の地域社会の教育水準や経済状況は、亡命の初期段階からすれば相当に改善されています。チベット人は、今では、相対的には自給自足できていると言えます。これは、ダライ・ラマ法王の60年間にわたる多大な努力と資金を調達する取り組みの成果であり、こうした取り組みは、インドや米国などの国々のみならず国際援助団体と直接、あるいは中央チベット政権を通じて行われてきました。チベット人民は、ダライ・ラマ法王の慈しみの心をただ認識するのではなく、記憶にとどめておかなければなりません。しかしながら、見当違いをしている人の中には、感謝の気持ちを表す代わりに、ダライ・ラマ法王に対するいわれのない誹謗中傷に終始する人もいます。以前に何度も述べましたが、私たちは、断固としてこうした課題に対して、しっかりとそして効果的に立ち向っていきます。また、これらの悪行や願望と平和的に戦うために、2つの国家の神託とチベットの高潔な守護神に熱烈な祈りが捧げられます。

ダライ・ラマ法王は、現代における最も優れた先達のお一人であり、中国とチベットの歴史を肯定的な方向に向け直すことができる数少ない人物です。ですから中国政府は、ダライ・ラマ法王が中国とチベット間の紛争を解決するための鍵であることを認識すべきです。チベット人と中国人が平和的に共存可能な調和のとれた環境を培うために、相互にとって有益な中道のアプローチによってもたらされる機会を活用すべきです。従って、私たちは、いかなる前提条件を設けることなく、チベットと中国にダライ・ラマ法王を招待するよう、真剣に中国政府に対して訴えていきます。

ダライ・ラマ法王は60年以上にわたり、民主的進化の4つの段階を経て、チベットの3つの地域の代表と異なるチベットの宗教的伝統で構成される政権を確立するために、たゆまぬ努力をされてきました。政権はすべての地域と宗教的伝統の利益のためのものであり、効果的で効率的な行政のためには、個々人よりも法に基づいた統治システムが必要です。法の支配は、公正で公平な社会を育む前提条件です。先延ばししたり、妥協したりして法の支配から逸脱することは、民主主義の基本的な信条に反するのみならず、有意義な民主主義に反してしまいます。政治的立場や理念に関する意見の相違に直面した場合、亡命チベット人憲章から解決策を見出すべきです。亡命チベット人憲章は、チベット民主主義の生命線であり、平等と正義が存在しなければ、そのような民主主義は長期的に維持することはできません。ですから、全ての人にこうした問題に対して、真剣に注意を払うことを強くお勧めします。

闘争に関して言えば、共通の対抗者を認識して、建設的な議論を行うことで相違を解決していく必要があります。私たちの総合力は、亡命チベット人の義務的、そして歴史的責任とも言える共通の目的を果たす方向に向けられるべきです。亡命チベット人地域社会の現状は、経済的状況によるものではなく政治的境遇による成果なのです。私たちは、単なる生活者ではありません。大義のために戦う責任を負っているのです。協力を強固にすることは、チベットの政治的運動を強化する基本的な原理です。いかなる事情や状況下にあっても、過去の誤りに陥った状況にとどまらずに、法的な規定に基づいて逆行することなく前進する必要があるのです。

チベット亡命政権内閣としては、亡命チベット人憲章に深く根ざした信念と信仰そして、民主主義の3本柱の中の抑制と均衡の原則により、充実した機能を履行して目的を果たしてまいります。ダライ・ラマ法王は、人々の生活の向上、特にチベット人の福祉の向上のためにすべての生涯を捧げてこられました。従って、チベット人は、ダライ・ラマ法王の深遠なる教えを学び、そして実践すべきであり、一方で、法王が懸念を示すようないかなる活動にも携わることを控えるべきなのです。また、ソーシャルメディア上の不必要な言い争いや党派による偏狭な敵対行為に加わるのを慎むべきです。

現在の世界的な政治情勢は、チベット問題を強調する絶好の機会となっています。従って、チベット人の団結強化を図るためにも、心の中でダライ・ラマ法王の祝福とともにあるようにすべきです。こうしたことは、この誕生日におけるダライ・ラマ法王への私たちからの最高の贈り物であり、全ての人が同じようにされることをお勧めいたします。

最後に、ダライ・ラマ法王が、幾劫にもわたって生を得られますように。生ある者と死にゆく者の意志の願いのとおり、ダライ・ラマ法王が、一日も早くチベットを訪れる日が来ますように。そして、中国とチベット間の紛争が可能な限り早く解決され、一刻も早くチベット内外のチベット人が再会できる道が開かれますように。

チベット亡命政権内閣
2021年7月6日

(翻訳:仁恕)