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米国務省「各国における宗教の自由に関する報告」

2001年10月26日発表
2001年米国務省「各国における宗教の自由に関する報告」
チベット

(中国に関する報告書のこの項目は、公法103−236の536(b)項の補足として書かれたものである。アメリカ合衆国はチベット自治区(TAR:以下「チベット」とする)を、中華人民共和国の一部とみなす。チベット独自の宗教、文化、言語的伝統の保存と発展、及びチベット人の基本的人権の保護は、配慮されるべきであるとする。)

中華人民共和国憲法は、宗教の自由を規定している。しかしながら、中国政府は、チベットにおける宗教行事と礼拝場所に関して厳しい統制を行っている。当局は、いくつかの伝統的宗教行事と信仰の公式表明を許可しているが、チベット独立要求運動や何らかの分離運動(中国政府は「分裂主義者」と呼ぶ)とみなされるような宗教的行動は、政治的異義表明の手段として、迅速かつ強硬に抑圧している。

中国政府は、チベット入国とチベットに関する情報を厳しく管理しているため、チベットにおける宗教の自由が どの程度侵害されているかは正確に把握することができない。しかしながら、チベットにおける信仰の自由の抑圧は、2000年夏の間、一般信徒の宗教的行為も制限するなど厳しくなっていた。しかし、このような制限は、2000年末には外見上は厳格ではなくなった。チベットにおける抑圧の程度は全体的に高く、本報告書にまとめた時期を通じて、中国政府の宗教の自由に対する尊重度合いは低かった。

1990年代半ばに始まった「愛国教育」運動の余波で、愛国的教育活動は継続されたが、中国政府がチベット仏教に対する統制強化に「成功」したと主張するにもかかわらず低調である。しかし、僧侶や尼僧を含む多数の人々が、平和的な抗議行動や、政府当局が仏教僧院に強制した規則を守らなかったとして逮捕された。これらの規則には、ダライ・ラマの権威否定とチベットを中国領と認めることが含まれる。他に多くの僧侶、尼僧が拘留中であり、同様の違反によって長期間禁固刑に服している者もある。宗教的服役囚の死も報告されており、政治活動のために起訴された僧侶、尼僧の虐待や拷問も報告されている。

チベットのキリスト教人口はきわめて少なく、キリスト教への改宗者に対しては、家族から廃嫡されるなどの社会的圧力がある。

アメリカ政府は、チベットにおける信仰の自由を促進するために、さまざまな努力を行っている。中国政府と地方行政府に対して信仰の自由を尊重するよう要求し、宗教的迫害や差別に関する信頼できる報告があった場合には、抗議を行って当局と交渉し、特定の事件に関する情報を要求するなどである。

第1項 宗教的人口統計

チベットの総面積は471,700平方マイルであり、中国政府の統計によると、人口は約262万人である。大方は、いくぶんかはチベット仏教を信奉している。多数のチベット人の自治区政府職員と、チベット共産党党員の何人かは、目立たないようにチベット仏教を信奉している。チベット自治区では、法輪功の活動は行われていないことになっているが、同地区の漢民族居住者の中に少数の信奉者がいる。また、チベット人イスラム教徒とキリスト教徒もいる。

中国の公式統計では、チベットには46,300人の僧侶、尼僧がおり、約1,787の僧院、寺院、仏教施設がある。これまで数年間この統計的数字が使用されてきたが、1990年代半ばの「愛国教育」運動が始まってから、多数の施設で僧侶、尼僧の数が減少した。この運動の結果、ダライ・ラマを否定することを拒否したり、「政治的に資格なし」と判定されたりした多数の僧侶、尼僧が僧院、尼僧院から追い出されたためである。これらはチベット自治区内の統計数である。四川、雲南、甘粛、青海省などの中国国内の他のチベット人居住地域には、10万人以上の僧侶、尼僧がいる。

