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カルマパ17世の認定による転生論争

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2000年1月17日
TINニュース

1981年11月カルマパ16世の死去後、カルマパ17世の探索は始まった。カギュー派伝統の4人の長老僧、シトゥ・リンポチェ、シャマル・リンポチェ、ジャムゴン・コントゥル、ギャルツァブ・リンポチェらが摂政の役割を担い、カルマパ転生者の認定の共同責任を負っていた。

1992年3月、シトゥ・リンポチェは東チベットのある少年の居所についてカルマパ16世が残した預言書を発見したことを発表した。ジャムゴン・コントゥルは転生者を探すためチベットを回ることを任されていたが、インドで交通事故に遭い死亡。シャマル・リンポチェは、シトゥ・リンポチェとその転生候補者に対する支持を取り下げる。そして、現在も続く論争の発端となった。

1992年6月7日、ダライ・ラマは、摂政たちの間で論争が続いていたシトゥ・リンポチェによる転生候補者を正式に支持することを発表した。シトゥ・リンポチェは、中国当局とも交渉を始め、中国は転生候補者ウゲン・ティンレー・ドルジェのいる東チベットに赴くことを承認。そして正式にウゲンがカルマパ17世として認定されたのである。カルマパ17世は、1992年6月13日ラサに招かれ、6月27日、中国当局は支持を発表した。同日、転生を認められた少年は初めての宗教的儀式を執り行った。1992年9月27日、ツルプ僧院で行われた即位式に出席した中国人官僚たちは、その伝統的な式をチベットの仏教指導者を歴史的、合法的にきちんと任命したことを主張する機会にしたのである。

シャマル・リンポチェはシトゥ・リンポチェが発見した手紙を認めなかったことを発表。そこから転生論争が起こる。19944年、シトゥ・リンポチェは対抗する候補者を出す。その少年の名はタエ・ドルジェといい、シャマル・リンポチェとその従者たちはタエ少年が真のカルマパであることを主張し続けた。タエ・ドルジェはヨーロッパを周遊しているが、シャマル・リンポチェは現在インドにいるとのことだ。