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ゲンドゥン・チューキ・ニマに関する国際起訴

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複数の国の人権団体が、ゲンドゥン・チューキ・ニマの解放と安否確認を繰り返し求めているほか、世界の多くの政府が彼の拘束に関する声明を発表している。しかし、過去25年間にわたり、誰一人として彼に面会を許されていない。彼が拉致された直後から、一連の国際起訴が行われている
  1. 1. 1995年5月17日、米国国務省は、ダライ・ラマ法王が認定したパンチェン・ラマを中国が拒否したことに反応を示し、チベット仏教徒の宗教的信条と慣習を尊重する中国政府の取り組みに対し、疑問を呈した。
  2. 1995年11月30日、オーストラリア上院でボーン上院議員が決議案を提出した。ダライ・ラマ法王によるパンチェン・ラマの認定を覆そうとする中国の行動に遺憾の意を示し、ダライ・ラマ法王が認定したパンチェン・ラマを支持することでチベット人の意志を尊重するよう中国に要請するものだった。
  3. 1995年12月13日、米国上院で合同決議案が提出された。チベットにおけるパンチェン・ラマの転生者の認定は常にダライ・ラマ法王の権限の範囲内であるとし、米国政府が中国の政府にチベット人の意志を尊重するよう働きかけ、ダライ・ラマ法王が認定したパンチェン・ラマを支持するよう求めるものだった。
  4. 1995年12月14日、欧州議会は、中国がダライ・ラマ法王によるパンチェン・ラマの転生者認定を拒否しようとしていること、チベット人の宗教的伝統を無視して、常に純粋に宗教的であった問題を政治化しようとしていることに言及した決議案を可決した。これにより、チベットの宗教問題への中国の介入と、中国当局による転生者の強制指名を非難した。また、EUの外交官とゲンドゥン・チューキ・ニマとその両親との面会の許可を中国に要求するものだった。
  5. 1995年12月1日、フランス国会のチベット問題に関する研究会、国民議会、国会チベット友好協会は、中国当局によるパンチェン・ラマの発表を非難した。
  6. 1996年1月15日、チベットのための全党インド議会フォーラムは、中国政府がチベット人に対して別のパンチェン・ラマを認定したことを受け、プレスリリースにおいて遺憾と懸念を表明した。同フォーラムはインド政府に対し、幼いパンチェン・ラマの安否に関する問題を中国政府の最高レベルと交渉することを要請した。
  7. 1996年1月15日、チベット国際議員委員会はプレスリリースで、ゲンドゥン・チューキ・ニマの安否についての懸念を表明した。同委員会は、ゲンドゥン・チューキ・ニマに何かが起こった場合には中国政府に責任があるとした。
  8. 1996年1月18日、アムネスティ・インターナショナルは、行方不明のパンチェン・ラマに関する懸念を表明した。同組織は、「6歳のチベット人の少年とその家族が自宅から行方不明となり8か月が経過し、当局の管理下にある可能性があることを深く懸念している」と述べた。
  9. 1997年、欧米2団体のチベットへの代表団は、パンチェン・ラマ11世について矛盾する情報を得た。オーストリア代表団は、少年がラリ郡(彼の出身地)にいると伝えられ、米国代表団は少年が北京にいると伝えられた。
  10. 1997年4月23日から24日、チベットに関する第3回世界議会議員会議がワシントンD.C.で開催された。同会議では、宗教的プロセスであるパンチェン・ラマの認定への中国の干渉とゲンドゥン・チューキ・ニマの拘束に対する遺憾の意が示された。
  11. 1998年9月17日、両院一致決議案(S. Con. Res. 103)が米国議会で可決された。決議は中国に対し、ゲンドゥン・チューキ・ニマを解放し、干渉を受けることなく伝統に従って宗教的学習を行えるよう要求するものだった。
  12. 2001年2月17日から18日、代表なき国家民族機構(UNPO)はエストニアのタリンにおいて第6回総会を開催した。 UNPOは、ゲンドゥン・チューキ・ニマを含む政治犯とされる者の拘束に深い懸念を表明し、中国政府に対し、前提条件を設けずにダライ・ラマ法王との交渉を開始するよう求めた。