第2項 宗教的自由の現状

法的/政治的枠組み

中華人民共和国憲法は、宗教的信仰の自由と信じない自由を規定している。しかしながら、中国政府は、宗教的活動を政府認可組織と登録した礼拝場所に制限して、宗教団体の成長と活動範囲を抑制しようとしている。中国政府は、チベットにおける宗教的行事と礼拝場所を厳しく管理している。当局は、いくつかの伝統的宗教行事と信仰の公式表明を許可しているが、チベット独立要求運動や何らかの分離運動(中国政府は「分裂主義者」と呼ぶ)とみなされるような宗教的行動は、政治的異義表明の手段として、迅速かつ強硬に抑圧している。政府当局はまた、僧侶、尼僧に定期的に声明書を出させ、中国政府や党の宗教、歴史に関する政策支持を表明させて、公式に承認された宗教指導者と生まれ変わりを支持してダライ・ラマを否定することを誓約させている。

中国政府は、ダライ・ラマと彼の「亡命政府」の指導力に対して、厳しくまた誇張的な反宣伝を行っている。政府系新聞は「ダライ一味」を激しく批判し続けており、ダライ・ラマの宗教的権威の正当性を傷つけるために、繰り返して、ダライ・ラマを、中国分裂を企む「犯罪者」として非難している。中国政府と地方行政府はともに、ダライ・ラマとの対話は絶対に不可能であると主張し、彼の行動は、チベット独立を要求しないという公式発言を繰り返していることと矛盾していると非難している。それにもかかわらず中国政府は、ダライ・ラマがチベットを中国の分離しがたい一部であると公式に確認するのであれば、対話と交渉の扉は開かれていると主張する。1998年以来、中国政府はまた、ダライ・ラマが台湾は中国の一つの州であると公に断言することを要求している。

中国政府は、1976年以来、文化大革命前とその最中に破壊された数万の仏教施設再建のために、4千万ドル(約3億から4億中国元)以上を費やしてきたと主張している。政府の再建事業への資金投入は、表向きは宗教活動を支持するためであるが、部分的にはチベット観光を発展させるためでもある。最近の再建事業の多くは民間資金によるが、いくつかの大規模宗教施設は、本報告書の扱う時期の末期には、政府から再建事業の援助を受けていた。

宗教的自由の制限

チベットにおいては、仏教僧院と独立支持運動は密接に結びついているため、中国政府は、地方財政を枯渇させ、亡命チベット人社会による政治的悪影響をもたらすとして、チベット仏教僧院を増加させないように抑制してきた。中国政府は、主要な寺院に僧侶の人数制限をもうけていないし、僧院が何人の僧侶を収容できるかは、各僧院の民主運営委員会が決定するとしている。しかし、これらの委員会は政府が操作しており、実際問題として、主要僧院の僧侶の人数には厳しい制限が課せられている。政府は、だれであれ個人が宗教上の位階に就くのを拒否する権利を持つ。但し、これらの制限が常に強制されるわけではない。

僧院は若い僧侶の収容と教育を続けている。規制によって18歳未満の僧院入りは禁止されているが、実際には、多くの18歳未満の少年が僧侶となる伝統は続いている。しかしながら、見習い僧たちが、基礎的な僧としての教育を受けつつ正式の叙階を受けるまで、年長の僧侶の従者を努める伝統があったが、いくつかの大僧院では近年、これらの少年見習い僧たちが未成年を理由に追い出されている。これらの見習い僧は正規の僧ではない事実から、それらの施設で収容人数に大幅な減少はないと、政府は主張している。

政府は主要な僧院の日常業務の監督を続けている。政府は僧院の運営資金の拠出には寄与しないが、僧院民主運営委員会と地方行政府の宗教局を通じて、運営を統制している。多くの地域において、民主運営委員会の委員は「愛国的で敬虔な」僧侶、尼僧に限定するように規制されており、委員会の全委員は中国政府によって承認されなければならないと規定されている。いくつかの大僧院では、政府職員が委員会の委員を兼務している。これらの仏教僧と僧院統制の努力にもかかわらず、反政府感情は根強い。

