ダライ・ラマ法王

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ダライ・ラマは世界をめざす

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– 中国と戦うチベットの政治指導者から 救いの輪を世界に広める仏教の「親善大使」へ生き仏が自らに課した新たな使命とは –


(ニューズウィーク日本版 1999年9月8日号 )

インド北部の町ダラムサラの山道のはずれに、その黄色い小さな寺院はある。壁画に描かれたブッダは、ヒマラヤ山脈の向こうにあるチベットを見つめている。
今は夜明け。寺院の向かいに立つ建物では、ダライ・ラマがやがて訪れる死と転生に思いをこらしながら瞑想にふけっている。
寺院と200人の僧侶が寝泊まりする僧院、そしてダライ・ラマが暮らす黄色い平屋。植民地時代、イギリス軍の兵舎があった場所に建てられたそれらの施設は、いかにも簡素な仮住まいだ。

過去40年間、ここはチベット族の事実上の亡命政府の拠点として機能してきた。だが中国政府が許しさえすれば、ダライ・ラマは明日にでもこの「リトルラサ」をたたんで、チベット自治区の区都ラサに帰るだろう。

チベット仏教では、現世の姿は仮のものであり、人は解脱するまで輪廻転生を繰り返すとされる。だがダライ・ラマは、いわば現世における解脱——政治的役割からの解放を願っている。ダライ・ラマ14世の立場を捨て、1僧侶のテンジン・ギャツォに戻りたいと。

「私はもう64歳だ。自由に動けるのはあと15年くらいだろう。」

と、彼は言う。

「これからは自分の知名度や人気を生かし、人道的な活動や他の宗教との協調の道を探ることにエネルギーを注ぎたい。ダライ・ラマであり続けるより、そのほうが賢明だ。」

実際、1989年にノーベル平和賞を受賞して以来、テンジン・ギャツォは仏教全体のスポークスマンとして活躍してきた。とくに欧米の人々にとっては、彼はまさに「仏教の顔」だ。その影響力が及ぶ範囲は、チベット仏教の信者600万人にとどまらない。

今年に入ってからも、エルサレムを訪問したり、ロンドンやニューヨークで法話を行ったりしてきた。近著『アート・オブ・ハピネス』は、30週間以上もニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーリストに名を連ねている。

人を包み込む笑顔、豪快な笑い、謙虚な態度、公平で寛大な姿勢。ダライ・ラマは、世界の宗教指導者のなかでも最も温厚で好感を与える人物とみられている。そんな彼が、自らの知識と経験を生かして、人類がかかえる問題にじかに立ち向かいたいと望んでいる。

一介の僧侶に戻りたい

だが、ダライ・ラマの称号を捨て一介の僧侶となった彼を、人々は相手にするだろうか。そう聞くと、彼はこう言って笑った。

「私はいつだって一介の僧侶だ。夢の中で暴力を振るいたくなったり女性と遊びたくなったときは、『私は僧侶だ』と自分を戒める。『私はダライ・ラマだ』と戒めることはない。ダライ・ラマの称号は、それほど重要ではない。」

だが中国のチベット支配が続くかぎり、彼は夢の中でさえ、チベット仏教の最高指導者という地位を手放さないだろう。彼が率いる亡命政府の「憲法」は、民主的な自治政府の樹立を求めている。

チベットの政治的、文化的な自治を認めるなら、帰国後ただちに住民投票で「ダライ・ラマ制度」を存続することの是非を問う。彼は中国政府に対し、そう主張している。チベットの人々が民主主義を選ぶなら、350年の宗教的な統治に終止符を打ち、自分は1市民になるというのだ。

「ダライ・ラマ制度を永遠に存続させたいとは思っていない。」

と、彼は言う。

「ただし、それを決めるのはチベットの人々だ。」

中国政府は、輪廻転生を政治的に利用する腹づもりらしい。ダライ・ラマがチベット仏教第2の指導者パンチェン・ラマの生まれ変わりと認めた少年を監視下におき、別の少年をその地位に据えたのも、そうした動きの一環だ。

