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ソナム・ディキの声明
「投獄された息子に会うためにチベットを訪れて」

2000年8月19日
チベット人権・民主センター
ンガワン・チョペル

ンガワン・チョペル

18年の刑を宣告されて現在服役中の息子ンガワン・チョペル(右写真)に会うため、ニューデリー駐在中国大使館からチベット訪問の許可を受け取った時、私は複雑な気持ちでいっぱいでした。私の心は、チベットへ行って6年ぶりに息子に会える期待や衰弱した状態で彼に会うことへの不安で動揺していました。

2000年8月1日、私の兄弟ツェリン・ワンドゥと私はカトマンズからラサへ飛びました。ラサ近くのゴンカル空港へ到着した時、私たちは飛行機から降りることが許されませんでした。

5名の中国人役人が飛行機に乗り込んできて、そのうち一人がチベット自治区の刑務所の責任者だと挨拶をしました。彼の要請により私の息子がでもっと良い看護を受ける為にジェグンド(中国名:玉樹)にある他の刑務所に移送され、今も適切な治療を受けている旨をその責任者は私に伝えました。チベット人の男性1名と女性1名が「ラサ海外チベット人受けいれセンター」の職員だと紹介され、私たちの一行に加わり、飛行機でジェグンドまで護衛しました。そしてジェグンド空港で、私たちは「ジェグンドから来た」という中国人役人に引き渡されたのでした。

8月2日、私たちは息子が治療を受けているとされているジェグンド総合病院へ連れて行かれ、息子の治療にあたっている有名な中国人医師を紹介されました。その医師は息子の健康状態について手短に説明してくれ、4種類の病気を患っていると話してくれました。医師は、息子が既に泌尿器系感染症の治療を受けており、肝臓、肺、胃の治療もしていることを説明してくれました。

8月3日、私たちはジェグンド駅近くの巨大な刑務所に連れて行かれました。6年ぶりに息子と会う場所です。私たちが刑務所構内に着くとすぐ部屋に通され、中国人役人に会わされました。その役人は息子に会うに先立って必要条件を決めてきました。私がチベット語以外の言語を話してはならないこと、中国政府に対して政治的、違法的、軽蔑的であってはならないことをはっきり言われました。また、面会は2回、それぞれ1時間を越えてはならないということも。それで、もっと面会時間がほしいと懇願しましたが、しょせん無駄でした。

息子を見た時、見分けることが出来ませんでした。2つのカウンターと針金の網の層で隔てられた正面に、ほんの皮と骨だけのか細い体が立っていました。息子といっしょに3人の看守がいて、一人は後ろに、もう二人は傍にいました。私の目から絶間なく涙が流れ、本当に私の息子なのか尋ねずにいられませんでした。

それに対して息子はようやくこう返答できただけです。

「お願いだから泣かないで」

私はすぐに息子の声だとわかりました。健康状態を尋ねたら、息子は胸をつかんでこう言いました。

「胸がずっと痛いのです」

そして額を台につけて、私の前で泣き崩れました。

私たちは長い間、泣いていました。しかし、「泣き止まないなら面会を中止する」と言われました。私は息子の体に触れたくて仕方がなかったので、「出来ることなら、額に触り、手を握りたい」と要求しました。息子も同じことを頼んでいるのが聞こえましたが、私たちの願いはすべて聞き入れられませんでした。

息子は、治療のことや、私に会わせてくれるよう多くの嘆願書を書いたものの受け入れられなかったと話してくれました。また、病気ではなく、ただ病気のふりをしているだけだと言われたというのです。その刑務所側の無関心な態度に不満を持ち、ハンガーストライキに入ったというのです。

私たちがネパールへ発つ前日の8月7日、2回目の面会で、ンガワンに会う前にもう一度部屋に通され、役人に息子のことを嘆願する機会がありました。息子が皮と骨だけになり、多くの病いを患っていることを話しました。息子の世話が出来るよういっしょに留まることを役人に頼みました。さらに息子が完治するまで病院で治療を受け、その後チベットに戻ることをお願いしました。治療を続けることと、尋問によって精神的に拷問しないことを要求しました。その役人は、「ンガワンはとても強情で扱いにくく罪を認めない」と言ってきました。私は手紙でも頼みました。

この訪問が息子に会える最後の機会だったので、私は泣かずにはいられませんでした。息子の健康と安否がとても心配だったので、足や体の他の部分を検査するため腕や手を見せてもらい、後ろに向くよう頼みました。拷問をうけているかどうか息子に尋ねました。息子は否定し、「ニャリ刑務所での出来事はもう終わったことだ」と言って、それ以上何も言いませんでした。息子は、私に、このような困難な局面の時に支援してくれた人々に心から感謝の気持ちを伝えてくれるよう頼みました。