近年、いくつかの大僧院では、すべての運営資金を入場券の売上と巡礼の寄付でまかなっている。これらの資金は、かつては上級僧位を得るために研究に専念する僧侶に分配されていた。そのような「学僧」は、今日では、資金獲得のための活動に、少なくともいくらかの時間を割かなければならなくなっている。その結果、将来は指導僧を務めることができる僧侶が減少するであろうと憂慮する専門家もいる。

1990年代半ばに始まった政府の「愛国教育」運動の結果、愛国的教育活動は存続しているが、政府がチベット仏教に対する統制強化に「成功」したと主張するにもかかわらず低調である。政府は、規制に強制的に従わせたり、党の方針に従わずにダライ・ラマに同調し続ける僧侶、尼僧を脅迫し排除することで、これを実施してきた。本報告書が扱う期間中、政府は宗教施設にたびたび工作隊を派遣して、僧侶、尼僧に対して強制的な思想教育を行ってきた。工作隊は、チベット人の生活態度を改めさせることにはまったく成功しなかったが、僧侶に「愛国的」であるように、またそれを証明するために、以下の宣言書に署名するように要求した:チベット独立の否定、ダライ・ラマによってパンチェン・ラマ11世と認められたゲドゥン・チューキ・ニマの否定、ダライ・ラマの権威否定と放棄、中国とチベットの一体性の承認、ヴォイス・オヴ・アメリカやラジオ・フリー・アジアの放送を聴かないことである。ある報告によれば、署名を拒否した僧侶は僧院を追放されたが、故郷に帰って仕事に就くことも許可されなかった。また他の僧侶は、愛国教育運動に関連した政治試験に落第したので僧院から退去するように強制されたということであり、さらに他の僧侶たちは、ダライ・ラマを否定するよりも、「自発的に」僧院を退去した。僧侶、尼僧、一般信徒は政府の努力を深く恨んでいた。この地方における愛国教育活動はいくらか軽減したものの、多くの僧院、尼僧院における宗教活動は大いに混乱させられたため、愛国教育運動から逃れるために僧侶、尼僧がインドに逃亡している。国連難民高等弁務官事務所によれば、毎年約3千人のチベット人が、チベットの状況から逃れるためにネパールに入国している。これらの難民の3分の1は、「愛国再教育」運動のために出国したと主張している。

2001年6月、当局は、数千人の僧侶、尼僧に対して、ラルン・ガル僧院宿舎(セルタルチベット仏教施設として知られる)から退去するように命令した。この施設は四川省ガンゼチベット自治区に位置する。セルタル僧院に居住していた7千人の僧侶、尼僧のうち、1400人のみが、2001年10月以後も残ることを許された。(この事件の詳細については、中国における宗教の自由に関する報告第2項を参照)

チベット仏教のカルマ・カギュ派の指導者で、チベット仏教のもっとも重要な存在の一人であるカルマパが1999年12月にインドに亡命してから、当局は、ラマの生まれ変わりの探索と教育に関する統制を強化した。中国政府は、2000年1月16日に、2歳のソナム・プンツォクをレティン・リンポチェの7代目生まれ変わりとして承認した。しかし、レティン・リンポチェのような重要な宗教的人物として選定された者を通常承認するはずのダライ・ラマは、この候補者を認めなかった。レティン僧院の僧侶の多くも、報告によれば、この子供をレティン・リンポチェとして受け入れなかった。少年は、厳重な警備のもとに僧院近くの宿舎に家族と暮らしており、当局は、同地域への立ち入りを厳重に取り締まっている。もう一人の若い生まれ変わりラマのパオ・リンポチェも、ネナン僧院の自宅に軟禁されている。7歳と推定されるパオ・リンポチェは、カルマパによって、カルマ・カルギュ派の重要な人物の18代生まれ変わりとして承認された。彼は宗教上の師との面会を禁止され、報告によれば、中国の普通学校に通うように当局から要求されているということである。外国の公職者を含む外国人は、彼の僧院に立ち入る許可をたびたび申請して拒否されている。