  13. 2000年10月、イギリス当局がパンチェン・ラマの問題を提起すると、少年は元気に学校に通い、両親は国際メディアが少年の日常生活に介入することを望まないと伝えられた。パンチェン・ラマ11世とされる2枚の写真が提示されたが、写真を持ち帰ることは許可されなかった。
  14. 2001年8月、ラサを訪問したポーランド議会代表団は、6週間以内にパンチェン・ラマ11世の写真の提示を約束されたが、後に、両親が外部からの干渉を望んでいないと伝えられた。2001年10月と2002年3月にもそれぞれオーストラリアとヨーロッパの議員代表団がパンチェン・ラマの所在について尋ねたが、両親が日常生活への干渉を望まないと伝えられた。
  15. 2002年1月23日、米国は2003会計年度の外交承認法を制定した。同法の第621条チベットの宗教的迫害に基づき、在中国米国大使に、パンチェン・ラマ11世と面会してその所在と安否を確認し、拘束から解放させ、干渉を受けることなく伝統に従って宗教的学習を行えるよう要求した。
  16. 2002年10月、米国下院は決議案H. Res. 410を可決した。クリストファー・スミス下院議員が5月4日に提示したこの決議案は、パンチェン・ラマの解放を求めるものだった。決議案には次のように記されている。「…ゲンドゥン・チューキ・ニマは、ダライ・ラマによってパンチェン・ラマとして認定された直後、1995年5月17日、6歳で中国当局によって自宅から連れ去られた。パンチェン・ラマの強制失踪は、中華人民共和国が加盟する国際人権規約に定められた基本的自由に違反する。この規約には、子どもの権利条約も含まれる。」 「……江沢民国家主席は、パンチェン・ラマに対する議会の懸念を認識すべきである…」「…中華人民共和国政府は、(A)パンチェン・ラマを解放し、彼がチベットのタシ・ルンポ僧院で伝統的な役割を執行できるようにすべきである…」
  17. 2005年6月9日、ゲンドゥン・チューキ・ニマの失踪から10年、信仰や宗教の自由に関する特別報告者は、次の通り発信した。当時6歳だったゲンドゥン・チューキ・ニマは、ダライ・ラマ法王により転生パンチェン・ラマ11世に認定された3日後の1995年5月17日、チベットのラリから両親とともに消息を絶った。彼らの所在はわかっていない。特別報告者はまた、「独自の儀式に従って聖職者を決定する権利を有しながら宗教指導者を奪われたチベット仏教徒の信仰の自由に対する重大な干渉」の懸念を表明した。
  18. 2005年9月7日、中国政府は特別報告官の発信に反応した。その回答として、「ゲンドゥン・チューキ・ニマはパンチェン・ラマではなく、普通の子供である。彼は健康で、他の子供と同じく普通の生活を送り、優れた文化教育を受け、中学校に通っている。彼と家族はいかなる干渉も望まない」と述べた。特別報告者は、中国政府がゲンドゥン・チューキ・ニマに関して提供した情報に言及したが、この情報を独立した専門家が確認することはまだ不可能であることに懸念を表明し、独立した専門家が彼を訪問して彼と両親の安否確認を許可されるべきだと述べた。
  19. 2005年11月19日、スコットランドのエジンバラで第4回チベットに関する世界議会議員会議が開催された。この会議では、中国が政治犯、特にパンチェン・ラマ11世であるゲンドゥン・チューキ・ニマの解放を拒否したことを非難し、パンチェン・ラマの解放を要求した。
  20. 2006年4月6日、ニューヨークを本拠地とするヒューマンライツ・ウォッチは、当時の米国大統領ジョージ・W・ブッシュに、2006年4月20日にワシントンDCで行われる当時の中国の胡錦濤国家主席との首脳会談の中でパンチェン・ラマ問題を提起するよう要請した。ヒューマンライツ・ウォッチは、次のように記している。「中国政府は未成年者の宗教教育を制限しないと公に主張しているが、そのような制限(法律上または実際にあるかどうかにかかわらず)は一部の地域で現在も存在する」「…10年前、中国政府はチベット人からパンチェン・ラマを選択する権利を奪い、ダライ・ラマが認定した幼いパンチェン・ラマとその家族を拘束した。彼らの所在は不明のままである。2005年、中国政府はパンチェン・ラマについて『チベット仏教最高位の人物』と言及したが、この言葉はそれまでダライ・ラマ以外の誰にも与えられたことはない」 ヒューマンライツ・ウォッチは米国大統領に対し、胡主席に、ダライ・ラマが認定したパンチェン・ラマに子どもの権利委員会のメンバーが連絡を取る許可を得るよう要請した。
