ダライ・ラマ法王2009年来日レポート:6日目

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2009年11月 チベットハウスジャパン

2009年11月5日:沖縄訪問レポート


法王は日本滞在6日目の朝、海の前でゆらめく永遠の火の前に立った。周囲には一連の壁が光を反射して立ち、第二次世界大戦中、この島で命を落とした24万人の名前が刻まれていた。その日、法王は何度も、アメリカ人やイギリス人の兵士の名が日本人とともに壁に刻まれていることを称賛した。なぜなら、彼らもまた、日本人と同じように苦しんだ一人の人間だったからだ。

沖縄平和祈念公園に集まった聴衆の輪の前で、法王はこう語った。
「人間の歴史の中には、利害の不一致は暴力や戦争によって解決できるという信念のようなものがありました。しかし20世紀の後半、ベルリンの壁は、暴力ではなく民衆の平和的運動によって崩壊しました」
。それに、暴力による方法は、常に予測できない結果を招くものである。法王はさらに、「日本は、核爆弾による苦しみを受けた唯一の国として、過去の大きな苦しみを踏まえ、平和運動の先頭に立つべきです」と語った。

その後、沖縄平和祈念堂において、世界平和祈念の象徴である大きな像の前で、5名のチベット仏教僧(1人は尼僧)と共に祈祷を行った。「他人を助ければ助けるほど、私たちは幸せになります。自分自身のことを考えれば考えるほど、苦しみは増すのです」。祈念堂に集まった人々への短いスピーチのなかで、法王は語った。

ホテルに戻ると、沖縄テレビとの長いインタビューを行った。いかに「物質的に億万長者になっても、内面的には貧しい」ということがあり得るかについて語り、沖縄へのメッセージを求められると、
「十分に物質的便利さを享受している時は、より内面的価値に注意を向けなければなりません」と語った。

主催者とのホテルでの昼食の後、法王は那覇市内の沖縄武道館へ向かった。そこではモンゴル人横綱と面会し、黄色のスカーフを捧げられた。満場の聴衆はとても歓迎的で、一言ごとに熱狂的な拍手をおくるほどであった。法王は機嫌の良い声で(「英語を話せる人は?」との質問にかなりの手が挙がったのを見ると、英語で)、「平和と慈悲の心」について講演を始めた。
「16歳のとき、私は自由を失いました。24歳で国を失いました。この50年、私は亡命者として生活してきました。そしてこの間、多くの悲しいニュースが私の人生に起こりました。けれど、この50年は人生の中で最高の時でした。様々な人々と会う多くの機会を得ました。異なった伝統、異なった分野の人々、その中には科学者、ビジネスマン、指導者、政治家、一般の人々、物乞いさえいました」
。法王はこれらの経験から、苦しみを乗り越えて幸せな生活を手に入れたいという願いにおいて、我々がいかに同じ人類であるかを理解するに至ったと語った。

慈悲の心は、宗教的生活を送ることとは関係がない、と法王は強調した。実は、宗教よりもっと基本的で本質的なものなのである。
「宗教がなくても、善人にはなれます。けれど、慈悲の心がなければ、善人にはなれません」。法王はこう続けた。
「感情は、外的物質と同様に時には役立ちますが、時には非常に害にもなります。ですから、外的物質と同様に、慎重に扱わなければなりません。良い感情を増し、悪い感情を取り除くようにするのです。科学者たちは、平和的で慈悲に満ちた心は、身体にも良い影響があるということを発見しています。しかし、慈悲は憐れみとは違います。それは、敬意から来る心からの気づかいなのです」。それから思いを込めて、慈悲は他人のためになる奉仕であるばかりでなく、自分のためにもなる、と語った。それは自らをより幸せにし、満ち足りた気持ちにさせる。だから、我々は思いやりを学ばなければならないのだ。

講演の終わりに、法王は次のように語った。千年前、物質的世界について教えるために教育機関がつくられ、倫理を教えるのは教会や家族だった。
「しかし現在、教会の影響力は弱まり、家族というシステムは崩壊しつつあります。誰も倫理を教えようとはしません。ですから、心や思いやりについて教えられるのは教育機関だけなのです」

法王が会場からの質問を促すと、ホールの前方に、若い聴衆を中心に長い列ができた。法王がそれぞれの質問に答える間、聴衆は静かに座って動かなかった(沖縄の著名人の多くは前列に座っていた)。1人の若い女性が、夢が打ち砕かれた時はどうすれば良いかとたずねると、法王は
「どんな計画に取り組む時も、目標を分析しなければなりません。時に、始めから目標が現実的でないことがあります。それでは、達成するのは難しいでしょう」と語った。我々は「現実的な願望」を持つよう、色々な側面から調べなくてはならないのだ。また、子供との関係に悩む他の女性からの質問に答えて、小さなくい違いはあるだろうが、広い視野で見れば、それはそんなに深刻なことではないと分かる。全体的には、他人と協調しているのだ、と語った。法王は、沖縄の受けてきたあらゆる苦しみや、米軍基地との難しい関係を理解した上で、原爆を落としたアメリカを許す日本の寛容さと、アメリカの指導者を快く迎える今日のドイツに対する称賛を、あらためて強調した。そしてもう一度、沖縄平和記念公園について、かつての敵国の兵士を一緒にした心の広さに言及した。

法王はこう結んだ。
「自身の国や国民性への愛を持つのは良いことです。しかし、現実的であらねばなりません。極端で過激な愛国心は良いものではありません。我々は、全世界を”私たち”として考えるべき時がきています。」ある意味、法王は彼自身も今や沖縄の社会の一部であり、その問題は自身の問題であるとし、沖縄の人々もチベット人の、さらには人類の一部だと言っていたのかもしれない。法王が話し終わると、聴衆は立ち上がり、ある者は口笛を吹き、ある者は賛同の叫びを上げた。日本の南端の島にも、大きな一体感への種が撒かれたようだった。沖縄は世界の一部であり、世界は沖縄の一部であると、法王はその日、何度も聴衆に語った。許すことは、自身に向ける優しさの一つの形と言ってもよいのである。


(訳:熊谷惠雲)

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