最初、息子に会う許可が下りた時、私は息子のそばで6日間ずっと世話ができることを楽しみにしていました。しかし、面会できたのは、たった2回だけで、それもお互いずっと離れたところからで、触れることさえも許されませんでした。
私は66歳で、一人息子は18年の刑を受け1995年から服役中です。息子は刑務所で深刻な肉体的、精神的トラウマを患っています。息子の健康状態は日に日に悪化しており、適時に十分な治療を受けなければ助からないでしょう。私は国際社会に緊急なる救援を求めます。特に中国政府に対し、治療のため、私の一人息子を引き渡してくれるよう要請します。

【ンガワン・チョペル経歴】

1995年8月、中国政府がンガワン・チョペル(以下ンガワン)を逮捕した。ンガワンはインド出身のミュージシャンだった。母親の名はソナム・ディキ。ンガワンはディキの一人息子である。ンガワンの父親は亡命しようとした時、中国当局に逮捕、拷問され、今では生存が確認されていない。

ンガワンは南部インドのムンゴットチベット難民居住区のNo.2キャンプで、既に子供の時に音楽家となった。義務教育修了後、ダラムサラのチベット芸術学院に入学。卒業後、インド中の様々なチベット学校でチベット音楽と芸術を教えた。

1993年、ンガワンは、有名なフルブライト奨学金を得てアメリカへ渡り、バーモント州のミドルバリー大学で民族音楽と音楽教授法を学び始めた。1年後、インドに戻り、1995年7月、チベット文化を記録にとるため、チベットへたった。

アメリカ人写真家キャサリン・カーリーはンガワンの記録作業に参加。1995年8月22日、キャサリンがチベットを去る時、音楽家のいるシガツェを訪れて、3ヶ月から5ヶ月後インドに戻る旨を話した。ンガワンはまたは父親を捜すことも計画に入れていた。

1995年8月、ンガワンが行方不明だと公表される。1996年10月15日、逮捕後1年以上たってようやく中国政府が抑留を認める。

1996年12月26日、シガツェ地方裁判所は、ンガワンに18年の判決を言い渡し、「スパイ行為をした」として政治的権利を4年間剥奪。1998年7月、タモ地区の厳しい監視のポウォ・タモ刑務所へ移送されるまで、シガツェ地区のニャリ拘留所に引き留められることになる。

インドでの亡命生活ンガワンの母親、ソナム・ディキ(以下ディキ)は、1997年7月からインドのデ中、リーで1人でデモ運行ってきた。ディキは、中国政府に対して、死ぬ前に息子面会の許可をア動をピールするため、デリ不屈の戦いに乗り出した。母親と息子の面会は、多くの団体、個人、何ーで人かの高官、米国バント州議会の代表団がキャンペーンに参加してくれたおかげで実現した。 -モ2000年7月最終の週に、ディキはニューデリーの中国大使館から、チベットへ1週間訪問の許可を得た。彼女の兄弟、ツェリン・ワンドゥが同伴し、2000年8月1日にカトマンドゥから飛び立った。彼らは、ゴンカル空港に着き、同じ日にジェグンド(中国名:玉樹)へ向かった。翌日、ジェグンドの刑務所へ連れて行かれ、2層の金網ごしに母親は息子との面会を果たす。

しかし、たった1時間しかない面会は厳しく監視され、どんな身体的接触や感情的になることも禁止された。厳しく監視している看守にはさまれたンガワンは、自分の会話に用心している様子で、刑務所の中での拷問について一切、口にしなかった。彼は母に陳情書を提出したこと、適切な治療を受けられないことに抗議してポオ・タモ刑務所でハンガーストライキを起こしたことを話した。

面会の数週間前、ンガワンはジェグンドの病院で治療を受け、泌尿器系の伝染病を含んだ多くの病気にかかっていることがわかった。ンガワンは母親にデリーの路上で生活しないように、その代りとして宗教的な修行に時間を費やすように頼んだ。ンガワンは、自分たちを助けてくれたすべての人々へ感謝を述べた。

2回目の面会はンガワンの身なりが整ったことを除けば、1回目と同じようなものであった。ンガワンは髭を剃り、ダブダブの試着用のジャケットを着て、髪にブラシがかけられていた。 1999年末、中国政府情報筋は「ンガワンが気管支炎、肺病、肝炎の兆候があったが、治療をして2ヶ月後、急速に回復している」と報告した。

ンガワンは刑務所内の様々な条件の中、多くの疾患を切りぬけ生き延びたとしても、釈放は2013年である。ンガワン47歳の年だ。

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