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タナク・ジグメ・サンポ チベットの最長服役政治犯、釈放される

2002年4月3日
(インターナショナル・キャンペーン・フォー・チベット)

チベットの最長服役政治犯タナク・ジグメ・サンポは、2002年3月31日、ラサにて釈放された。76歳になるサンポは、治療目的で仮釈放されたといわれているが、現在はラサ在住の退官教師である姪ペマ・チョンゾムのもとに身を寄せている。チョンゾムは、サンポとの面会のためにしばしば刑務所に足を運んでいたという。

中国政府高官たちが、サンポを治療目的で釈放する準備が整っていると全人代のメンバーたちにほのめかして以後、サンポの釈放は予期されていたことであった。しかし、中国当局によると、サンポは釈放を望んでいなかったという。それが本当だとしても、いかなる条件のもと、サンポは釈放を望まなかったのかはわかっていない。

「インターナショナル・キャンペーン・フォー・チベット(ICT)は、サンポの釈放を歓迎する」とICT代表ジョン・アカリーは述べた。「サンポは、チベット人の不屈の精神の象徴である。サンポが訪問者たちと自由に会い、話をすることになっても、中国当局が彼を再逮捕しないことを望む」とアカリーは付け加えた。

「個々の囚人の釈放はきわめて重要であるものの、もし中国が交渉を有利に導く切り札として使うためにさらにチベット人を逮捕し続けるのならば、チベットにおける人民の苦悩はなくならないだろう」とアカリーは述べた。

スイス政府とアメリカ合衆国はサンポのケースに積極的な興味を抱いている。国務省に加え、トム・ラントス議員もサンポのために積極的な活動をしているひとりである。ラントスは、今年1月中国訪問中、中国の副外相李肇星と副総理李嵐清との話し合いの場で、サンポのケースを取り上げた。

サンポの釈放を聞いての声明のなかでラントスは、「中国が人道的見地から、囚われの身にあったサンポを釈放することになって私は大変嬉しい。また、長い間苦しんできた彼が、その晩年を自由の身で過ごせることに安堵を覚える」と述べた。

「私は政治犯釈放がさらに進み、市民の人権も保持されるよう中国人を説得します」とラントス議員は語っている。

サンポの釈放は、ジュネーヴにおける国連人権委員会の年次総会開催と時を同じくして行われた。チベットにおける満足のいく自治と自己決定権を要求する数カ国の政府は、中国のチベット人に対する扱いに関する問題を提起した。また、この釈放は、現在中国を訪問中の欧州連合の対外関係担当委員であるクリス・パッテンが、中国当局 とダライラマとの対話の再開を求めた時期にも符合する。

1926年生まれのサンポは、1960年、ラサ小学校で教鞭をとっていたとき、「子供たちを反動的な思想で堕落させた」かどで最初の逮捕をされたといわれている。1964年、中国政府がチベットを抑圧していると述べたため、サンイプ刑務所で懲役3年という判決を受け、後にラサの強制労働所へ送られた。1970年、インドに亡命して中国政府の残虐な行いをダライ・ラマに報告するよう姪をそそのかしたとして、サンイプ刑務所にて10年間の強制労働を言い渡されている。

タナク・ジグメ・サンポは1979年に釈放され、ラサの西に位置するネータンの労働改造第一収容所に移送される。しかし、1983年9月3日、ラサ市公安局により再逮捕された。

1983年11月30日発行の公的な判決文書のなかで、ラサ市人民法院は、被告がかつての 「反革命的な罪」を真剣に反省していないのは明らかだとしている。したがって彼は 「反革命的プロパガンダを広め扇動した」という罪で、5年間市民権、政治的権利を剥奪されたうえ、懲役15年の判決を受けた。1988年12月1日、サンポはダプチ刑務所(またの名をチベット自治区刑務所)にいる間に、中国のチベットに対する抑圧に関する「反動的スローガン」を提起したとして再び起訴された。「反革命的プロパガンダを広め扇動した」という度重なる罪状によって、刑期がさらに5年増え、市民権、政治的権利の剥奪もさらに1年延長された。

サンポはその後1992年4月4日、さらに8年の懲役、さらに3年間の市民権、政治的権利の剥奪を言い渡された。これにより彼の刑期は28年となり、今回の釈放がなければ、刑期が終わる2011年9月までに、彼は41年間を監獄で過ごすことになるだろう。

苦闘の生涯

196034歳ラサ小学校にて教師をしているときに、「子供たちを反動的な思想で堕落させた」罪で拘留される。
196438歳中国のチベット抑圧に関するコメントをしたかどで、サンイプ刑務所で懲役3年となる。
197044歳ダライ・ラマに中国の残虐ぶりを報告するためにインドへ亡命するよう姪をそそのかした罪で再逮捕され、サンイプ刑務所にて懲役10年の刑を言い渡される。
197953歳刑務所から釈放され、ネータン(ラサから60キロ西)の労働改造第一収容所へ移送される。
198357歳7月12日、ラサのツクランカン寺の正門に、「個人的に書いた」ポスターを公然と貼っているところを目撃される。9月3日、ラサ市公安局に再逮捕される。11月30日、3度目の判決が出て、「反革命的プロパガンダを広め扇動した」ために15年の懲役刑と、さらに5年間の市民権と政治的権利剥奪を言い渡される。ラサ人民法院の公的判決文書には、彼が「かつて反革命罪で服役したが、過去の反革命的な罪を真剣に反省している様子がない」と書かれている。
198761歳ラサ近郊にて起こった大規模なデモを支持し、10月5日、囚人たちが朝食のために集まったとき、スローガンを叫んで抗議の意を示した。
198862歳1987年の抗議から1年以上もたった後、ダプチ刑務所にて、中国の抑圧について「反動的スローガン」を掲げたため虐待を受ける。11月30日、「反革命的プロパガンダを広め扇動した」かどで有罪となる。刑期は5年延長され、政治的権利剥奪はさらに一年延長される。
199165歳12月6日、スイスの政府高官が訪れたとき、ダプチ刑務所の牢獄の中から抗議行動を先導する。囚人たちは、独立賛成、ダライラマ擁護のスローガンを叫び、それがスイスの代表団の耳に入った。結果的に、サンポは虐待され、6週間独房に入れられた。チベット人権民主センターによると、タナク・ジグメ・サンポは、代表団が去った後、監獄から引きずり出され、体がまったく無感覚になるほど手痛く殴られた。
199266歳4月4日、さらに3年間の市民権・政治的権利剥奪、さらに8年間の禁固が言い渡され、これにてその刑期は28年間となる。
199872歳5月1日と4日、ダプチ刑務所にて中国国旗掲揚式典で、刑事犯、政治犯らの間で、デモ行動が起きる。当局側からの反撃は激しいもので、長時間殴打され、その虐待により死者も出たといわれる。彼は、独房に入れられ、尋問が行われ、暴力がふるわれたといわれている。
200276歳3月31日、中国により釈放される。
201185歳9月3日の釈放日までに、タナク・ジグメ・サンポは生涯のうち41年間を監獄で過ごすことになっていた。

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