中国政府は、1995年に政府が選定したギャルツェン・ノルブをパンチェン・ラマの第11代生まれ変わりと主張し続けている。当局は彼の生活のあらゆる面を厳しく管理しているため、彼が北京とチベットで公式の場に姿を現すのはきわめて稀である。それ以外は常に、少年との面会は当局によって厳重に制限されている。パンチェン・ラマは、チベット仏教ではダライ・ラマに次いで重要な存在である。

ダライ・ラマの写真を所有したり、公然と飾ったりすることは、依然として禁止されており、そのような写真は非合法の手段によらなければ入手できない。2000年春に、ラサの近隣委員会は、一般市民の家庭に捜索隊を派遣して、ダライ・ラマに関する書物や写真を没収した。2000年末には、これらの捜索は定期的には行われなくなったため、数枚のダライ・ラマの写真が再び公共の場で見られるようになった。チベット自治区外のチベット人居住地でも、同様に写真は禁止されていたが、2001年春までにはダライ・ラマの肖像写真が商店や宗教施設に再び現れるようになってはいた。しかしながら、中国政府は、ダライ・ラマによってパンチェン・ラマとして承認されたゲドゥン・チューキ・ニマの写真を依然として禁止している。

1000人程度の宗教関係者が、地方人民代表大会や中国人民政治協商会議の職に就いている。しかし政府は、共産党党員と上級公務員は、無信仰の党規を遵守するように繰り返し主張している。1999年1月に初めて発表され、本来は政府職員を対象として3年間にわたって行われた無信仰と科学の推進運動は継続され、さらに多くの役職と教職にまで拡大された。この運動は、経済発展を推進し、分裂主義者との闘争を強化し、「ダライ・ラマ一味の反動的影響」を阻止するために始まった。政府職員は、宗教事務局の全職員は共産党党員であり、党員は無信仰であることが条件であるとうけあった。しかし、地方宗教事務局下位メンバーの全員が無信仰者であるわけではない。

2000年春と夏の間、ラサその他の地域では、当局が 宗教活動の規制を強化して、共産党職員と公務員(教員や医療従事者を含む)が僧院に行ったり、ジョカン寺を訪れたり、家庭に祭壇を持ったり、チベットの新年(ロサ)の期間に宗教的行為を行うことを禁止した。宗教行為とは、屋根に新しい祈祷用の旗をつけたり、香を焚いたり、伝統的なリンコル(チベット仏教でもっとも重要な宗教祝日であるサカダワ祭の期間中にラサの聖地の周りを回る巡礼行為)を行ったりすることである。いくつかの地域では、多くの一般市民もこの規制に従うよう強制された。何人かの政府職員はラサの僧侶、尼僧に布施することを禁じられた。ラサのいくつかの地区では、当局が個人の家で、宗教的な品物やダライ・ラマの写真を捜索した。

2001年2月に、民間の報道調査機関であるチベット情報ネットワーク(TIN)は、政府職員、幹部、学童はロサを家庭で祝うように指示され、僧院の法要に出席したり、寺院、僧院に布施することを禁止された。しかし、弾圧にもかかわらず、多くの巡礼や他のチベット人たちは依然としてラサの大寺院で献納を行っている。2001年6月、TINはラサの当局は、ダライ・ラマ誕生祝いの禁止を強化する公式通知を出したことも報じた。近年、チベット人は、ラサのどこでも伝統的な香を焚く儀式を行うことを禁止されており、当日はいくつかの礼拝場所は閉鎖されていた。これらの報告にもかかわらず、多くの一般市民と政府職員は、僧院参拝、「リンコル」、ロサル期間自宅の屋根の上の祈祷用の旗を取り替えたりという、それまで6カ月間禁止されていた宗教行為を行った。

本報告書の扱う期間中、旅行者規制も報告されていた。政府は、外国政府職員の宗教施設訪問を厳重に規制しているため、外国の公式訪問団が、地方行政府に事前承認を受けないで僧侶、尼僧と面会する機会はほとんど無かった。