中国政府は、次のダライ・ラマはチベットで生まれるはずだとも主張している。そうなれば、ダライ・ラマの後継者は彼らの支配下におかれることになる。

ダライ・ラマも黙ってはいない。

「私が亡命中に死んだら、次のダライ・ラマはチベットの外で生まれ、チベットの人々によって私の後継者に選ばれるだろう。」

と、彼は語った。

「前世で着手して、やり遂げられなかったことを実現するために転生するのだから。」

中国側はこうした発言を取り上げ、ダライ・ラマは「青い目をした欧米人」に生まれ変わりたいらしいなどと嘲笑している。

だが本人は、

「その可能性はある」

と一笑に付す。

「次のダライ・ラマはインド人かもしれないし、ヨーロッパ人かアフリカ人かもしれない。ひょっとすると、女性かもしれない。姿形は関係ない。」

欧米人の「誤解」を正す

外では、チベットからやって来た年配の女性信者が、ダライ・ラマの住まいの周りで五体投地をしながら祈っていた。彼女たちにとって、ダライ・ラマはブッダその人であり、菩薩の化身なのだ。
「その意味でも、チベットの人々はあなたを1市民などと思わないでしょう。」
と、記者は言った。チベット仏教の信者にとって、前世の業を背負って生まれ変わるのはむしろ恐ろしいことだ。大衆を救うため、あえて解脱をせずに転生を繰り返すダライ・ラマは、彼らに希望を与える存在なのだ。

チベット仏教の教えによれば、菩薩であるダライ・ラマは、いつどこに生まれ変わるかを自分で決める能力をもつとされる。
だがテンジン・ギャツォは、

「私にはまだできない。」

と言う。毎日明け方から瞑想をする習慣を守っているのも

「修行が足りないからだ。」

と、彼は謙遜する。

「私は一介の僧侶にすぎないんだ。」

1人のラマ(高僧)として、彼もまたチベット仏教を広める任務をもつ。少年時代に17人の導師の指導を受けた彼は、ダルマ(教えや戒律)がなおざりにされる現状に危機感をもっている。

ダライ・ラマのみるところ、チベット仏教を信奉する欧米人の多くは、瞑想を修行としてとらえていない。

「瞑想の目的は、煩悩を捨てて心を整え、悟りを開くことだ」

と彼は主張する。
彼は自分が道徳的な問題に寛大な姿勢を取ってきたために、ニューエイジかぶれの欧米人の教祖的存在に仕立てられてきたと自覚している。そのせいか最近の説法では、ローマ法王と同様、人工妊娠中絶は罪であると宣言し、避妊や安楽死を批判している。

「キリスト教を見習え」

また、同性愛者は人間としての尊厳と権利をもつとしながらも、同性愛行為そのものは仏教の戒律に反すると述べている。そのため97年にサンフランシスコで説法を行った際には、ゲイの仏教徒から突き上げられる一幕もあった。

一介の僧侶としてのテンジン・ギャツォは、自らの名声に戸惑っているようだ。この40年間に、「リトルラサ」は彼と対話しようとする世界中のアーティストや宗教家が訪れるメッカとなった。

だが、ダライ・ラマにとってここはあくまで仮住まいの地であり、聖地ではありえない。歴代のダライ・ラマで、チベットから遠く離れたのは彼が初めてなのだ。

それゆえ彼は自らの役割を世界的なものととらえ、他宗教との対話を精力的に進めている。カトリックの修道僧に仏教の立場から福音を論じたかと思えば、ユダヤ教の神秘主義者と秘儀について語り合う。チベット仏教の僧侶には、「キリスト教の兄弟姉妹」を見習って慈悲の心を社会奉仕の形で実践しなさい、と呼びかけている。

聖母マリアにゆかりのあるフランスのルルドや、インドの聖都バラナシのヒンドゥー教寺院を訪れたこともある。いずれは、非イスラム教徒に門戸を閉ざしているメッカにももうでたいと考えている。

他の宗教の神々を理解しようとこれほど努力している宗教指導者はいない。仏教は素晴らしいスポークスマンをもったものだ。


インタビュアー : ケネス・ウッドワード