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ゲルク・カギュー・サキャ・ニンマ チベット仏教源流は1つ

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2000年1月8日
産経新聞

チベット仏教は、インド直系の純粋な仏教を受け継いでいる。チベットにインドから仏教が本格的に伝来したのは8世紀後半で、経典をチベット語に翻訳する作業が加速、9世紀には民衆の間に広まった。14世紀には「ツォンカパ」という宗教家が登場、仏教の教理と実践を体系的にまとめ上げたとされ、「ダライ・ラマ」と「パンチェン・ラマ」の二大転生活仏はいずれも「ツォンカパ」の弟子の生まれ変わりとされる。17世紀中ごろ、ダライ・ラマ法王をチベットの政治・宗教面における最高指導者とする体制が確立した。

仏教の各派の多くはチベット史のなかでも重要な役割を果たしており、チベット仏教は主に4大宗派に分けられる。「ゲルク」「カギュー」「サキャ」「ニンマ」の各派で、それぞれ中心的な「教法」があり、寺院も基本的に4つの派のどれかに分類されている。

ダライ・ラマ14世は、ガンデンやタシルンポなどの名刹を擁する最大宗派「ゲルク派」に属するとの見方もあるが、4派を超えた最高指導者で、「4派は互いに交流し、教えはほぼ共通している」(ダライ・ラマ法王日本代表部事務所)という。

インドに脱出したカルマパ17世はカギュー派。同派は、統一的な組織は存在しなかったようだが、ダライ・ラマ亡命政政府に16世がカギュー派全体の最高位に任命された。カルマパ17世は16世の生まれ変わりとされ、1992年にウゲン・ティンレー少年が第17世としてチベット自治区および亡命政府から相次いで認定されている。

中国政府とのかかわりに目を移すと、同政府は1951年にチベット・ラサに人民解放軍を進駐させた。これに対してダライ・ラマを擁する農奴主らが「宗教弾圧」と抵抗。1959年3月、ラサで地元の武装勢力と鎮圧に乗り出した軍が戦闘、約2万人が蜂起したが鎮圧されたのが亡命政府(インド北部のダラムサラ)の始まりだ。

チベット政策で中国政府は、1995年に自ら選んだチベット仏教の高位指導者、パンチェン・ラマ11世(俗名ギャンツェン・ノルブ)を認定。一方のダライ・ラマ14世は独自にゲンドゥン・チューキ・ニマ少年を11世に認定したが、ニマ少年はその後、行方不明となり、現在も「消息は不明のまま」(東京のチベット文化研究所関係者)になっている。