宗教的自由の侵害

中国政府はチベット入国とチベットに関する情報を厳しく規制しているため、宗教的自由の侵害程度を正確に把握することは困難である。しかしながら、チベットにおける宗教的自由の抑圧は、2000年の夏きわめて厳しくなり、一般信徒の宗教行為が厳しく制限された。しかし、これらの制限は2000年末にはそれほど厳しく強制されなくなった。チベットにおける抑圧の度合いは全般的に依然として高く、本報告書が扱う期間中の、宗教的自由尊重の政府記録は少なかった。

TINによると、1989年以来少なくとも26人の僧侶、尼僧が拘留中に死亡したし、そのうちの少なくとも17人はラサのドラプチ刑務所に収容されていた。本報告書の扱う期間中、拘留中または釈放後まもなく死亡した例は他にも複数あった。未確認の情報によれば、セラ僧院の僧侶ロブサン・シェーラブは、2000年秋にラサのシトゥ拘置所から釈放後まもなく死亡した。伝えられるところでは、拘留中拷問を受け、また、1996年から1998年までトリサム矯正所に収容されていた時に悪い待遇を受けたということである。

サンドゥプ・ドルマ・ラカン寺の尼僧ンガワン・ロチュ(か、ドゥンドゥプ・ドルマ)は、反革命宣伝活動と煽動により禁固9年から10年の刑に服した後、2月に死亡したということである。

2001年2月、TINは総合的調査報告書を出版したが、その中に合計197人のチベット仏教僧侶、尼僧が中国で拘留されており、その大多数はチベット自治区に収容されていると報告した。2000年4月にチベット自治区刑務所管理局局長は、外国訪問使節団に対して、チベット自治区内の3つの刑務所で100人以上の僧侶、尼僧が服役しているが、その90パーセントは「公安侵害罪」で禁固中であると語った。刑務所当局が科した政治的再教育、特に、ダライ・ラマ否定と中国政府がパンチェン・ラマと承認したギャルツェン・ノルブ支持を拒絶した服役囚は、罰として殴打された。TINが伝えるところによれば、長期服役中の尼僧数人が何度か激しく殴打されたということであり、その中に1989年に独立支持の歌を歌ったために禁固刑になったンガワン・チョンゾムとプンツォク・ニィドルが含まれるということである。政府職員の発表によれば、プンツォク・ニィドルは悔悛の情を示したので、刑期を1年短縮されたということである。同尼は2005年に釈放予定である。ンガワン・サンドルも何度も殴打され、さらに刑期が延長されて独房に収容されている。同尼の刑期は、刑務所内の示威運動に参加したため1998年に3度目の延長がなされ、合計21年になった。ンガワン・サンドルの健康状態は、政府職員が良好と保証しているにもかかわらず憂慮されている。

中国政府は、ダライ・ラマがパンチェン・ラマ11世として承認したゲドゥン・チューキ・ニマとその家族の行動の管理を続けている。彼は1995年6歳の時に失踪した。政府職員は、少年は本人の保護のために政府の監督下にあり、彼はチベットに住んで「普通の学童」として学校に通っていると主張してきた。ゲドゥン・チューキ・ニマと家族の所在は依然として不明であり、所在と安全を確認するために彼との面会を求める国際社会からの要請は拒否されてきた。1999年11月、政府は、ゲドゥン・チューキ・ニマが死亡してひそかに火葬されたとする報道を否定した。しかし、政府は、国際監視団が少年に面会することは拒否し続けている。2000年10月、政府職員は、外国使節団に対して少年だという2枚の写真を見せた。チベット仏教徒の圧倒的大多数が、ダライ・ラマによってパンチェン・ラマとして認められた少年を承認したにもかかわらず、チベット僧たちは、中国政府が選んだ少年を認めると誓約する声明文に署名するように強制されたと主張している。共産党も、党員に対して、「正式の」パンチェン・ラマを支持するように要請している。