  21. 2007年4月25日、米国国際信教の自由委員会の元委員長フェリーチェ・D・ゲールは、「チベットと中国における宗教の自由」についての人権議員連盟のブリーフィングの中で声明を発表した。彼女は、「私はパンチェン・ラマであるゲンドゥン・チューキ・ニマの事件を取り上げ、議会のメンバー、政治家、外交官、NGO、一般の人々など非常に多くの人々から要求があるにもかかわらず、誰一人として彼やその家族に会えていないのか尋ねた」 「…米国とその同盟各国は、パンチェン・ラマが独立した国際的なオブザーバーと自由に面会することを中国が許可するよう、再度主張しなければならない」
  22. 2008年11月3日から21日、国連拷問禁止委員会(CAT)は、第41回会議をジュネーブで開催した。中国に関する結論の所見において、委員会はチベット人を含む中国の民族的、民族的または宗教的少数派に対する懸念を提起した。委員会は、中国は強制失踪を禁止および/または防止し、ゲンドゥン・チューキ・ニマを含む行方不明者の安否を明らかにするために必要なすべての措置を実行するべきである、この慣習はそれ自体が条約の違反となる、と述べた。
  23. 2009年3月11日、米国議会は、ダライ・ラマ法王が亡命を余儀なくされ、チベット問題に関する平和的な解決策を求めてから50周年を迎えるチベット人の窮状を認識した決議案H. Res. 226 を採択した。この決議は、パンチェン・ラマ11世ゲンドゥン・チューキ・ニマの失踪の問題を再認識した。
  24. 2011年4月8日、国連の専門家グループが中国で発生したとされる強制失踪について深い懸念を表明し、関係国の当局に強制的に失踪したすべての人々を解放するよう求めた。ジュネーブで行われた記者会見の中でワーキンググループは、「受け取った申し立てによると、中国では強制失踪のパターンがあり、反抗の疑いのある人々は極秘の拘束施設に連行され、多くの場合は拷問、脅迫された後、解放されるか、「軽度の拘束」を受け、外界との接触を禁止される」とされている。ワーキンググループはまた、パンチェン・ラマ11世の事件について懸念を表明し、「中国当局は彼を連行したと認めているが、彼の安否や所在についての情報公開を拒否し続けたため、強制失踪と判断された。国連拷問委員会、国連子どもの権利委員会、信教や信仰の自由に関する特別報告者など、人権団体の多くは、彼の所在を明らかにするよう求めたが、実現されていない」と伝えている。専門家団体はまた、中国は最高基準の人権基準を遵守する義務があり、国連の特別な手続き、特にワーキンググループに全面的に協力すべきであると表明した。
  25. 2012年5月、国際被抑圧民族協会は「チベットにおける人権危機:ヨーロッパは行動しなければならない!」と題する報告書を発表した。この報告書はチベットにおける様々な人権問題に焦点をあて、強制失踪に関する国連作業部会から引用し、行方不明のパンチェン・ラマの安否についての懸念を提起し、逮捕されたチベット人たちの強制失踪は2008年のチベット蜂起に続いて大きな懸念となったとしている。この報告書は、ヨーロッパ各国政府および欧州連合の加盟国に対し、ゲンドゥン・チューキ・ニマの解放を求めるよう提唱した。
  26. 2012年6月、欧州議会はチベットの人権状況に関する決議を可決した。決議は、パンチェン・ラマ11世の安否と所在を明らかにするよう中国当局に求めることを繰り返し表明するものだった。
  27. 2013年9月、国際人権連盟とチベットのための国際キャンペーンは、チベット仏教に対する北京の弾圧に関する報告を発表した。報告書はパンチェン・ラマの問題を提起し、国家による拘束からの解放を求めた。報告書はまた、中国政府にパンチェン・ラマが宗教指導者としての正当な地位を引き継ぐために必要な宗教教育を受けられることを許可するよう求めた。
  28. 2013年10月29日、国連児童の権利委員会は、2013年9月16日から10月4日まで開催された第64回会期中に採択された中国の第3と第4の定期報告について結論をまとめた。委員会は、「…1995年に6歳で姿を消したゲンドゥン・チューキ・ニマについて、中国共産党は多少の情報を提供しているものの、独立した専門家の訪問および所在の確認を許可していないという状況である」とした。委員会は、中国が年齢にかかわらずチベット人の子供が宗教活動に参加したり、宗教教育を受けたりすることを禁止するすべての措置と制限を廃止し、独立した専門家がゲンドゥン・チューキ・ニマを訪問し、生活状況を確認することを直ちに認めるべきであると提唱した。