信頼できる報告によると、ダライ・ラマのパンチェン・ラマ11世生まれ変わり選定に協力して国家機密を漏洩したとして起訴されたチャデル・リンポチェは、1995年に四川省の刑務所の秘密棟に収容されたということである。2000年に政府は、外国からの訪問使節団に対して、師は「良好な健康状態」にあると語った。チャデル・リンポチェの本来の刑期は2001年5月には終了していたが、本報告書が扱う時期の末期に至るまで、師は服役中である。

1999年12月のカルマパ(ウゲン・ティンレー・ドルジェ)のインド亡命後、当局は、カルマパの寺であるツルプ僧院への立ち入りを規制して、同地での「愛国教育」活動を強化したということである。複数の公式声明によると、カルマパは、彼の行動が管理され、精神的指導者から訓練を受けるためにインドに行くことも、インドから指導者を迎えることも拒否されたために亡命したと主張している。彼の亡命後、TINの報道では、少なくとも2人のツルプ僧院の僧侶が逮捕され、カルマパの両親は監視されているということである。政府職員は、逮捕はなかったし、カルマパの両親が何らかの規制を受けている事実もないと否定した。しかしながら、2001年1月には、TINは、ツルプの状況は依然として厳しく、警官が常駐して僧侶に対する規制が強化されており、これは精神的指導者を追って亡命することがないようにするためであるらしいということである。またTINは、同僧院に新たに僧侶が入ることは禁止されているとも報じた。2000年12月に外国人公職者がツルプ僧院訪問を許可された。約325人の僧侶が居住していたということである。当時ほとんど訪問者はいなかったに。しかしながら、宗教的行為は監視されていた。

1999年7月に法輪功が禁止されてから、チベットで数人の法輪功信徒が拘留されたという報告があった。政府系新聞の報道では、この措置が取られたのは、チベット自治区に駐屯する人民解放軍兵士の間で中功(「中華養生益智功」)を実践するのを止めさせるためであるということである。

強制的改宗

アメリカ本国から誘拐または不法な手段で連れてこられた未成年アメリカ市民を含む強制的改宗の報告はない。また、中国政府がそのような市民のアメリカからの帰国許可を拒否した報告もない。

第3項 社会的態度

大方のチベット人はチベット仏教を信奉している。チベットにおけるキリスト教人口はきわめて少ないにもかかわらず、改宗者に対する社会的圧力が存在する。家族から廃嫡された者もあるということである。

第4項 アメリカ政府の政策

アメリカ国務省、北京のアメリカ大使館、成都のアメリカ総領事館は協力して、チベットにおける宗教の自由を促進するよう努力してきた。宗教問題担当官を含む中国政府との定期的意見交換で、アメリカ外交官は、中国政府と地方行政府に対して、チベットでの宗教の自由を尊重するように、常に要請してきた。大使館員は、宗教的迫害や差別の事例について信頼できる報告があった場合には、常に抗議を行い、詳細な情報を要求してきた。中国に駐在する外交官もまた、宗教の自由の現状を含む状況監視のためのチベット旅行の許可を定期的に要求してきた。しかしながら、当局は、本報告書が扱う期間中、そのような旅行を許可することをますます嫌がるようになってきた。アメリカ側は、広範囲の宗教者と接触を保っており、アメリカ国務省の非公式の接触相手は、チベットの宗教専門家とアメリカ国内の宗教団体を含む。大使や他の高官を含むアメリカ大使館職員は、中国政府職員との話し合いで、宗教服役囚と宗教迫害に関する報告に言及した。また、大使館高官は、宗教問題局の局長と定期的に会見して、その席でそのような問題を取り上げた。ダライ・ラマによってパンチェン・ラマ11世と認められた少年ゲドゥン・チューキ・ニマや、チャデル・リンポチェ師、ンガワン・サンドル他のチベット人僧侶、尼僧たちの件である。他の大使館職員たちは、国務院宗教事務局や中国共産党中央統一戦線工作部の役員との会談で、特にこれらの問題を取り上げた。

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