  29. 2013年の米国国際信教の自由委員会(USCIRF)の年次報告には、信仰およびその他の活動のために拘束された個人として、ゲンドゥン・チューキ・ニマを挙げている。また、中国政府は若いゲンドゥン・チューキ・ニマへの取り次ぎを繰り返し求める国際的な要求を拒否し続けているとしている。また報告書では、「中国のチベット仏教地域における宗教の自由の状況は、過去10年間のどの時点よりも現在は悪化している」と伝えている。
  30. 2014年7月28日、ケリー米国国務長官は2013年国際宗教自由報告書を米国議会に提出した。報告書は、ゲンドゥン・チューキ・ニマの行方が依然として不明であることを強調している。
  31. 2014年9月12日、国連人権理事会は、強制失踪に関する作業部会の議長と報告者との対話を行った。対話式の対話の中で、アジア先住民部族民族ネットワークは中国での強制失踪について懸念を表明し、ワーキンググループの訪問要請に積極的に対応するよう中国に要請しました。それはまた、パンチェン・ラマと彼の家族の失踪の未解決のケースに取り組むようワーキンググループに要請しました。
  32. 2017年4月25日、米国国際宗教自由委員会テンジン・ドルジー委員は、パンチェン・ラマの28歳の誕生日に公開された書簡で、「6歳の幼い子供のときに拉致されて以来、中国政府はあなたの安否や所在に関する基本的な情報すら提供することを拒否しています」と述べている。
  33. 2017年5月2日、ジム・マクガバン議員とイリアナ・ロス・レティネン議員が下院で発言し、チベット本土の状況について懸念を表明した。マクガバン下院議員は、「22年前、ゲンドゥン・チューキ・ニマは6歳のときに中国当局に拘束されたのは、ダライ・ラマがパンチェン・ラマの転生であると認定したたった3日後のことだった。現在、彼は世界最長の政治犯の1人である。中国は彼の所在の詳細を提供することを拒否した。明確にしておきたいが、中国政府には、チベットの宗教指導者の転生者も、パンチェン・ラマや次期ダライ・ラマを指名する権利や権限も、有していない」
  34. 2017年9月18日、カナダのクリスティア・フリーランド外務大臣は、中国に対し、国連の人権高等弁務官と国連の宗教と信仰の自由に関する特別報告者がゲンドゥン・チューキ・ニマを訪問することを許可するよう求めた。カナダ国会議員ランドール・ギャリソンが提出した質問に応えて、フリーランド大臣は次のように述べた。「カナダは中国に対し、ゲンドゥン・チューキ・ニマと両親の所在、ゲンドゥンが修了した教育のレベル、および彼と両親の帰国予定日について情報を求めた」
  35. 2018年4月25日、パンチェン・ラマであるゲンドゥン・チューキ・ニマの29歳の誕生日に、米国上院は満場一致で議決案S.Res.429を可決し、チベットの宗教的プロセスにおける中国政府によるいかなる干渉も「無効」とした。また、在中国米国大使に、家族と共に23年前に姿を消したパンチェン・ラマ11世ゲンドゥン・チューキ・ニマに面会するよう求めた。
  36. 2018年4月25日、米国政府は「20年以上前に6歳で中国政府によって拉致されたと伝えられて以来、公の場に姿を見せない」パンチェン・ラマ11世ゲンドゥン・チューキ・ニマの誕生日を祝った。米国国務省の報道官ヘザー・ナウアートは、中国当局がラルンガル僧院やヤチェンガル僧院などの信者が多く暮らす地域の継続的な破壊を含め、チベット人の宗教的、言語的、文化的アイデンティティを排除するために取った措置について懸念を表明する声明を発表した。また、中国に対し、「ゲンドゥン・チューキ・ニマを直ちに解放し、すべての人々の宗教の自由を促進するという国際的な約束を守ること」を求めた。
  37. 2019年4月25日、トム・ラントス人権委員会の共同議長であり、中国問題に関する連邦議会・行政府委員会の議長であるジェームズ・P・マクガバン下院議員は、チベット仏教パンチェン・ラマ11世ゲンドゥン・チューキ・ニマの30歳の誕生日を祝して、次の声明を発表した。「ゲンドゥン・チューキ・ニマはダライ・ラマ法王によって、1995年5月15日、6歳でパンチェン・ラマ11世に認定された。その2日後、中国政府は彼と家族を強制失踪させ、独自のパンチェン・ラマの認定を監督した。本当のパンチェン・ラマはその日の失踪から約24年経過したこれまでも情報が得られていない。彼は世界で最も長く拘束されている良心の囚人の1人として30歳の誕生日を迎える」

 

以上